第47話 誰も燃やさない門
ガドの肩を借りても、最初の一歩は小さかった。
右膝を曲げると痛み、伸ばしたままでは足が前へ出ない。レンは杖を置き、体重を移してから足を引いた。ガドは急がず、同じだけ動いた。
門衛の横を通る道は使わなかった。
隊員が輪の手前まで床を調べ、砕けた板と金具を脇へ寄せた。張った拘束索には布の目印が巻かれた。停止した機体の腕が届いていた場所を避け、回り込む。
途中で一度、座った。
輪は大きかった。壁の陰から見た時より、上の縁が遠い。内側に走る細い灯りは、まだ向こう側の景色を映していなかった。
「給電、維持」
点検室からの声を、セナが伝えた。
レンは頷いた。三十秒はまだ始まっていない。何度も頭の中で確かめながら、呼吸を戻した。
待機点の床には、浅い継ぎ目があった。前に目印と決めた場所だったが、近くで見ると片側がわずかに浮いていた。
セナが膝をつき、杖先で縁を確かめた。
「半歩こっち。ここなら引っかからない」
位置をずらし、通る線上の細かい欠片を拾った。レンはそれを見てから立った。
まず、まだ暗い門の直前まで歩いた。ガドは横につき、触れずに手を空けていた。
杖。左足。右足。
途中で膝が震えた。レンは息を吐き、足を置き直した。
「十七秒」
セナが言った。
試験の時より遅かった。
「もう一度やるか」
レンが聞くと、ガドは首を振った。
「戻る分も歩いてる。休んでから決める」
肩を借りて待機点へ戻った。座ると右手まで震えた。速く歩けるところを見せようとして、杖を強く握りすぎていた。
ミオが来た。盤は技師に任せ、確認した値を書いた紙を持っていた。
「今の歩き方で通れる長さはある。でも途中で止まれば、やめる判断も要る」
「分かってる」
「向こうへ入った後の足場は、ここからは分からない」
レンは暗い輪の内側を見た。
「飛び込まない。足を置いてから進む」
ミオは返事を聞き、腕の添えを確かめた。左指は触れられても分からなかった。刀は鞘に収まり、欠けた刃をここで研ぐ時間はなかった。
彼女は鉤を留め直し、索の端が垂れていないことを見た。信号線は手首から外したまま、布で保護された。
「これで歩ける。腕は使わないで」
小さな水筒と食料の包みを、腰の後ろへ結んでくれた。帰り道の分を分けたものだと言った。
レンは受け取る前に、残る者の包みを見た。
「足りるのか」
「人数を数えて分けた」
ガドが答えた。
レンは礼を言った。
点検室へ戻るミオに、もう一つ頼んだ。
「燈杭へ、シグのことを聞けるか。治療を受けているかだけでいい」
返事が来るまで待った。その間、レンは水を飲んだ。口元が閉じる時、兜の内側で小さく金属が鳴った。
やがてセナが来た。
「救護から。見張りはつけてる。布を替えるのも、脚を冷ますのも拒んでないって。良くなったとは言ってなかった」
レンは膝へ置いた右手を見た。
あの男に、待っていれば治るとは言えなかった。今も言えない。
「道を探すと伝えてほしい。もう一度会える道も」
セナは頷いた。返事を待つ約束はせず、伝言だけをミオへ渡しに戻った。
トワへ言葉を残そうとして、レンはやめた。怪我を治したわけでも、失った仕事を返したわけでもない。帳面へ返した物と、残してきた炉がある。それ以上を、ここから自分で済んだことにはできなかった。
ミオの声が通路から届いた。
「三基の応答、成立のまま。生活側も維持。開放操作に入る」
ガドがレンを見た。
「行くか」
レンは立ち上がり、杖を握った。
「行く」
輪の内側の灯りが、縁を一周した。
空気が張ったように感じた。低い音が胸を押し、向こうの壁が見えなくなる。白とも灰色ともつかない薄い面が、輪の間に広がった。
レンの視界に文字が重なった。
〈昇界門 開放〉
読んで伝えた。
ミオが計器の値を技師と確かめた。試験の時より早く下がる様子は、今のところないという。給電はまだ続いていた。
ガドが一行を数えた。
隊員が機体の監視位置から下がる。工具箱を持つ者が低い通路へ入り、セナが足元の索を避けて続いた。誰もレンの後ろへ並ばなかった。
ガドは最後まで待機点の横にいた。
「ここから先は、お前の歩幅だ」
「分かってる」
レンは右手を杖から一度離した。ガドの前腕を握った。相手の手が胴帯の上へ軽く触れ、離れた。
「ありがとう」
「足元を見ろ」
ガドは笑わなかった。来た時と同じように、レンの立つ床を確かめてから通路へ退いた。
待機点に一人になった。
点検室と、通路の角に立つセナの灯りが見えた。そこにいる者たちは帰る。レンは反対へ行く。
ミオが受話器で第二炉を呼んだ。生活側を通常へ戻す準備ができたという声が、途切れながら聞こえた。他の二基も操作位置を復唱する。
「門側を切り離す。合図を見て」
ミオが言った。
レンは返事をした。左腕の帯は痛み、右膝は震えていた。それでも今は、足を置く場所が見えている。
切替の音がした。
セナの灯りが一度、閉じて開いた。
「切離し。計時開始」
ミオの声で、レンは杖を出した。
輪は消えなかった。
一歩進む。熱の薄れた床に、杖先が当たる音がした。
「第二炉、通常側。防護、維持」
受話器の返事を、ミオがこちらへ繰り返した。
レンはもう一歩進んだ。第一と第三の復唱が続く。核はどこにも運ばれていない。自分の身には刀と索と、少しの食料しかない。
「十秒」
膝の震えが強くなった。
止まるほどではない。そう判断してから左足へ体重を移した。早く次を出そうとせず、右足が床へ着くのを待った。
輪が近づいた。
薄い面の向こうには、何も見えなかった。水瀬の標識も、呼んだ人も見えない。
胸の袋が、歩くたび少し動いた。
廉と刻まれた板はそこにあった。
「値、まだ上。進める」
ミオの声がした。
レンは振り向かなかった。途中で身体を捻れば、膝を戻す時間が要る。礼はもう言った。探すという約束も置いてきた。
杖の先を薄い面へ入れた。
押し返す力はなかった。その向こうで、先が何か硬いものへ触れた。少し荷重をかけ、滑らないことを確かめる。
「二十秒」
左足を出した。
冷たいものが靴の上へ散った。右足はまだ奈落の床にあった。痛みを確かめる余裕はなく、杖と左足へ重さを移す。
右足を引いた。
兜を撫でた空気が変わった。
最後に聞こえたのは、遠くなったミオの声だった。二十二、と言ったように聞こえた。
レンは足を揃えた。支える手はなかった。それでも、膝をつかずに立っていた。
背後の炉音は、もう届かなかった。




