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奈落の帰還者 ― 黒鎧の門  作者: 山本田38ページ
第1章 黒い目覚め
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第11話 最初の証印

 文字は、窪みの位置から動かなかった。


 レンが顔を傾けても、〈認証口〉の表示はそこを指していた。手首の端子と同じ間隔で、小さな突起が並んでいる。


 ここまで来た。


 ガドは倒れた機体の向こうで、索の留めを確かめていた。シグは壁に寄り、右脚をゆっくり曲げ伸ばししている。出口へ続く廊下から、箱を置く音が聞こえた。


 レンは杖を扉の内側へついた。


 床に這う索を避け、左足を出す。右膝が痛んだが、止まるほどではないと自分に言い聞かせた。折れた扉と壁の間を抜けると、乾いた熱気が兜の中へ入ってきた。


 円筒の表面には細かな溝があった。その下部に、箱のような塊が据えられている。認証口はその正面についていた。


〈錨核接続待機〉


 ミオが廊下を戻ってきた。


「何かあった?」


 空になった手を見て、箱は運び終わったのだと分かった。レンは窪みを指した。


「ここにつなげる」


「何を」


 レンは左手を上げた。


 核を外すわけではない。触れるだけだ。あの機械を止めるためではなく、目覚めたときから示されていた証印を受け取るために。


「待て、まだ調べて――」


 ガドの声がした。


 手首を窪みへ合わせた。


 小さな突起が端子に収まり、左腕の内側を冷たい線が上がった。膝の痛みも、喉の渇きも、一瞬遠ざかった。


 目の前が白くなった。


 扉の位置は見えている。円筒も、壁の計器もある。その上に細い線が幾重にも重なり、一つの形へ集まっていった。


〈第一証印 取得〉

〈証印取得数 一/三〉


 レンは息を吸った。


 取得。


 その二文字を何度も読んだ。最後の一画が消えないか、見つめた。表示は変わらなかった。


 一つ、終わった。


 灰の斜面で告げられたものが、初めて減った。食べるためでも、歩くためでもない。帰るために必要なことを、一つできた。


「取れた」


 声に出すと、胸の奥から息が漏れた。笑ったつもりはなかったが、喉が短く鳴った。


「証印が、取れた」


 ガドの手が肩をつかんだ。


 レンは顔を向けた。喜びを伝えようとした言葉が、男の表情を見て止まった。


「手を離せるか」


 レンは左手を引いた。端子は抵抗なく外れた。


 表示は残った。


 ガドは肩をつかんだまま、ミオを見た。


「どうだ」


「針は動いてない。接続する前と同じ」


 ミオは壁の計器を見ていた。目盛を読んでから、足元の配管へ耳を寄せる。レンにも、低い振動が変わらず伝わってきた。


「出力は変わってないと思う。少なくとも、この計器では」


 彼女は帳面に数値を書き、認証口の形も短く描いた。


 レンは核を見た。今もここに据えられている。何かを受け取ったからといって、装置が空になったわけではなかった。


「何を取ったと言った」


 ガドが尋ねた。


「証印。三つの炉でこれを取らないと、門を開けられない」


「誰がそう言った」


「目の前に出るんだ。ここへ来たときから」


 レンは右手で自分の視界を示しかけ、杖を握り直した。


「俺にしか見えない。ミオにも、影縫いの表示は見えなかった」


 ミオは頷いたが、それでガドの顔が緩むことはなかった。


 入口からシグが覗いた。


「一つ目か」


 レンが頷くと、男は核の下へ目を移した。


「なら、次はそいつを運ぶ準備だ」


 取得数の下には、まだ条件が残っていた。三基から昇界門への接続。門衛の停止。そして、核を回収して搬送する推奨経路。


 帰れるわけではない。


 それでも、今ここで核を持ち出せば、また先へ進めるのではないか。


 レンは塊の側面を見た。持ち手に見えた輪の脇に、刻印があった。擦れてはいるが、荷重を示す単位が読める。自分一人どころか、隊員たちと抱えても歩ける数字ではなかった。


 輪も、人の手に合わせた大きさではない。隣の荷役場に落ちていた吊り鉤の先が、ようやく通るほどだった。


「吊り具を直せば」


「軌条からやり直しだ」


 ミオが言った。


「持ってきた道具では無理。ここで核を動かせる状態にするだけでも、別の支度が要る」


「荷車に載せるところまでなら、何か」


「運ばん」


 ガドが遮った。


「俺たちは部品の回収に来た。炉の核を外す許可は受けていない。帰り道も、これを載せる重さで選んじゃいない」


 レンは足を動かそうとした。右膝が抜けかけ、杖へ体重が掛かった。


 ガドの手に支えられた。


 自分の身体さえ、まだ一人で運べない。


 レンは下を向いた。核を取り出すための留め具は、足元のすぐ先にあった。触れようと思えば届いた。


 手は出さなかった。


「場所だけ、残したい」


 ガドは少し黙り、それからミオへ目を向けた。


「必要な表示を写したら出る。弁にも留めにも触るな」


 ミオが紙を一枚ちぎり、レンに渡した。彼は書こうとして、細い筆を落としかけた。


「読んで。私が書く」


 レンは設備番号と、荷役場を示す標示を読み上げた。ミオが入口からの曲がり角を書き足す。核の質量と、吊り具の規格も控えた。


 紙を受け取るとき、レンは両手を使った。


 ガドに支えられて部屋を出た。倒れた防衛機の横では、シグが残った拘束索を外していた。ガドも自分の側を回収し、二束を袋へ収めた。機体の中で肉が動いたが、脚の位置は変わらなかった。


 給脂口脇の出口に、冷たい外気が届いていた。


 荷車には部品の箱が縛られていた。隊員がレンの座る場所を空け、セナが袋を脚の下へ入れる。ミオは写した図面が濡れないよう、油紙で包み直していた。


 シグは扉の内側に立ったままだった。


「来ないのか」


 レンが尋ねた。


「別の接近路を調べる。歩けるうちにな」


 右手の震えを、男は帯に差し込んで隠した。


「次は運べるようにして来い」


 レンは頷きかけたが、隣のガドを見てやめた。


「まず、脚を直す」


 シグは口の端を少し動かした。扉の奥へ戻り、灰白色の装甲が暗がりへ消えた。


 荷車が動く前に、ガドがレンの前へ屈んだ。


「帰りたいのは分かった」


 レンは顔を上げた。


「俺は、そのために――」


「帰りたいことを責めてるんじゃない」


 ガドは荷車の縁に手を置いた。手袋の縫い目が、さっきの戦いで裂けていた。


「お前が何をするつもりか、俺たちは知らなかった。触った結果、出口が閉じるかもしれん。炉が止まるかもしれん。それを確かめる時間も渡さずに手を出した」


「止まらなかった」


「それは、あとで分かったことだ」


 レンは言葉を失った。


 ミオが箱の紐を締め直している。セナは帰りの道を見ている。二人の隊員は、また荷車を引く位置についた。


 第一証印の表示は、まだ視界の端にあった。


 レンはそれを見ないようにして、ガドの裂けた手袋へ目を落とした。


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