【幕間】ヴィニア・マッキンリーという聖女
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「……本当に、嫌になりますわ」
教会から戻り、ヴィニアは案内された宿の一室で小さく独りごちた。
胸元で光るのは、聖女の証である聖石のペンダント……を模した、ただの魔石で出来た張りぼてだ。
リリネットが付けていた本物の聖石は、一介の光魔法使いでしかないヴィニアが持っていても光らせることはできない。
あれは既にマッキンリー公爵の所有する、タウンハウスにある自室の金庫へ隠した。
きっと、誰にも見つからない。
複製された魔石には光魔法で輝くよう細工がされていて、これがヴィニアを聖女たらしめる何よりの証拠になる。
加工には莫大なお金が掛かるが、マッキンリー公爵家からすれば端金だ。
リリネットに掴ませた偽物の分と、本物の聖石としてヴィニアが持っている分のふたつを合わせても、大した痛手にはなっていないだろう。
「こんなもので手に入るなんて、聖女の座も安いものですわね」
リリネットを偽物の聖女として断罪したあの日から、ヴィニアは真の聖女だ。
紛れもなくこの国で最も高貴な少女として、今まで以上の厚遇を受けている。
公爵令嬢という身分、王子の婚約者という立場、聖女という清らかで尊い響き。
そのどれもが全ての女性の憧れの的であり、それらを全て手中に収めたヴィニアは、この国で一番幸せな少女であるはずだった。
「……やっぱりこんなの、幸せなんかじゃない」
ギリ、と形のいい唇を噛んで、ヴィニアは細く息を吐き出す。
***
今回の聖女失脚を画策したのは、ヴィニアの父であるマッキンリー公爵だった。
彼は絵に描いたような権力主義者で、選民思想の強い貴族だ。
ヴィニアは幼い頃から、「キース殿下の婚約者になることが、お前の一番の幸せだ」と言い聞かされて育ってきた。
幼いヴィニアはそれを信じて疑わず、キースの婚約者になるためにあらゆる努力を惜しまなかった。
勉強も、魔法の腕も、マナーも、ダンスも、美しさも。
必要とされる能力を磨くのに、疑問も持たなかった。
他の追随なんか決して許さない。
ヴィニアの研鑽された能力の全ては、この国で最も高貴な少女として相応しいものだ。
「流石は公爵令嬢」
「マッキンリーの至宝」
「次期王妃候補」
周りにそう言われる度に、ヴィニアの心は満たされて、胸は高鳴った。
特に、父の前で褒められた時なんかは、普段厳格な父が「お前は自慢の娘だ」と耳元で囁くので、ヴィニアはそれがたまらなく嬉しかった。
誰も、ヴィニアがキースの婚約者に選ばれるのを疑っていなかった。
けれどそんな中、聖女が現れる。
平民出身だというその聖女は、ヴィニアのひとつ年下だった。
ヴィニアのような大きな瞳や高い鼻筋は持ち合わせておらず、印象に残らない薄い顔立ち。
コテを当てるだけの余裕もないのか、ストンと肩口で切り揃えられただけの真っ直ぐな金髪。
赤い瞳だけは、なるほど、悪くもないが、それでも全体的に華やかさには欠ける。
いかにこの国で重んじられる聖女であっても、この程度の娘であれば脅威にはならないだろう、なんて、希望的観測はすぐに打ち砕かれることとなった。
「聖女が、キース殿下の婚約者に……?」
父に呼び出された先で、ヴィニアは小さく聞き返した。
「あぁ、そうだ。あの平民の小汚い娘が、次の王妃だ」
「そ、そんな……」
わなわなと震えるヴィニアに、マッキンリー公爵はゆっくりと近づく。
そして、容赦なく殴り飛ばした。
大の男に殴られた小さな体は軽く宙に浮いて、置かれていたローテーブルに背中を打ち付けた。
「かはっ……」
あまりの痛みに目を見開く。
背中はじんじんと痛んで、心臓はバクバクと音を立てた。
「お父様……」
それでも父に縋ろうと伸ばした手は、硬い革靴に蹴り飛ばされた。
「この出来損ないが!お前がキース殿下の心を射止められなかったせいで、ぽっと出の平民ごときに我がマッキンリーの野望は打ち砕かれた!王家の外戚となる長年の悲願……もう少しで上手くいくところだったというのに!お前にどれだけの金をかけたと思っている!公爵家の面汚しが!」
