第46話 三秒を渡す
立つ時には、ガドの肩を借りた。
右膝へ体重を移すと、痛みが足首まで抜けた。レンは息を吐き、左足を寄せた。立ったまま待てば、震えは少し収まった。
「二歩なら、出られる」
「戻りは俺がつく」
ガドは答えた。
ミオが右脇の金具と、左手首へ渡る短い線を確かめた。接点が浮いていない。腕の添えにもずれはない。左指は触られた場所が薄く分かるだけだった。
「通じなければ、すぐ言って」
レンは頷き、右手で鉤を取った。
橋台まで杖を使い、そこでセナへ渡す。彼女の遮光板が見える位置をもう一度確かめた。点検室にはミオと技師が残り、接続と生活側の値を見ていた。
作業溝に、隊員の頭が一つ見えた。残った索は橋の奥へ一本の線を引かず、低いところで緩い輪を作っていた。門衛の足が乗ってから、両側を絞る。
ガドはその端を見て、レンへ掌を向けた。
待つ。
輪の前で、門衛の上体が回った。片足を外へ置き、重さが移る。その動きが終わってから、ガドの手が下がった。
レンは出た。
目印まで二歩。右手の鉤を胸の前へ持ち、肘を身体から離さない。
門衛が止まった。
前と同じように、巡回の線を外れて向かってくる。だが今度は、足の行き先だけを見なかった。腕が振られ、手首の溝が一瞬こちらへ向くところを追った。
遠い。
一歩退く。
先の足が橋へ乗った。隊員はまだ引かなかった。門衛の膝が進み、片側の肩が下がる。右の腕が、レンのいた場所へ伸びてきた。
ガドの盾が腕の外側へ当たった。
受け止める音ではなかった。硬い縁を擦り、先端が橋台の角へ流れる。ガドは押された分だけ下がり、肩を石に寄せた。
手首が低くなった。
溝が見えた。
レンは身体ごと前へ行かず、右腕だけを伸ばした。鉤の先が装甲の縁に当たり、滑った。
違う。
指で握りを回した。次に当たった時、接点が浅い溝へ収まった。左手首の奥を冷たい筋が上がった。
「触れた」
門衛の後ろの足が浮きかけていた。上体はもう前へ動いていた。
レンは影縫いを使った。
腕から押し返す力が途切れた。それでも重さは来た。ガドの盾が軋み、レンの胴帯も引かれた。
「張れ」
ガドが叫んだ。
隊員が索の端を引いた。低い輪が足元へ寄り、足首の下に締まる。もう一人が内側の支持部へ回した端を留めた。
一つ。
レンは左手がなくなったように感じた。添えに載っているはずの指が、どこにも触れていない。
二つ。
門衛の上体が、止まった足の前へ出る。肩が傾き、盾の上を重い腕が滑り落ちた。ガドは追わず、盾を引いた。
三つ目を数える前に、レンは鉤を捻って接点から抜いた。
索を右脇の受けへ戻す。輪が足へ落ちないよう手で押し込み、その手を刀へ移した。
門衛の脚が再び動いた。
拘束された足を上げようとして、索が鳴った。内側の横梁へ荷重がかかる。隊員たちは手で引き合わず、固定した索から身を離した。
足は持ち上がりきらなかった。
上体がさらに傾く。反対の腕が床を捉えようと振られ、指先が板を削った。機体は片膝をつき、肩から橋台の手前へ落ちた。
レンは刀を抜いた。
折り重なった装甲がずれ、首の下と胴の間に隙間が開いた。細い管に挟まれ、束ねられた線が奥へ走っている。
門衛はまだ動いていた。
「上が来る」
ガドの声で、レンは肩の動きを見た。膝をついた姿勢から起きようとしていた。片足は索に留められ、床を掻く腕が重さを支えている。
レンは荷重のかかっていない側へ一歩寄った。右膝が沈み、刀の先が下がった。腰を橋台へ当てて止める。
もう三秒ではなかった。
残された時間を、索と横梁が支えていた。
レンは刃を隙間へ入れた。装甲を叩かず、見えていた線へ刃元を当てる。右肘を引くと、硬い被覆が切れた。
機体が跳ねた。
刃が内側の金属へ当たり、乾いた音がした。レンの掌へ衝撃が返った。抜こうとしても、一瞬、挟まれて動かなかった。
門衛の肩が持ち上がる。
レンは刀をこじらず、差した角度へ手を戻した。隙間が広がったところで引いた。切れ残った線が刃へ掛かり、裂けた。
腕が落ちた。
レンも右膝をついた。床へ当たった痛みに、息が漏れた。刀だけは離さなかった。
「退け」
ガドが襟元の後ろを掴んだ。左足で床を押し、レンは橋台の陰へ引き戻された。
金属が擦れる音が、まだ一つ残っていた。
誰も機体へ近寄らなかった。
レンは壁へ背をつけ、刀を膝から離して置いた。門衛の指先がゆっくり沈み、それきり動かなくなった。索は張ったままだった。
待った。
視界に文字が重なった。
〈門衛停止〉
レンは読み上げた。声が出ず、一度唾を飲み込んで言い直した。
ガドはすぐには盾を下ろさなかった。隊員に腕と脚を見させ、セナへ点検室の確認を求めた。
返事が来るまで、レンは右手の震えを見ていた。
「盤も停止の応答。接続は維持してる」
セナが伝えた。
ガドがそこで初めて息を長く吐いた。
点検室からミオが来た。技師を盤に残し、レンの前へ膝をつく。左手首から信号線を外しても、指の位置は分からなかった。
「触ってるの、分かる?」
「分からない」
レンは答えた。
彼女は強く押さなかった。腕の添えを支え、胴帯を少し緩めた。
「右の膝は」
「ついた。さっきより痛い」
ミオがガドへ顔を向けた。ガドは頷き、隊員に座る場所を空けさせた。
レンは刀を見た。刃の途中に、小さな欠けができていた。指で確かめるのはやめ、右手で柄を握り直した。ガドが鞘を支え、ゆっくり収めた。
橋の向こうの輪に、細い灯りが走った。
通路の奥から、開放操作が可能になったと技師の声が届いた。門の内側はまだ暗かった。
レンはその暗がりを見た。
待っていた場所だった。けれど、立とうとすると膝が震えた。
「今、歩けるかを先に見る」
ガドが言った。
「給電はまだ切るな。こいつを運ぶ間を、三十秒で数えるな」
ミオが点検室へ復唱した。
レンは頷いた。左手は何も感じなかった。右手へ戻された杖は、確かに硬かった。
「肩を貸してくれ」
そう言って、差し出されたガドの腕を掴んだ。




