第10話 膝を折る機械
扉の向こうで、金属が擦れた。
横棒が受け金の中で動いた。セナが伸ばしかけた手を、ガドが押し戻した。
「離れていろ」
もう一度、下の方を押された。扉は耐えたが、蝶番から細かな錆が落ちた。
レンは杖を握り、右脚を少し引いた。部屋の奥へ退くほど、機体との間に残るものがこの扉一枚だけだということが、はっきりした。
「待てば戻るか」
ガドの問いに、シグが首を振った。
「前は一巡で戻った。今は止まる場所も違う」
ミオが残った水の容器を閉じた。北階段は崩れている。ここに何日も籠もることはできない。
足音が少し遠ざかった。
ガドは上の覗き穴を開き、しばらく外を見た。それから壁の図へ指を置いた。
「こっちへ引く。出口の前を空ける」
待避室の外は、荷を運ぶ広い廊下だった。出口は右。その手前に機体がいる。左へ行くと、炉心室の保守扉へ沿って、細い点検通路が続いていた。
「ここは、肩を並べて二人通れるくらいだ」
シグが言った。
「腕を広げたままじゃ入れない。膝が曲がると、脇の制御箱が出る」
ミオも覗き穴から外を確かめた。
「腰の下の箱だね。蓋がずれてる。そこなら外の厚い板を切らなくていい」
ガドは通路の両脇にある支柱を指した。一本は炉心室の壁側、もう一本は荷役場側にある。そこへ索を回し、左右から脚を引くという。
「俺とこいつで引く。お前は通路の手前で止めて、荷役場側へ抜けろ」
レンは図の短い横道を目で辿った。敵の脇をすり抜けるのではない。曲がって柱の陰へ退けばいい。
「三秒しかない」
「三秒で掛ける。引くのはそのあとだ」
ガドが索の輪を作った。シグももう一束を受け取った。
レンは杖をセナへ預け、左手首に索の根元を留めた。ガドが向き直るのを待ってから、短く息を吐いた。
「いける」
セナが横棒を外した。ガドが扉を細く開け、先に盾を出す。レンはその後ろから廊下へ出た。
機体の頭が回った。
背丈はレンより頭二つ分高い。両腕の先に太い爪があり、足の裏には三枚の板が開いていた。腿の隙間に詰まった赤黒いものが、駆動音とは違う速さで脈打っている。
ガドが盾で壁を一度叩いた。
機体の足が上がった。
レンは左へ退いた。最初の二歩はガドの盾に隠れ、そこから先は自分の足で距離を保った。膝の帯がきつい。床には落ちた留め金がある。踏まないよう、歩幅を小さくずらした。
ガドが支柱の陰へ消えた。反対側へ回るシグの装甲が鳴った。
レンの前には、もう誰もいなかった。
爪が伸びた。まだ届かない。そう思った直後、肘の部材が滑って腕が長くなった。
レンは横へ身を寄せた。爪が肩の板を掠め、石壁に白い筋を引いた。
機体の肘の裏には、開いた接続口があった。そこへ鉤を振った。一度目は縁を滑った。索を短く引き、次に爪の一つを穴へ引っ掛けた。
指の付け根に冷たさが走った。
レンは影縫いを使った。
駆動音が消えた。上がりかけた足が重さで落ち、床が震えた。膝の奥の赤黒いものは、まだ縮んだり緩んだりしていた。
「今だ」
ガドの輪が片脚へ掛かった。シグも反対の脚へ輪を送った。レンは索を緩めながら、荷役場側の横道へ下がる。
一歩。柱の角。もう一歩。
駆動音が戻った。
ガドが索を引き、機体の右脚が支柱へ寄った。シグも後ろへ下がろうとした。
灰白色の膝が、途中で止まった。
足が床から離れない。上体だけが傾き、シグの手から索が少し滑った。
機体の左脚が外へ開いた。
左右から折るはずだった膝が、片側だけ沈んだ。胴がこちらへ回る。レンの鉤が引かれ、手首が前へ持っていかれた。
右足で踏ん張りかけた。膝の内側が裂けるように痛んだ。
受けるな。
レンは余りの索を送り、左足で柱の向こうへ回った。機体の爪が、さっきまで立っていた場所を叩いた。手首への力が少し緩む。
「シグ!」
ガドが叫んだ。
シグは動かない脚を引きずり、索を柱へもう一度回した。腰を落とす。輪が張り直されたが、胴は斜めを向いたままだった。
その下に、小さな箱が見えた。
ずれた蓋と、白い陶器のような部品。そこへ伸びる線が二本、脈打つ肉の間を通っている。
正面へ回る必要はなかった。機体が捻れたぶん、箱が荷役場側へ向いていた。
レンは刀を抜いた。
右膝を曲げずに届くか。柱から肩を出して距離を測った瞬間、爪が壁を擦りながら戻ってきた。
もう一度、影縫い。
機械の音が途切れた。腕は途中で下がり始めたが、肉の束が急に縮み、爪先が跳ねた。レンは顔を引き、その下へ刀を入れた。
刃先を蓋の隙間へ差し、押し広げる。厚い装甲ではない。それでも、手首に硬い抵抗があった。
左手を柄へ添えた。指先の感触が鈍い。
蓋が外れた。
ガドの索が鳴る。レンは刀を引き、白い部品の根元へ短く突き込んだ。乾いた音がして欠片が散った。刃を捻ると、線の留まった板が割れた。
駆動音が戻りかけ、低く詰まった。
機体の腰が沈んだ。
「退け!」
レンは刀を抜いた。倒れる胴に鉤が挟まれ、索が張った。手首の留めを押す指が滑る。
もう一度押した。
留めが外れた途端、黒い索が床を走った。
レンは柱にもたれ、左脚で身体を支えた。機体はガドの索に引かれる側へ傾き、炉心室の保守扉へ肩から倒れ込んだ。
大きな破裂音がした。
古い受け金が壁から抜け、扉が内側へ折れた。乾いた熱気と、積もっていた埃が通路へ吹き出した。
機体は動かなかった。
奥の肉が小さく震えていたが、脚も腕も持ち上がらない。ガドは索を離さず、しばらく待った。
「セナ、荷を」
返事がした。振り返ると、セナは待避室の扉を押さえていた。ミオと隊員が箱を運び出す。出口側の角は空いていた。もう一人の隊員が先へ出て、外までの道を確かめた。
シグは支柱へ肩を預けていた。レンと目が合うと、足元の索を引き寄せた。
「抜けたぞ」
機体の肩から外れた鉤が、床を滑ってきた。三つの爪のうち一つが、外へ曲がっていた。レンは左手で拾おうとし、つかみ損ねた。
シグが索をまとめ、レンの腰へ掛けた。
「今はしまえ」
刀を収めるのにも時間がかかった。セナが荷を送り出したあと、杖を持ってきた。レンは受け取り、箱を運ぼうとする手を下ろした。
「持てない。頼む」
「分かってる」
セナは残った袋を肩へ掛けた。
レンは杖をつき、倒れた機体から離れようとした。そのとき、開いた扉の奥で光が揺れた。
部屋の中央に太い円筒があった。何本もの管が床からつながり、壁の針が細かく震えている。さっきまで扉に遮られていた低い振動が、足裏を通ってきた。
円筒の手前に、手首を置けそうな窪みがあった。
視界に白い文字が灯った。
〈第一錨炉 認証口〉