一気に捲し立てられて、ヴィニアは頭が真っ白になった。
父は権力主義者だが、身内には……特に、娘であるヴィニアには優しかったはずだ。
特別甘やかされた思い出はないけれど、最高級の教育と環境を与え、優秀さを見せれば褒めてくれる、そんな父だったはずだ。
そんな彼をここまで変貌させてしまうなんて、自分の力不足に涙が込み上げる。
「うっ、ぐすっ、お父様……ごめんなさい、お父様……!」
「泣いて済む問題ではない!あぁ、本当に忌々しい、使えないガキだ!……所詮は、卑しい女の血か」
公爵の低い呟きが、嫌に響いた。
「卑しい、女の血……?」
ヴィニアがそう聞き返すと、公爵はハッと鼻で笑う。
「あぁそうだ。お前には言っていなかったな。お前は昔、メイドに産ませた子供。王子の婚約者に据えるのにちょうどいい年に生まれたから公爵家の娘として引き取ったが、それが無ければお前など、なんの価値もない平民と同じだ」
嘲笑うように口角を釣り上げる公爵を見て、サッと血の気が引く。
ヴィニアは、この国で最も高貴な少女。
公爵令嬢で、王子の婚約者候補。
……けれど、そんなものは全部まやかしだった。
自分には、血統も、立場も、何ひとつだってありはしなかった。
信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていく感覚に、ヴィニアは乾いた笑みを浮かべる。
「……わたくしの、お母様は?」
「あの平民メイドなら、お前を産んだ日に殺したよ。王子の婚約者が正当な公爵家の姫でないと知れたら厄介だ。お前を孕んだとわかった途端、側室として公爵家に迎え入れろとせがんでくるような欲深い女だった」
女の言葉を思い出したのか苦い顔をする公爵に、ヴィニアは自分の心が冷めていくのを感じていた。
激高して顔を赤くし、力任せにヴィニアを殴り飛ばし、唾を飛ばして罵倒の言葉を並べたのは、本当に自分が尊敬するに値する父親なのか。
自分に都合が悪いからという理由で女を一人殺して、それを罪とも思わないような冷酷な男の期待に応えることは、果たして意味のある行いなのだろうか。
父親の言葉を全て正しいと思い込んできたヴィニアには、正解が分からない。
けれど、このまま彼の言いなりになるのは嫌だと、まだ柔らかいヴィニアの真心が叫んでいた。
「まぁいい。あんな後ろ盾もない小娘ひとり、いつだって陥れられる。時期が来たらあの聖女には失脚してもらえばいい……その時まで、お前はその価値を損なうな。公爵家の娘として、いつでも王子の婚約者に返り咲ける準備をしておけ」
いつか来る、“その時”。
それがいつになるのかは、分からない。
けれど、その時がヴィニアにとっての転機となることは間違いがなかった。
「……はい、お父様」
そう言って頷きながら、ヴィニアは拳を握りしめる。
マッキンリー公爵の言いなりになるのは、“その時”が来るまでだ。
時が来たら、ヴィニアはヴィニアの力で幸せになる。
それが例え公爵の意に逆らうことになっても、自分の心に芽生えた小さな火だけは、絶やしてはいけないと思った。
***
それから何年も経って、“その時”はやって来た。
領地にいる公爵から、偽物の聖石がふたつと聖女殺害までのプランが書かれた手紙が届く。
綿密に練られた計画を読み込んで、ヴィニアは薄く笑った。
そこにはキースが聖女を処刑するならば良し、そうでなければ上手く言いくるめて、ヴィニア自ら聖女を殺せと記されている。
ヴィニアはその手紙を封筒に入れて、引き出しの奥にしまい込んだ。
公爵が聖女殺害を目論む動かぬ証拠を、処分するつもりなど毛頭ない。
それからヴィニアは作戦通りリリネットの聖石をすり替え、あたかも自分が真の聖女であるかのように状況を整えた。
公爵の練った作戦と違うのは、キースがリリネットの処刑を望んだのを止めたことだ。
ヴィニアはリリネットを抱き締めて、耳元で囁く。
「静かに、リリネット。よくお聞きなさい」
今まさに自分を陥れようとしている女の言葉だというのに、馬鹿正直に口をつぐんで頷くリリネットは、本当に愚かだ。
長年友人のような顔をして、あなたを騙してきたのに。
それでもわたくしの言葉を信じようとする無垢で純粋なあなたが、心底憎くて、嫌いで、妬ましくて……少し、眩しい。
