初デート
「楓、起きなさい。雨止んだわよ」
声がする。夕立の音が消えてほんのりと雨の残り香と柑橘系の柔らかい香りがする、僕の頭に凛と響く声と、優しく頭を撫でられる感覚に意識がはっきりとしてくる。これでこの氷嚢のゴリゴリする冷たい感触がなければ最高なのにと思いながら寝返りをうった。
柔らかくも温かい感触がして、更に意識がはっきりしてくる。これは夢の膝枕なのではないだろうかと目を開け、仰向けになって見上げた彼女は呆れたような顔をしていた。やっぱりキレイな顔をしていると改めて思う。
「お姉さんの膝枕でいい夢見れた?」
今がその夢見心地と言いたいけど、言ったらまた頬を引っ張られるか頭を小突かれるかすると思うので、笑顔だけ向けることにする。
「頭は痛くない?」
また頭を撫でられるとくすぐったくて目を細めてしまう。昔母さんがくすぐったいのは小さな幸せの集まりなのよと言っていたけど、こうされていると本当にそうなのだと思えてくる。
「うん、痛くないよ。桜子ねえさんありがとう」
身体を起こして首を傾げて痛むかを確認しながらそう答えた。酷ければ薬を飲んでも痛みが消えないこともあるし、心臓の鼓動に合わせて首から上の激痛と吐き気で意識が飛びそうになるときもあるのと比べるとこんなにスッキリと目覚めることが出来たのは桜子姉さんのおかげなんだと思う。
改めて背伸びをして桜子姉さんを見つめた。紫のなでしこ柄の浴衣に真っ赤な帯がよく映えて綺麗だ。また綺麗と言うと怒られそうだから何も言わないけど、この人がお嫁さんになるんだと思うとやっぱりニヤついてしまう。
最初に会ったときから綺麗な人だと思っていたし、あの頃は腰まで届きそうな黒髪でスラっと伸びた長い脚にセーラー服が本当に似合っていた。
「桜子は性格に難があって嫁の貰い手もなさそうだ、それなら楓がお婿にこないか」
3年前のお正月にほろ酔いの叔父さんに言われて、こんな人がお嫁さんになってくれるならと、それからはお婿さんになるために日々頑張っている。頑張っていると言っても、桜子姉さんが喜ぶことを一生懸命探しているだけなんだけども。
「僕は浴衣無いからこの格好でもいいかな?」
頭痛のせいで余り外出が出来ないから、正直そう言った季節者の服装やレジャー用品という物を何も持っていない。桜子姉さんみたいな人と歩くには不釣り合いだと思うし、もう少し身長が有ったりしたら均整が取れると思うんだけど。
「いまさら何を気にしているのよ、あなたお婿さんになるんでしょう。もう少し自信持ちなさいよ、女の敵みたいな顔してるくせに」
後半はなにかブツブツとよく聞こえなかったけど、何を言っていたんだろうか。首を傾げて考えているとまた桜子姉さんに頭を撫でられた。
「暗くなる前に出かけるわよ」
下三白眼の桜子姉さんに見つめられると、どうもお婿さんという立場は弱いのかもしれないと思ってしまう。
玄関でも桜子姉さんの方が先に草履を履き終わって、僕に手を差し伸べてくる。やっぱり立場が逆な気がすると思いながら桜子姉さんの手を掴んだ。桜子姉さんから柑橘系の柔らかい香りがして気恥ずかしさを感じながらも見つめてしまう。日も落ちかけて空がオレンジから紫に染まって行って、その紫と桜子姉さんの浴衣の紫と帯の赤が凄く濃く浮かび上がっている。僕たちはひぐらしの鳴き声を聞きながら歩き出す、これが初デートと言うやつになるに違いない。
雨が上がり黄昏時を過ぎてやっと過ごしやすい気候になってきた。遠くで聞こえるひぐらしの鳴き声を聞きながら、私と楓の二人で歩いている。
そう言えば昔もこんな感じで歩いた事があった。あの頃の楓はまだ元気で、一緒に出かけることも出来てたっけ。私としては10歳になったばかりの従弟と出かけたというよりは、大人たちがお盆に集まって昼から大宴会を開いているから小さい子のお守りをやらされた気がして少しつまらなかった。実際楓も大人しくて私の後ろをついて回っていただけだけど、あの頃は今と違って可愛げがあったような気がする。まあ、今では違った趣があると言うか何と言うか。
「楓が小学生だったころもこの道歩いたわよね」
私が過去の楓の事を思い出しながら話しかけると、昔よりも私の近くにいる楓はにこやかに答えた。
「そうだね。小川を見に行ったり、カブトムシやセミを捕まえようって頑張ったよね」
楓は特に頑張っていなかったような記憶だが、触れないとか言って私が捕まえたんではなかったか?
