第9話 残された配線
「開け方を知ってるのか」
レンが尋ねると、シグは廊下の先を見た。
「話はあとだ。まず荷を置け」
ガドが戻ってきて、待避室の扉を開けた。厚い鉄の扉には内側から掛ける横棒が二本あった。床は乾いていたが、棚に並ぶ缶は口が開き、底に白い粉が固まっていた。
「ここの備蓄は使えん。持ってきた分だけだ」
ガドは隊員に荷を下ろさせ、入口に残した一人も呼び入れた。外の荷車には空箱だけを残したという。
壁の図で、セナが給脂口脇の扉を指した。
「今通ったのがここ。北にも階段がある」
「途中から落ちてる。二階の窓の下も同じ溝だ」
シグが言った。セナは確かめに行き、間もなく戻った。首を振っただけで、レンにも答えは分かった。
来た道を戻るしかない。
ガドは廊下の音を聞き、ミオへ向き直った。
「近い部品庫だけ調べる。暗くなる前にここへ戻れ。明朝、荷を出す。奥へは行かん」
ミオが頷いた。入口を出てすぐの区画に目的の棚がある。そこならば、何かが来ても待避室へ戻れるという判断だった。
レンは杖を持ち直した。シグに聞きたいことは残っていたが、ガドの後ろへついた。
部品庫の戸を開けると、乾いた油の臭いがした。
棚に吊るされた札は、ほとんど読めなかった。ミオは一つずつ持ち上げ、裏側の数字を探した。レンは指された箱を手前へ寄せる。棚から降ろすのは隊員に任せた。
三つ目の箱の中に、油紙で包まれた部材があった。
ミオが包みを開く。細長い金属片に、浅い溝と小さな穴が並んでいた。彼女は規格票と照らし合わせ、測り具で厚みを挟んだ。
「合う」
もう一度、穴の間隔を測った。
「使える。少なくとも、ここは直せる」
レンは自分の膝を見た。あの中で引っかかっているものを外して、これに替える。そんな簡単な形で、この痛みの一部は終わるのかもしれない。
「今、替えられないか」
「ここで開いたら、削り合わせが済むまで動けなくなる。固定台のあるところでやる」
ミオは金属片を包み直し、箱の中へ布を詰めた。ほかにも同じ型を二つ確保し、隊員へ渡す。レンは蓋を押さえ、紐を掛けた。
隣の部屋で、声がした。
「点検後は、隔壁を閉じてください」
レンの手が止まった。
開いた戸の奥に人影はない。書類棚と机、その上に口のような格子を持つ小さな箱があった。
「点検後は、隔壁を閉じてください」
同じ抑揚だった。ただ、最後の息が少し掠れた。
「人がいるわけじゃないよ」
ミオは戸口から箱を見た。
「残響機関。人の声や仕事の手順を残して、機械を動かしてる」
「録音か」
「声だけのもある。状況を見て選ぶものも。これは同じところを繰り返してるみたい」
レンは一歩だけ中へ入った。
机に置かれた手袋は、指が曲がった形で固まっていた。持ち主がここを出たあとも、箱は隔壁を閉じろと言い続けたのだろうか。
ミオは壁に留められた図を照らした。
炉を表す円から線が何本も出ていた。太い線は途中で折り返し、図の端の長方形へ集まっている。その横に、昇界門と書かれていた。
「門につながってる」
レンが言うと、ミオは図の下端を指で払った。
「昔はね。今も通ってるかは別」
隅に小さな注意書きがあった。
『外部給電断時、開放保持時間短縮』
数字の書かれていたらしい部分は、剥がれて読めなかった。
「すぐ閉じるってことか」
「短くなるとしか分からない。どれだけ保つか、この図だけでは言えない」
ミオは帳面を開き、線と文字を書き写した。レンは門へ集まる線を目で辿ったが、部屋を出るガドの合図に気づいて離れた。
戻る途中、廊下の横に幅広いシャッターがあった。下半分が捲れ、隙間の向こうに大きな吊り鉤が落ちている。天井の軌条は、その真上で途切れていた。
シグが暗がりを指した。
「核を運ぶなら、まずこれを直す」
「核?」
「錨核だ。腕に抱えて歩ける重さじゃない。あの吊り具で引き上げ、荷台へ下ろす」
レンは近くの扉を見た。『炉心室』の文字が残っている。閉じた扉の縁には、厚い塗膜のような汚れがこびりついていた。
「中にあるのか」
「そうだ」
レンが足を向ける前に、ガドが止まった。
「今日はここまでだ」
シグは何も言わずに先へ歩いた。レンも、扉から手の届かない距離を保って通り過ぎた。
待避室へ戻るころ、窓の隙間は暗くなっていた。
セナが水を杯へ分けた。レンは口元が開くのを待ち、少しずつ飲んだ。明日の帰路の分を残すと、容器の底が随分浅く見えた。
部品の箱を壁へ寄せ、毛布を敷いた。ガドたちは交代で扉の外を確かめていた。レンは右脚を伸ばして座り、指先で帯の縁を緩めた。
シグが隣へ腰を下ろした。
「何と出た」
「何が」
「ここから出る条件だ」
レンは兜を向けた。シグはその奥を覗くのではなく、答えを待っていた。
「三つの炉で、核につないで証印を取る。それから三基を門へつなぐ。門衛を止めて、開いてる間に通る」
「核を回収して運べとも出ただろう」
レンは頷いた。
初めて、表示の内容を他人の口から聞いた。
「俺も運ぼうとした。荷役機が壊れて、そこで止まった」
シグは右手を膝へ押しつけた。指が一本だけ、小刻みに動いていた。
「門を見たのか」
「受け口まで行った。核を据える場所が三つある。道も知ってる」
帰れない、ではなかった。運べない。直せていない。
それなら、部品を探すこともできる。ミオが図を読むように、読める者を見つければいい。レンは、ずっと遠くにあった門が、少し近づいたように感じた。
「さっきの線を直すのは」
「地下へ潜るつもりか。どこで切れてるかも分からない線を?」
シグは首を振った。
「運ぶ方が確かだ。明日は、まずお前が歩ける部品を持って帰れ」
レンは頷いた。シグの手が震えていることを、もう一度尋ねようとした。その前に男が立ち上がり、扉の方へ行った。
横になってからも、レンは門の受け口を思い描いた。
その形をまだ見ていない。それでも三つの核を置く場所があるという話は、意味の分からなかった文字より、ずっと手で触れられそうだった。
明け方、靴音で目を開けた。
ガドが扉の横棒を外していた。隊員が箱に紐を掛け、ミオが工具をまとめている。セナは外から戻り、廊下は見える範囲で空いていると伝えた。
レンは帯を締め、杖を取った。
最初の箱を持った隊員が、扉を出かけたときだった。
廊下の奥で、重い留め金が外れた。
続いて、床を押す音が二つした。
「戻れ」
ガドが隊員の肩を引いた。
レンは扉の隙間から外を見た。給脂口脇の出口へ向かう角で、背の高い機体が脚を伸ばしていた。畳まれていた腕が開き、壁の配管を擦った。
昨日通った道を、その胴が塞いだ。
ガドが扉を引いた。セナが横棒を差し込む。
鉄の向こうで、足音が止まった。




