【幕間】イグニアス王国に差す斜陽
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「魔物の出没?」
部屋に駆け込んできた兵士の報告に、キースは怪訝な表情を浮かべる。
「は、はい。ロベルタ王国との国境沿いの南部森林にて、ゴブリンの小規模な群れが見つかったと報告が……」
「大方ロベルタの撃ち漏らしがこちらへ流れ込んで来たんだろう。最近多い。……それで?討伐は済んだんだろうな」
「それは、もちろんです。南部領主の私兵が巡回していたタイミングでの発見でしたので、その場で討伐が叶いました」
それを聞いて、キースはハッと鼻で笑って兵士を追い出すかのように手を振る。
「ならば、なんの問題もない。俺は今忙しいんだ、そんなくだらないことで時間を取らせるな」
「し、しかし殿下。例えロベルタ王国で撃ち漏らした魔物であったとしても、我が国に侵入するなどというケースはここ数百年間記録にありません!それがこの数日で相次いで発見されるなんて、間違いなく、異常事態で……」
兵士がそう言い募るのを遮って、キースは目の前のデスクをガン!と足蹴にした。
兵士が肩を跳ねさせ押し黙ると、彼はぐしゃりと頭を掻いて口を開く。
「異常事態?雑魚の魔物がたかだか数匹、我がイグニアスの武力の前になんの脅威になる?」
「そ、それは……」
イグニアス王国は、大陸きっての大国。
文明も、環境も、もちろん武力も、他国より頭ひとつ抜けて優れている。
魔物討伐などという、周辺の中小国家でさえ苦にもしていないような些事、わざわざ栄えあるイグニアス王国の次期国王たるキースが心を砕く問題ではない。
「わかったら、仕事に戻れ。万が一魔物が出没しても、それを討伐するのは俺の仕事ではない。お前ら兵の務めだ。こんなところでサボる暇があるのなら、巡回にでも行ったらどうだ?」
キースが嘲笑うようにそう言うと、兵士は「……失礼しました」と頭を下げて退室する。
「……チッ、忌々しい魔物め」
静かになった部屋の中、キースは舌打ちをする。
ここ最近、イグニアス王国の郊外や辺境で、魔物の出没情報が寄せられるようになった。
現れるのはスライムやゴブリンなどの、一般的に弱いとされている普遍的な魔物だが、古代より聖女の結界に守られてきたイグニアス王国ではそれさえも珍しい。
故に、国民は皆不安がっていると先日の議会でも議題に上っていたが……正直、キースはさしたる危機感を覚えていなかった。
魔物が出没するのは決まって国の僻地であり、国土の中心部に位置する王都で生活するキースには関係がないし、見つかった魔物はその地の私兵や警備隊などによって討伐されていると聞く。
すぐに現場で対処出来る問題ならば、中央にいるキースに報告など上げなくてもいいと感じていたし、キースにはもっと高尚な、例えば外交や戦争で国土を広げ、イグニアス王国を覇権国家へと押し上げるプランなどを考えるという、次期国王としての重要な使命がある。
それに第一。
「キース殿下?またお仕事ですの?」
「ヴィニア」
胸元が大きく開いた扇情的なネグリジェを纏い、寝起きの気だるげな色気を漂わせた婚約者が、奥の寝室から出てくるのを見て、キースは口元を緩める。
「いいや、くだらない報告だ。俺が出るまでもない」
「そう?なら良かった。お忙しい殿下のお手を煩わせるなんて、使えない兵ね」
くすりと笑みを浮かべるヴィニアの妖艶な佇まいに、キースはごくりと唾を飲み込んだ。
近づいてきたヴィニアの細い腰を強引に抱き寄せると、彼女は「やだ、もう」と言いながらも満更では無さそうな顔をしてキースの首元に手を回す。
「あぁ、最もだ。どいつもこいつも頭の回らない無能ばかり。誰もが君と同じくらい賢ければ良かったのに」
そう言いながらヴィニアの白い首筋に吸い付けば、彼女は「あっ」と甘く声を漏らす。
今のキースには、この美しくも聡明な、どの女よりも高貴で思慮深い新しい婚約者を心行くまで愛するという、他の誰にも替えが利かない重要な務めがあった。
彼女の体のラインに沿って手を這わせれば、ヴィニアは少しくすぐったそうに身を捩る。
