サルコイドーシス
ほぼ一日がかりでの転院になって最初は楽しんでいた楓も車椅子では不自由な思いを強いられることが多く、東京についた頃には疲れが見えてきたのだが、首都高に乗り東京の町並みが見え始めた辺りから興奮し始めた。
「へー、東京って青空がないって本で読んだけど本当なんだね」
楓は車での移動中に窓から見えた東京の空に前時代的な感想を口にする。
「今日は曇りなのよ、こっちだって青空位あるわよ」
首都高から見える新宿の高層ビルを見ながら、確かに曇り空だと余計に暗く感じるかもと私が考えていると、楓はキョロキョロと首を動かして感嘆の声を上げている。
「今のビル見た。金色だったよ?筋斗雲?上に行ったらどうな感じなんだろう」
ビール会社のビルを見ながらやっぱりあれは気になるよねと数年前の自分を思い出す。そして自分と同じような感想を言われると思わずほほ笑んでしまう。車を運転中の楓の親父さんは私と楓のやり取りを見ながら教えてくれる。
「長野には景観を維持するために余り大きな建物は立ててないですからね」
確かに長野には所謂高層ビルと言うものはないし、あっても5階建てだのそこら辺が多い。なるほどそういうことなのか。
「退院できたら東京タワー行きたいな」
前向きに考えるのが楓の長所だと思うが、そんなに順調に進むとは思えない。私は何も言わずに黙って頭を撫でてあげるしか出来なかった。
楓が私の大学病院に来て3日が経った。私も夏休みの間は出来るだけ楓の近くにいれるようにしようと思い、結局1日中楓に付き添って検査に立ち合っている。昨日は早速採血、レントゲン、心電図、心エコー、MRIの検査とほぼ検査で1日が過ぎてしまった。
医大生としては1日でこれだけ検査に立ち合えると私自身もいい経験になるのだが、心エコー辺りから気が気でない思いをしながら過ごしていた。病院の個室で3人で晩ごはんを食べていたが余り味がせず食欲がない。
楓本人はとても美味しそうに病院食を食べている。楓より私や親父さんのほうが疲れているというか滅入っているように思ってしまう。
「あんた、病人の割に元気ね」
ついそんな言葉が口から出てきてしまう。今まで原因不明だった諸々の原因もしかしたら明日には判明するかもしれないのに、当の楓は何を考えているのだろう。
「だって僕がなんか出来るわけじゃないじゃない」
いや、その通りなんだけど。この子はなんでこんな風に考えるのだろうかと思ってしまい楓の親父さんに聞いてしまう。
「なんでこんなに達観してるんですか、この子」
私の疑問に一瞬不思議そうな顔をして親父さんが答えてくれる。
「私の育て方のせいですかね。自然の中で育って生きていると私達では何ともならないことが多いないですか。だからそんな事をよく言ってたんですよね」
まあ、確かに雪が凄かったりする事もあるし、そういう考え方もあるのかと改めてこの2人の事が好きになる。
「桜子姉さんが都会に毒されてるってことはない?、大丈夫?」
多分、楓は純粋に私のことを心配したんだと思う。が、私はそんな2人とは育ちが違うのだ。楓が逃げられないのを良いことに私はかえでの頬を思いっきり引っ張ってやる。本当にこの子は学習しないと思うが、それもこの子の魅力なんだろう。
「私だってほぼ同じ環境にいたわよ、家庭環境の違いよ」
あんたは親に恵まれているとは思っているが絶対に言えない。羨ましいと思う所は多いがこの子自身が恵まれた環境に居たわけではない。
私が少し塞ぎ込んでいるのを察してか親父さんが話題を変えてきた。
「明日には検査結果が出てくるでしょうから」
そうだ、明日になれば色々と分かってくる。まずは明日だ。
翌日、私達はあまり馴染みの病名を告げられる事になった。
「サルコイドーシスですか?」
全員で顔を見合わせる。私も不勉強だ、全然わからない。
「正確に言うと心サルコイドーシスといいます」
また全員で顔を見合わせる。駄目だ、さっぱり分からない。理解が追いついていない私達に先生が続ける。
