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奈落の帰還者 ― 黒鎧の門  作者: 山本田38ページ
第1章 黒い目覚め
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第10話 膝を折る機械

 扉の向こうで、金属が擦れた。


 横棒が受け金の中で動いた。セナが伸ばしかけた手を、ガドが押し戻した。


「離れていろ」


 もう一度、下の方を押された。扉は耐えたが、蝶番から細かな錆が落ちた。


 レンは杖を握り、右脚を少し引いた。部屋の奥へ退くほど、機体との間に残るものがこの扉一枚だけだということが、はっきりした。


「待てば戻るか」


 ガドの問いに、シグが首を振った。


「前は一巡で戻った。今は止まる場所も違う」


 ミオが残った水の容器を閉じた。北階段は崩れている。ここに何日も籠もることはできない。


 足音が少し遠ざかった。


 ガドは上の覗き穴を開き、しばらく外を見た。それから壁の図へ指を置いた。


「こっちへ引く。出口の前を空ける」


 待避室の外は、荷を運ぶ広い廊下だった。出口は右。その手前に機体がいる。左へ行くと、炉心室の保守扉へ沿って、細い点検通路が続いていた。


「ここは、肩を並べて二人通れるくらいだ」


 シグが言った。


「腕を広げたままじゃ入れない。膝が曲がると、脇の制御箱が出る」


 ミオも覗き穴から外を確かめた。


「腰の下の箱だね。蓋がずれてる。そこなら外の厚い板を切らなくていい」


 ガドは通路の両脇にある支柱を指した。一本は炉心室の壁側、もう一本は荷役場側にある。そこへ索を回し、左右から脚を引くという。


「俺とこいつで引く。お前は通路の手前で止めて、荷役場側へ抜けろ」


 レンは図の短い横道を目で辿った。敵の脇をすり抜けるのではない。曲がって柱の陰へ退けばいい。


「三秒しかない」


「三秒で掛ける。引くのはそのあとだ」


 ガドが索の輪を作った。シグももう一束を受け取った。


 レンは杖をセナへ預け、左手首に索の根元を留めた。ガドが向き直るのを待ってから、短く息を吐いた。


「いける」


 セナが横棒を外した。ガドが扉を細く開け、先に盾を出す。レンはその後ろから廊下へ出た。


 機体の頭が回った。


 背丈はレンより頭二つ分高い。両腕の先に太い爪があり、足の裏には三枚の板が開いていた。腿の隙間に詰まった赤黒いものが、駆動音とは違う速さで脈打っている。


 ガドが盾で壁を一度叩いた。


 機体の足が上がった。


 レンは左へ退いた。最初の二歩はガドの盾に隠れ、そこから先は自分の足で距離を保った。膝の帯がきつい。床には落ちた留め金がある。踏まないよう、歩幅を小さくずらした。


 ガドが支柱の陰へ消えた。反対側へ回るシグの装甲が鳴った。


 レンの前には、もう誰もいなかった。


 爪が伸びた。まだ届かない。そう思った直後、肘の部材が滑って腕が長くなった。


 レンは横へ身を寄せた。爪が肩の板を掠め、石壁に白い筋を引いた。


 機体の肘の裏には、開いた接続口があった。そこへ鉤を振った。一度目は縁を滑った。索を短く引き、次に爪の一つを穴へ引っ掛けた。


 指の付け根に冷たさが走った。


 レンは影縫いを使った。


 駆動音が消えた。上がりかけた足が重さで落ち、床が震えた。膝の奥の赤黒いものは、まだ縮んだり緩んだりしていた。


「今だ」


 ガドの輪が片脚へ掛かった。シグも反対の脚へ輪を送った。レンは索を緩めながら、荷役場側の横道へ下がる。


 一歩。柱の角。もう一歩。


 駆動音が戻った。