そんな胸の内をおくびにも出さず、ヴィニアは言葉を続ける。
「今晩、我がマッキンリー公爵領にあなたを護送します。その道中、わたくしが合図を送ったら走って逃げなさい」
言いたいことだけ言って、ヴィニアはリリネットから腕を離した。
状況を飲み込めずにいるらしいリリネットを見て呆れた気持ちになりながら、彼女に背を向ける。
そうやって、ヴィニアは静かに反逆の狼煙を上げた。
リリネットを護送するのに雇った男たちは、金さえ積めばあの日聖女が逃げ出した事実を口外することはない。
長く聖女の結界に守られてきたイグニアス王国に魔物が出没し始めたのは、リリネットが上手く国外に逃げ果せたからだろう。
いくら魔石や権力で取り繕っても、ヴィニアに聖女の力など欠片もないのだから。
全ては父の……マッキンリー公爵の失脚のためだ。
この国がどうしようもなく傾いて、どこにも逃げる宛てが無くなってから公爵を断罪しよう。
無実の聖女を陥れ、イグニアス王国を荒廃させたのは他でもない公爵なのだと、全国民の前で明かしてやろう。
そしてあの男を、断頭台まで連れていこう。
「……その時は、わたくしも一緒に行くんだわ」
聖女を……リリネットを陥れたのはヴィニアとて同じこと。
公爵の罪を暴けば、必然的にヴィニアの罪も白日のもとに晒される。
……それでも、最後に友人を守れたのなら、ほんの少しだけ誇れる生き方だったと言えるだろう。
あの子に……リリネットに信じて貰えたのだから、幸せだったと言えるはずだ。
ヴィニアが深い思考に沈みかけたその時だった。
控えめなノックが3回、規則的に響く。
「何かしら」と声をかけると、ドアの向こうからくぐもった声で「聖女様、まだ起きておられますか」と若い女の声がした。
「……こんな夜更けに、なんの用ですの」
ドアを少し開けると、そこに立っていたのは地味な茶髪にそばかすの浮いた顔をした、10代半ばほどの少女だった。
「あなたは、確か……」
この村に着いた時、出迎えに来ていた町長の孫娘だったはずだ。
「エマです、聖女様。聖女様に、お話があって参りました」
「……ここだと声が響きますわ。中へお入りなさい」
ドアを大きく開いてエマを迎え入れると、彼女は少しだけ顔を綻ばせる。
「よかった、追い返されるかと」
「本来、公爵令嬢であるわたくしとふたりきりで話すなど庶民には許されないことですわ。見張りに見つかる前に、用件を話してくださる?」
ヴィニアが促すと、エマは少しまごついたあと、意を決したように口を開いた。
「今日、祖父がマッキンリー公爵領へ護送されました。私たちも、数日のうちに公爵領へ向かうように、と……」
暗い顔で、エマが呟く。
あぁ、祖父を捕らえられた恨みつらみを、今から聞かされなければならないのか、と、ヴィニアは眉を寄せた。
「祖父はこの町のことを誰よりも考えていました。民にも慕われる、優れた町長でした。王子殿下に不敬を働いたのは事実かもしれません、ですが……私たちにとっては、かけがえのない家族です」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐエマに、ヴィニアは内心酷く苛立っていた。
くだらない前置きなどせず、真っ直ぐに罵ってくれば良いものを。
かけがえのない家族だとか、そんなもの、持ち合わせがないヴィニアにあてつけるような言葉は、これ以上聞きたくない。
「……町長は、許されない罪を犯しています。キース殿下に楯突いたこと、わたくしの顔に傷をつけたこと。実際に被害に遭ったわたくしの権限で処罰されるのは、当然のことですわ」
逆立つ心を悟られぬよう、声を押し殺して告げる。
すると、エマはきょとんとした顔をしたあと……柔らかく笑った。
「ですから、お礼を申し上げに来たのです」
「……は?」
お礼?お礼と言ったのか、この娘は。
自分の祖父が捕らわれ、自身も強制的に働かされる未来を知っているくせに、なぜそんなことが言えるのだろう。
なにかの嫌味か、それとも媚びを売りに来たのだろうか。
