第6話 三秒では止まらない
ミオが導線を離した。
巻上機の低い音が戻った。軸の端にある白い傷が、再び速く流れ始める。
「手を、そのまま」
レンは握りかけた指を開いた。ミオは巻上機の電源を切り、軸が止まるまで待ってから、計器につながる線を一本ずつ外した。
「こっちの測定線が残ってた。あなたの手首と制御箱が、計器を通してつながってたんだ」
「壊したのか」
「まだ分からない。私が線を確かめずに触った。もう一度、きちんと分けて調べる」
ミオはレンの手を裏返した。冷たい感触は消えていた。くぼみの底に焦げた跡もない。
その上に、白い文字が重なった。
〈接続機能:影縫い〉 〈対象:一基〉 〈動作信号の遮断上限:三秒〉
「影縫い」
声に出すと、ミオが顔を上げた。
「何?」
「そう出てる。目の前に。一基、三秒って」
彼女はレンの顔と、何もない空間を交互に見た。
「私には見えない。表示が変わったら、そのまま読んで」
レンは頷いた。帰還の条件まで聞かれるかと思ったが、ミオは紙を引き寄せ、手首のくぼみの並びを描き始めた。
棚から返された索をほどくと、根元の留め具にも同じ間隔の突起があった。普段は腰に留めていた部分だった。ミオに向きを示され、手首へ押し当てる。小さな音がして、収まった。
「外せる?」
爪を押すと外れた。もう一度つける。索が腕から垂れ、その先の鉤が床に触れた。
ミオは巻上機を作業台に固定し、周囲の工具をどけた。荷を吊るす綱も外した。回るのは短い軸だけになった。
「この機械だけ。炉の線にはつながない。私が止めろと言ったら離して」
鉤を制御箱の接続部へ掛け、索を張らないよう椅子を近づけた。電源が入る。油の匂いとともに、低い振動が机を伝わってきた。
「さっき、何をした?」
「手を引こうとした。冷たくて」
レンは手首を見る。今度も、指の付け根に細い冷たさがあった。そこから先に何かが続いている。指を曲げるだけでは何も起こらなかった。
あの音を切る。
そう意識したとき、巻上機が静かになった。
ミオが時計へ目を落とした。軸の白い傷はまだ回っている。一周、もう一周。レンは止まれと思い続けた。
駆動音が戻った。
「三秒」
ミオが紙に短い線を引いた。
「まだ続けてたのに」
「表示どおりなら、そこまでなんだね」
休んでから二度目を試した。今度は途中で意識を緩めると音が戻った。三度目は数を数えながら続けたが、やはり三つで切れた。
ミオは隣の小さな送り機も、別の接続口から試験線でつないだ。レンがそちらを選ぶと、送り機の歯車は止まった。巻上機も止めようとすると、送り機が動き出した。
「一緒には無理か」
「少なくとも、今できたのは片方ずつ」
ミオは二本目の線を外した。
「それより、軸を見て」
巻上機だけに戻して、もう一度試す。音は消えた。白い傷は、また止まり切る前に速さを取り戻した。
「命令が途切れても、回ってる重さは残る。ここの歯止めを掛けたわけじゃないから」
ミオが外側のレバーを指した。
「動いてるものを、空中で押さえる力じゃないよ」
レンは車体へ突き刺さった棒を思い出した。あの脚を振り下ろす途中で使ったら、どうなるのだろう。
「骸機にも使えるか」
「同じ仕組みの機械部分なら、かもしれない。肉の方まで止まると思わないで。ここでは確かめられない」
試すときには、もう目の前にいる。
レンはもう一度やろうとして、鉤がずれたのに気づいた。掛け直そうとする指に力が入らない。親指は動いているのに、金属をつまんだ感触がなかった。
鉤が台へ落ちた。
「やめよう」
ミオが電源を切った。
「あと一回なら」
「今、落としたでしょ」
レンは掌を見た。黒い指が五本ある。一本ずつ曲げるたびに、手の形と感覚が少しずれていた。
あれが刀だったら。
ミオに留め具を外してもらい、レンは両手を膝の上へ置いた。指の感覚が戻り、布の縁をつまめるようになるまで、その日は工具に触らせてもらえなかった。
翌朝、ガドが修繕場の裏へ連れ出した。
壁と低い柵の間に、細長い空き地があった。硬い土の上に板が敷かれ、端には小石が寄せてある。レンは左手に杖を持ち、ミオが締め直した右膝の帯を確かめた。
「向こうまで行って戻れ」
ガドは柵の柱を指した。
往復すると、脚の付け根まで疲れた。戻って息を整えていると、同じ指がまた柱を指した。
「次は俺を見ながら退け。足を交差させるな」
「刀は?」
「まだ使わん」
「止める力がある。三秒あれば、近づいて――」
「近づいたあとは」
レンは口を閉じた。
ガドが一歩進む。レンは急いで右足を引いた。踵が板の縁に当たり、足が止まった。身体だけが後ろへ流れ、膝の内側が痛んだ。
腕をつかまれ、転ばずに済んだ。
「今、俺は何もしてない」
ガドはレンの重心が戻るのを待って、手を離した。
それからは、一歩出す前に足を置く場所を見た。敵から目を離しすぎるなと言われ、顔だけで後ろを確かめた。二歩下がって止まり、板の縁を避けて進み直す。右へ大きく踏み出すと痛むので、歩幅を小さくした。
休憩のあと、ガドが木の棒に索を掛けた。
「引いてみろ」
レンが左手で引くと、棒はガドの手の中で動かなかった。次に索を柵の柱へ回し、ガドが棒を引いた。柱の角で索が擦れ、レンの手に来る力が変わった。
「お前の膝で受けるな。使えるものを先に探せ」
レンは、車体の下で軋んでいた小さな輪を思い出した。あの輪の根元が折れていたら、自分も入口へ引き戻されていた。
ガドは索を緩め、柱を指で叩いた。
「これも腐っていたら使えん。見つけるだけじゃ足りんぞ」
夕方までに、レンは何度も座って休んだ。三秒を使う練習より、足を置く練習の方が長かった。
次の日、ガドが短刀を持ってきた。刃欠けは研ぎ落とされ、刃の中ほどが少し痩せていた。
「同じところへ打ちつければ、また欠ける」
鞘ごと返された刀を左腰へ留めた。重みが戻ると安心したが、すぐに抜くことはしなかった。
ガドの前で、空の袋を持って往復した。杖を使わずに進める距離は伸びていた。右膝は、休まず続ければ痛んだ。レンは一度止まり、どこが痛むかを伝えた。
ガドは脚を見てから、空の袋を受け取った。
「明日は東側倉庫だ。近い方だけ。長い距離は荷車に乗せる」
「連れていくのか」
「途中で脚が悪くなれば戻す。戦いに行くんじゃない。回収に行く」
レンは頷いた。借りを返すための仕事。その先に、門まで歩ける脚がある。
ガドは袋をもう一度渡した。
「荷を捨てろと言ったら捨てろ」
レンは袋の口を握りかけ、指を開いた。
「分かった」