「心臓の細胞が変異しています。癌みたいな悪性ではないんですよ?。ただ、これは私達医師で話し合って告知したほうがいいとなったので本人にも、ご家族にも伝えます」
先生が一呼吸間を開けたので、私達も息を呑む。私は震えていたようだ。楓に手を握られて初めて自覚した。
「大分進行してますので、いつ心不全になってもおかしくありません。なので運動は諦めて」
目の前が真っ暗になった。感覚が鈍くなって音が遠ざかって行くような錯覚に襲われる。先生は話を続けているが口が動いているのがわかるだけで何を言われているのか私にはもうわからない。後の事はあまり覚えていなかった。他の所にも腫瘍がないか検査をするとか、難病指定だから国からお金が出るかもしれないとか楓の親父さんが後々教えてくれた。
楓も流石にショックだったようで、ここ数日は口数が少なくなっている。楓の下半身の麻痺の原因は私にある、私自身も楓にどう接していいのか分からなくなってしまっていた。
私の部屋にあった本や図書館から借りてきた本を持っては来たが、楓の病室へ向かう足取りが重くなっている。深くため息をついて病室の扉をノックした。
「どうぞ」
短く返事があり、私は意を決して扉を開けた。看護婦が採血をしていたようで後片付けをしている。楓は左腕を押さえながら、私に笑顔を向けてくれる。
「楓おはよう。体調はどう?、今日は本を色々準備してきたわよ」
私は出来るだけ元気に声かけたが、一方的に言いたいことを言ってしまった。自然な会話を意識してみるといつも通りと言うのはなかなか難しい。
「うん、今は血を抜かれたからちょっとクラクラするけど元気だよ」
楓は押さえていた腕から手を離して、絆創膏を見せてくる。子供が泣かなかったのを自慢して来たように見えて私は鼻で笑ってしまった。その隣では、居合わせた看護婦もクスクスと笑っている。
「採血したぐらいで自慢気にならないでよ」
私は楓の頭をひと撫でして、テーブルに本を出しながら楓に話しかけた。その様子を見ていた看護婦がにこやかにごゆっくりと声をかけて出ていった。
持ってきた本は私の部屋に有った推理小説と最近売れているというエッセイだか、短編小説を持ってきた。図書館で見かけた時にパラパラと捲ってみて、先日楓と親父さんが言っていたような考え方が書いてあったのでいいかなと思って借りてきたのだ。
「出歩けないし、本を読むくらいなら負担にならないでしょう」
図書館で借りてきた本を手にとって楓に渡した。楓は不思議そうにその薄い本を不思議そうに見ているが、私の態度はわざとらしかっただろうか。
「なんか最近売れてる本なんですって、人気の本コーナーにあったから借りてきてみたの」
私から説明を受けてパラパラと本を捲って読んで笑っている。やっぱり楓の笑顔が一番癒やさせる。
「ありがとう桜子姉さん、そっちの本は?」
私の部屋に有った推理小説で三毛猫が出てくるのだが、何となく楓が猫っぽいので持ってきた。
「こっちのは私の家にあったやつだから、いつ読んでもいいわよ」
ふーんと興味なさげに何冊もある文庫本の表紙を見ては首を傾げている。たしかに表紙を見ると男の子には面白そうな気がしないのかもしれない。
「表紙で判断しないでよ。私この本好きなんだから」
「そうなの?、なら早く言ってよ」
楓は急に態度を変えて私に向き直る。私はシリーズの順番に並べて棚に並べていく。楓の手に持っているのが一巻だから、それはそのままテーブルでいいだろう。
外を見たらいい青空だった。長野に比べたらまだ暑いかもしれないが秋空を見ながら散歩もいいかもしれない。
「お昼終わったら散歩でもいきましょうか」
私の持ってきた推理小説を読みながら、楓が驚いたような顔をする。
「でも、今日先生からなんか説明があるって言ってたからその後でもいいかな?」
ああ、親父さんがそんなこと言っていた気がする。
「そんな事言ってたわね、ごめん忘れてたわ」
楓の頭をワシャワシャと撫でながら謝った。こんな感じに話したり出来てたらそれでいいじゃないかと思いながら空を見上げた。
