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086⚫️拍手をふたつ

彼は最近、物忘れがひどい。二階に上がった途端、自分が何を取りに来たのか分からなくなる。ふとした瞬間に意識が「世界線」を越えてしまうのだ。

思えば、拙い創作を始めた頃から不穏な空気が漂っていた。出勤中のバイクの上でストーリーの展開に没頭し、いつの間にか見慣れた交差点を逆方向に曲がっていたことも一度や二度ではない。


現実の仕事でミスが増え始めた。不安に駆られて受けた認知症のネット診断は、皮肉にも「満点」だった。調べてみれば、脳のワーキングメモリを過剰に消耗しているらしい。ならば、原因は一つ。オンとオフの切り替えが壊れ始めている。心が勝手に「あちら側」へ飛んでいってしまうのだ。

これは危ない。彼は自衛策を講じることにした。運転中は、思考の余白を埋めるように頭の中で好きな曲をフル再生する。仕事中は、決して境界線を越えないと自分を律する。

そして・・・安全な自宅で、誰の邪魔も入らない時間。「世界線をこえる」時には、静かに拍手を二度。現実へと帰還する時には、一度。

今、深夜の静寂の中で、彼はゆっくりと手を合わせた。

乾いた音が二度、鳴り響く。

さあ、行くぞ!


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