それを見て仄暗い優越感と興奮を感じながら、彼女の赤い唇に自らのそれを重ねた。
***
「全く、なぜこの俺がこんな辺鄙な場所に……」
豪奢な装飾を施した四頭立ての馬車の中、キースは苛立ち紛れに舌打ちをした。
「殿下、お忙しい中わたくしの勤めに付き添っていただいてありがとうございます。教会から、この地方に聖女の力を必要とする民がいるのだと聞いて、居ても立っても居られなくて……」
ヴィニアが申し訳なさそうに眉を下げるのを見て、キースはやれやれとため息をつく。
「ヴィニアは本当に優しいな。魔物の出没が多く、民の不安が大きいため聖女の祈りを捧げて欲しい、だったか?全く、人頼みもいいところだ。……まぁ、愛しい婚約者をひとりで辺境へ向かわせるなど男が廃るというもの。道中の安全は俺に任せるといい」
「まぁ、流石は殿下!頼り甲斐がありますわ。本当に素敵」
嬉しそうにキースの胸へ頬を寄せてくるヴィニアを見ていると、先程までの鬱屈とした気分が晴れてくるようだ。
正直、城にいても父である国王や大臣たちに公務や私生活についてグチグチと嫌味を垂れられるだけなので、こんな僻地であってもヴィニアのような美しい女と旅ができる方が、いくらかマシなのだ。
「あら、そろそろ着くようですわね」
窓の外を覗いたヴィニアが、そう声を上げる。
到着したのは、一昔前の建築様式で建てられた古臭い石造りの家が立ち並ぶ、辺境の町だった。
往来に人の姿はなく、出迎えも町長と思わしき老人とその家族、数人の使用人らしき姿があるだけ。
「ようこそおいでくださいました。王子殿下、聖女様。何もない町ではありますが、精一杯おもてなしさせていただきます」
キースたちの姿を見て、町長が頭を下げる。
「ふん、精一杯のもてなしと言うが、出迎えがこれだけだとあってはたかが知れるな。俺とヴィニアはこの国の次期国王夫妻だ。未来の太陽と月となるべき人間を迎えるのだから、村をあげての祭りのひとつやふたつ、催すのが最低限の礼節ではないか?」
キースが町長を見咎めると、町長は萎縮したように肩を竦めた。
「申し訳ありません。なにぶん、魔物の出没が相次いでおりまして……町民たちには外出を自粛するよう呼びかけているのです」
「それでこんなに人がいないのか。そんなことで、今年の税は納められるんだろうな」
「……はい、力は尽くさせて頂きます」
町長が頷いたのを見て、キースは「ならいい」と鼻を鳴らす。
出迎えの数少ない町民たちは浮かない表情で顔を見合せ、コソコソと何かを囁いていて、それが余計にキースを苛立たせた。
「それでは聖女様、早速こちらへ。町の教会で、祈りを捧げてください」
気を取り直すように、町長がヴィニアに顔を向ける。
キースからすれば、遠路はるばるこんな辺境まで赴いてやった自分たちに、休む暇も与えず本題に入るなど無礼極まりない申し出に思えた。
しかし、当のヴィニアが頷くのを見て喉元まで出かけた文句をしぶしぶ飲み込んだ。
「ヴィニア、こんな小さな町の老いぼれの言うことなど、一々真摯に受け止める必要はない。君はお人好しがすぎる」
町の外れにあるという教会へ歩いて向かう道中、キースは道が悪いだの空気が冷たすぎるだの悪態をつきながら、隣を歩くヴィニアに耳打ちする。
すると、彼女は困ったように笑って「でも、これが聖女の務めですわ」と静かに呟いた。
「さぁ、こちらです」
ところどころレンガの剥がれ落ちた、今にも崩れそうな教会に着くと、ギョッとするような悪臭がキースの鼻をついた。
「おい、この匂いは?」
「あぁ、それは……」
キースの問いかけに、町長は暗い目をしながら教会のドアを開ける。
中は暗く、すぐには何があるのか分からなかったが、途端に先程感じていた悪臭が濃くなって、思わず顔を顰めた。
「……今この教会は、診療所も兼ねているのです。魔物の出没に際し、町を守ろうと勇敢に戦った男たちが、今もここで苦しんでいます」
そう言われて見れば、少しずつ暗さに慣れた目にはたくさんの簡易ベッドが映った。
その上には壮年の男を中心に、中にはまだキースよりも若い少年と言えるような年頃の子供まで、体に傷を負った貧しい身なりの人間が苦悶の表情を浮かべながら横たわっている。