午後、楓の主治医がやってきた。私の通う大学病院ではあるが、内科外科と専攻が違う私はこの先生のことをよく知らない。先日と同じように楓と親父さんと私の三人で話を聞く。如月という先生は、白髪があったり、無精ひげがあったりと少し見た目に不安があるが、大丈夫なんだろうか。今度誰かに聞いてみよう。
「楓君の心臓の件ですが、このままですといつ止まってもおかしくないとお話ししたと思います」
私達としっかり目を合わせながら話してくれる、この如月という先生は以外といい人なのかもしれない。この前は最初の衝撃が大きすぎて後の事は何も覚えていなかったので、先生の事も忘れてしまっていた。
「現状では楓君の胸にメスを入れて完治させてあげることは難しいのです。申し訳ありません」
如月先生は私達に頭を下げて、改めてこれからの事を話し始めた。
「ですが心臓の動きが鈍くなっているので、それを電気的にサポートするペースメーカーを植込む手術をと思っています」
ペースメーカーと言えば心臓に取り付けて、心臓が動くように電気的に刺激を与えるものだ。
「それをつけるとどうなるのでしょか?」
親父さんが堪らず口を挟んだ形で確認する。自分の息子の身体に、しかも心臓にメスを入れられるのは黙ってはいられないだろう。
「一応、心不全のリスクは格段に減ります」
それは日常生活に戻れると言うことなのだろうか。
「付けたら、出かけられますか?」
楓の中ではまだ上手く情報が処理できてないのだろうか、子供っぽい質問だった。
「ある程度日常生活を送ることはできるようになると思います。運動ができるかどうかは、それとは別に治療していかないと」
楓は、ふっーと息を吐き私達を見た後、先生を見て決心したように口を開いた。
「僕は東京タワーに登ってみたいから、その手術受けたい」
楓は私と親父さんに頭を撫でなられ身動ぎしている。全くこの子は無駄に前向きなんだから。
「ある程度のリスクもあるのでしっかりとお話しをさせていただいた上で準備していきましょう」
そんな直ぐに患者自身が前向きになると思っていなかったのか、如月先生は少し焦ってしまったようでハンカチを取り出し汗を拭いて話を続ける。
後日。私は楓と病院の敷地を散歩していた。散歩と言っても私が車椅子を押して歩いているだけ、楓自身は風景より私の方を見ては満足げに笑みまで浮かべている。まったくこの子は難病指定を受けたのにどこまで前向きなのだろうと思ってしまう。まるで真剣に現実をみようとしている私が馬鹿みたいだ。
「東京の青空もまあまあでしょ」
楓もうーんと背伸びをしながら、私に目を細めてはいるが笑顔で見上げてくる。
「外は気持ちいいね、少し埃っぽいけど東京も悪くないね」
埃っぽいは余計だと思うが、私も長野からだがこっちに出てきた時はそんなことを思っていた気がする。
楓の心臓は治らない、というか治せないと分かった。私にはまだ納得がいっていない。私のせいで楓がずっとこんなままなんてゴメンだ。私に何か出来ることはないのだろうかと二人で散歩しながら考えてしまう。
もし、私が外科医になって楓の心臓移植とかそういう事ができる立場になったらどうだろうか。私にそんな事ができるようになるかは分からない。でもそれはやってみなければわからないじゃないか。
「楓。私が外科医になってあなたを治してあげるって言ったらどう思う」
楓は不思議そうに私を見上げてポカーンとしている。何考えているか分からないが大丈夫なのかしら。
「それはずっと一緒って事?」
いや、多分そうじゃないのだが。まあ結果的にはそうなるのかもしれない。
「もしもの話よ。うまくいくか分からないし」
「それでも僕は桜子姉さんと居られるなら、それがいい」
やっぱりこの子は笑顔で見上げてくる。楓は車椅子を押す私の左手を握り、気恥ずかしそうにプロポーズでもするかのようにはにかんだ。
私も気恥ずかしさに空を見上げると秋の空が広がっていて、季節が動き出したことを教えてくれている。