 ガドが索を引き、機体の右脚が支柱へ寄った。シグも後ろへ下がろうとした。


 灰白色の膝が、途中で止まった。


 足が床から離れない。上体だけが傾き、シグの手から索が少し滑った。


 機体の左脚が外へ開いた。


 左右から折るはずだった膝が、片側だけ沈んだ。胴がこちらへ回る。レンの鉤が引かれ、手首が前へ持っていかれた。


 右足で踏ん張りかけた。膝の内側が裂けるように痛んだ。


 受けるな。


 レンは余りの索を送り、左足で柱の向こうへ回った。機体の爪が、さっきまで立っていた場所を叩いた。手首への力が少し緩む。


「シグ!」


 ガドが叫んだ。


 シグは動かない脚を引きずり、索を柱へもう一度回した。腰を落とす。輪が張り直されたが、胴は斜めを向いたままだった。


 その下に、小さな箱が見えた。


 ずれた蓋と、白い陶器のような部品。そこへ伸びる線が二本、脈打つ肉の間を通っている。


 正面へ回る必要はなかった。機体が捻れたぶん、箱が荷役場側へ向いていた。


 レンは刀を抜いた。


 右膝を曲げずに届くか。柱から肩を出して距離を測った瞬間、爪が壁を擦りながら戻ってきた。


 もう一度、影縫い。


 機械の音が途切れた。腕は途中で下がり始めたが、肉の束が急に縮み、爪先が跳ねた。レンは顔を引き、その下へ刀を入れた。


 刃先を蓋の隙間へ差し、押し広げる。厚い装甲ではない。それでも、手首に硬い抵抗があった。


 左手を柄へ添えた。指先の感触が鈍い。


 蓋が外れた。


 ガドの索が鳴る。レンは刀を引き、白い部品の根元へ短く突き込んだ。乾いた音がして欠片が散った。刃を捻ると、線の留まった板が割れた。


 駆動音が戻りかけ、低く詰まった。


 機体の腰が沈んだ。


「退け!」


 レンは刀を抜いた。倒れる胴に鉤が挟まれ、索が張った。手首の留めを押す指が滑る。


 もう一度押した。


 留めが外れた途端、黒い索が床を走った。


 レンは柱にもたれ、左脚で身体を支えた。機体はガドの索に引かれる側へ傾き、炉心室の保守扉へ肩から倒れ込んだ。


 大きな破裂音がした。


 古い受け金が壁から抜け、扉が内側へ折れた。乾いた熱気と、積もっていた埃が通路へ吹き出した。


 機体は動かなかった。


 奥の肉が小さく震えていたが、脚も腕も持ち上がらない。ガドは索を離さず、しばらく待った。


「セナ、荷を」


 返事がした。振り返ると、セナは待避室の扉を押さえていた。ミオと隊員が箱を運び出す。出口側の角は空いていた。もう一人の隊員が先へ出て、外までの道を確かめた。


 シグは支柱へ肩を預けていた。レンと目が合うと、足元の索を引き寄せた。


「抜けたぞ」


 機体の肩から外れた鉤が、床を滑ってきた。三つの爪のうち一つが、外へ曲がっていた。レンは左手で拾おうとし、つかみ損ねた。


 シグが索をまとめ、レンの腰へ掛けた。


「今はしまえ」


 刀を収めるのにも時間がかかった。セナが荷を送り出したあと、杖を持ってきた。レンは受け取り、箱を運ぼうとする手を下ろした。


「持てない。頼む」


「分かってる」


 セナは残った袋を肩へ掛けた。


 レンは杖をつき、倒れた機体から離れようとした。そのとき、開いた扉の奥で光が揺れた。


 部屋の中央に太い円筒があった。何本もの管が床からつながり、壁の針が細かく震えている。さっきまで扉に遮られていた低い振動が、足裏を通ってきた。


 円筒の手前に、手首を置けそうな窪みがあった。


 視界に白い文字が灯った。


〈第一錨炉 認証口〉


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