「……病院へは?」
息を詰めたような声で、ヴィニアが尋ねた。
町長は首を横に振ると、「いいえ」と返す。
「この町に病院はありません。隣の村なら診療所がありますが、何せこの状況ですから。数日かけて隣村へ、というのは現実的ではありません」
「なら、彼らはずっとこのまま?」
「はい。初めて魔物が出没してから一週間ほどでしょうか。その間、彼らは満足な治療も受けられず、ここでこのままです。被害者はここにいる者だけでなく、魔物との戦闘で亡くなった者もいます」
町長が説明する間も、横たわった男たちから時折呻き声が上がっていた。
町を守るため、農業しかしたことがなかったような非戦闘員の男たちが命懸けで戦い、傷つくその様は、とても……
「はっ、滑稽だな」
キースの嘲るような声に、町長が固まる。
「田舎の平民は、スライムやゴブリンのような雑魚の魔物風情にも太刀打ちできんのか。たまたま領主の兵が通りかかって命拾いしたな。あぁ、全く嘆かわしい。自分の故郷も自力で守れず、無駄に命を散らすだけ。それでも誇り高きイグニアス王国の民か?俺の治世に弱卒は要らんぞ」
「なっ……」
町長が、拳を握りしめてわなわなと震える。
「なんだ、その反抗的な目は。この俺の言うことに、何か間違いがあるか?」
町長に殴りかかられたとて、後ろで控えている兵士たちの手によって、その拳はキースに届くよりも早くねじ伏せられるだろう。
それでなくとも、幼い頃から騎士に稽古をつけてもらい、素晴らしい才能だと褒められてきたキースにかかれば、こんな骨と皮だけの老いぼれなど全く恐れるに足らない。
「それは、いくら王子殿下といえど……!」
悔しそうに歯ぎしりをする町長を見て、キースは笑みを深めた。
大切なものを踏みにじられても、目の前の男のように権力を持たない下民では、抗議することも叶わない。
あぁ、なんて惨めで、哀れなのだろう。
堪えきれずに笑い出した、その時だった。
先程まで俯いて震えていた町長が、いきなり顔を上げて拳を振りかぶる。
咄嗟のことに身動きが取れず、キースは「なっ」と声を漏らして目を瞑った。
バゴッ!と鈍い音がする。
けれど、キースには少しの痛みも感じられなかった。
「……っ」
見れば、目の前にはキースを庇うように立ったヴィニアの背中があった。
彼女の白い絹でできた修道服には、ぽたぽたと赤いものが垂れて、少し視線を動かすと彼女の鼻から血が滴っているのが見える。
「せ、聖女様……」
「……この、無礼者が」
ヴィニアは静かにそう言うと、大きく平手を振りかぶって町長の頬を打った。
「うっ……!」
町長は頬を抑えてその場に頽れ、恐々とした目でヴィニアを見上げている。
「恐れ多くも、お前は公爵令嬢であるわたくしの顔に傷をつけた。これは重罪ですわ」
「……わ、私は、聖女様を狙ったわけでは……!」
「狙ったわけではない?ならばわたくしの顔をよく見なさい。この痕はなんだと言うのかしら。マッキンリーの至宝と呼ばれるわたくしに手を上げて、言い逃れが出来るとでも思って?」
ヴィニアはヒールを履いた足をガン!と踏み鳴らし、声高らかに告げる。
「お前もお前の家族も、死ぬまでマッキンリー公爵家の為に身を粉にして働きなさい。ちょうどお父様が新しい土地を開墾される予定なの。お前たちはそこで、馬車馬のように扱き使ってあげる」
「衛兵!」とヴィニアが声を上げると、後ろで控えていた兵たちが慌てた様子で動き出す。
町長は両脇を屈強な男に固められて、ズルズルとその場から引き摺り出されて行った。
「は、ははっ……!全く、これだから脳の足りない下民は困る……!気に入らないことがあれば、すぐに暴力だ。これでは猿と何ら変わりがない。いいや、猿だってもっと賢いだろうな」
キースが乾いた笑みを漏らせば、ヴィニアは「……えぇ、本当に」と眉を顰めた。
「ヴィニア、すぐに着替えてくるといい。俺の隣を歩くのに、血で濡れた服など君も嫌だろう」
「はい、すぐに着替えますわ」
ヴィニアは服の袖で鼻と口元を隠し、目だけで微笑んでいた。
キース、やなやつ