「あの時王子殿下を殴っていれば、きっと強制労働では済まされない罰が下っていたはずです。それこそ、一族全員が処刑されてもおかしくはなかった。……けれど、聖女様が祖父を庇ってくださいました」
違う。
ヴィニアが庇ったのは、殴られる寸前だったキースの体だ。
辺鄙な町の、薄汚れた老人など、庇ってなんて。
「あくまでただの公爵令嬢を殴ったことにして、公爵家の名前で罰を下してくださったと、最後に家に立ち寄った祖父が教えてくれました。それでも重罪には変わりないけれど、王子殿下や聖女様を殴ることに比べたら、一番罪が軽かった」
「……わたくしを殴って罪が軽い?勘違いするのはおやめになって」
「いいえ、聖女様。勘違いではありません。あなたは確かに、私たちを救ってくださいました。ですから、どうかお礼を言われてください。本当に、ありがとうございます」
頬を涙で濡らしながら、エマが深く頭を下げた。
「……っ」
こんなの、どうしていいか分からなくなる。
これまで、貴族の娘として傅かれることは多くあった。
権力に媚びへつらい、ヴィニアをおだてて持ち上げようとする者も沢山いた。
けれどそういった連中は誰一人として、ヴィニア自身を見つめて、等身大の彼女に言葉をかけてくれることはなかった。
「わたくしは……!お前に感謝されることなど何ひとつありませんわ!気に食わない庶民を私の手で断罪した、それだけよ!わたくしは貴族の娘。それも次期王妃となる選ばれた人間。その身を賭してまで、こんな田舎の老人を庇うなんてありえない!」
「えぇ、存じております。それでも、あなたは庇ってくださった。……はじめは、私も信じられなかったんです。でも、あの後ひとりで教会へ戻って、怪我人たちに治癒を施しているあなたを見たら……驚くほどすんなりと、あなたの優しさを受け入れられたのです」
エマの言葉に、カッと頬が熱くなる。
確かに、ヴィニアはあの後宿の食堂で泥酔してしまったキースを置いて、再び教会を訪れた。
聖女の持つ神聖力には到底及ばないものの、光魔法にも治癒の力がある。
大きな欠損や失明などは治せなくとも、膿んだ傷口を清潔にして、血を止め、治りを早くするくらいならヴィニアにもできるのだ。
どうしていきなりそんなことをしようと思い立ったのか、ヴィニア自身にも分からなかった。
能力だけでなく、心の清らかさまで本物の聖女だったリリネットを追放した以上、その穴を少しでも埋めようと思ったのかもしれない。
あの憎たらしい、それでいて惹き付けられる平民の聖女の足跡を一番そばで見ていたのは、仮にも友人だったヴィニアだから。
あの子の優しさの端くれくらいなら、この町にくれてやってもいいかしらと思った。
それをエマに見られていたのだとすれば、酷く恥ずかしい。
「わたくしは……優しくなんか、ないわ。わたくしを慕ってきた友人を、手酷く裏切って、金輪際関われないようにしてやったわ。それでもわたくしを信じていたあの子を、わたくしは……」
「……聖女様」
いつの間にか握っていた拳に力が入って、長い爪が皮膚にくい込んでいる。
エマは「失礼します」と言って、ヴィニアの強ばった手指を少しずつ解していった。
「聖女様とご友人様の関係は、私のような田舎の町娘には想像することも叶いません。けれど、聖女様がお優しい方だと、私は知っています。そんなあなたが心に留めるご友人もまた、きっと素敵な方なのでしょう」
あぁ、そうだ。
リリネットは素敵な少女だった。
打算ありきで近づいたヴィニアを本当の友達として扱って、公爵令嬢のヴィニアを一つ年上なだけのお姉さんとして慕ってきた。
そんな彼女を裏切るのは、いくらヴィニア自身の大願の為とはいえ、胸が痛まないわけがなかった。
……リリネットはどうしようもなく憎いけど、どうしようもなく彼女が好きだった。
「リリネット……」
小さく彼女の名前を呼べば、エマは「リリネットさんと仰るんですね」と含羞む。
「いつかきっと、分かり合える日が来ます。貴族を恐れていた私が、聖女様を心からお慕い出来る日が来たように。聖女様とリリネットさんの間のわだかまりも、きっと氷が溶けるように小さくなって、やがては消えていくはずです」
エマの気の抜けた脳天気な笑顔が、その日のヴィニアには悪くないものに映った。
いい女には、辛い過去♪