「私が頑張った記憶しか無いけど?あなたは触れないって言っても見せただけで逃がしちゃったでしょ」
楓はそうでしたっけと言わんばかりに自分の頬をかきながら苦笑している。黄昏時から段々と夜になっていくに連れて、遠くのお祭りの明かりが見えてくる。和太鼓のリズミカルな音を聞きながらこれから向かう神社の階段には提灯が並び、なかなかの雰囲気だ。
「あの頃の楓はおとなしかったわよね、今と違って」
ちょっと意地悪な言い方をした気がするが楓はへそを曲げていたりしないだろうかと、少し楓の様子を気にして見た。楓はと言うと先程までの苦笑からコロっと表情を変え笑顔で答えた。
「僕は緊張してたんだよ、桜子姉さんはきれいだから。だからおとなしかったんだと思うよ」
また歯の浮くような台詞をと思い、楓の脇腹に手を伸ばし思いっきりくすぐった。身じろぎしながら抵抗する楓を見て、また少し安心する。今日は本当に調子が良くてよかった。
「あなた、あんな小さい頃からそんな事考えてたの?」
くすぐるのを止めて、また歩き出しながら楓に質問を続ける。
「歳は関係ないでしょ。僕の初恋だもの」
ドキッとして振り返ると楓はまたくすぐられるのかと身構えている。変なことを言うからもうそういう雰囲気でもなくなってしまった。何も言わずに楓に手を差し伸べた。楓も何も言わずに握り返してくるが、指を絡ませてこない辺りまだお子様だ。
「いつから好きだったのよ…」
もう楓の顔は暫く見られない気がする。私の顔は赤くなっていないだろうか、楓は気がついたりしていないだろうか、夜の帳も落ちて街灯も疎らな田舎で助かった。落ち着く時間がほしい。
「うーん、多分あの日からだよ」
多分とは何だと少し腹が立ったがあの日も色々とあったのだった。初めて楓が片頭痛を起こしてさっきまで私にカブトムシやセミを押し付けられて走り回っていた子が前触れもなく泣き出して。いや、私は虫嫌いの子に意地悪しすぎたと思って肝を冷やして駆け寄ったら楓が頭を抱えて、痛い痛いと泣き出していたんだった。
「そうね。あの日は大変だったわ」
急に泣き出していた従弟に私も混乱して泣きそうになってしまったが、なんとか気持ちを切り替えて楓をおんぶして家まで走って帰った。すっかり出来上がっている酔っぱらいの父たちを目にした時には、私の気持ちも楓のことも蔑ろにした大人たちが嫌だったのか、やっと大人のいるところについた安心感だったのか分からないが涙が溢れて怒鳴り散らしながら楓を助けろと騒いだのだった。
「あの日はね、桜子姉さんが泣いてるの嫌だったんだ。僕が泣かせてしまったから、こんなきれいな人を泣かせちゃいけないって」
王子様になるにはちょっと身長が足りない気もするが、楓がなんで私に良くしてくれるのか何となくわかった気がした。
「あの後も大変だったわよ。うちの病院で検査してみたら不整脈が出てて今度は大学病院で検査でしょう」
頭が痛いと泣く楓の脈を測って、頭痛の原因が脈拍の異常じゃないかと直ぐに心電図取った父もまぁまぁやるじゃんと思ったもんだが、結果どうしたら治るのか問いただしたら分からんとしか言わない父はやっぱりダメだと感じたんだった。
「大変だったよね。僕頭痛いって言っているのに大学病院に行ったら今度は頭に針いっぱい刺されてさ、中からも外からも頭痛くて検査中ずっと泣いてたもの」
本当にそうだ。私はどうしても付き添うと言って一緒に大学病院まで行ったのに何も出来なくて、検査室の中で楓が泣いてるのを聞きながら神様に願ったり、周りの大人に怒鳴ったりと酷いものだった。今にして思えば私は悪くないとか、楓に良くなってほしいとかもう感情が混ざってしまって混乱していたんだと思う。
「私もあなたが泣いてるのを聞くたびにどうしていいのかわからなかったもの」
暫くの沈黙の後に、楓が私の手に強く指を絡めて握ってきた。そのほんの少しの力強さと暖かさに、私は楓を見る。
「ごめんね、もう泣かせたりしないから」
少し後ろを歩いている楓の顔を見るとすごく真剣な顔をしていた。いつもは目尻が下がり、垂れ目の印象だがまあまあ格好良かった。これなら私のお婿さんでもいい気がする。
「頑張りなさい」
と言ってお姉さんらしく楓の頭を撫でてあげる。そうだ、あの日も大学病院に向かう車の中で私がずっとこの子の頭を撫でていたんだった。癖になりそうと言っていたがもうだいぶ前からやっていたことだった。
そんな話をしている内に神社にたどり着いてしまった。私達の関係に初々しさもなんもあったものではないけど、なんとなく記憶と気持ちの整理が出来た。今はこのお婿さん候補に泣かされないように楽しく過ごすことにしよう。
神社の境内への階段を楓のペースに合わせながらゆっくりと登っていく。激しい運動が出来ないだけでこれくらいは大丈夫だと思うが、楓もいつもよりも気にしている様子だ。階段を登るにつれ、屋台からソースの匂いがしてきて否応なく食欲は刺激される。鳥居の前で二人仲良く一礼をして、和太鼓の音と人々の楽しそうな声が響く境内に2人で手を繋いで入っていく。これが世にいう初デートというやつに違いない。




