第44話 三十秒の余白
受話器から届く声は、時々細くなった。
レンは膝の紙へ耳を近づけるように身を傾けた。ミオが聞き取った言葉を復唱する。違う、と向こうで訂正が入り、人数の欄が一つ直された。
翌朝の点検室に、燈杭の様子は声だけで届いていた。
「指定区画の移動、完了。受入側でも照合した」
配給担当の声だった。
寝具と水の場所が移り、救護の通路は空けたまま。トワたちの三人分も広間で受け取れるという。レンは自分の名前の入った袋へ触れかけ、手を紙に戻した。
続いて炉番が値を読み上げた。
生活側を予備へ切り替えても、決めた下限を割っていない。戻す側の操作も確認した。ミオは時間を置いてもう一度値を求めた。
ガドは出口の見張りを替えた。門衛の足音が近くなり、また離れた。誰も声の大きさを変えなかった。
最後にヴァルクが受話器へ出た。
「本日の試験分を認める。生活側が下がれば、こちらで止める」
「了解。止めた位置を復唱します」
ミオが答えた。
卓の隣の壁には、細長い点検蓋があった。前の日の休息中に資料と照合した箇所で、内側から太い線が門の方へ延びている。
蓋を開けると、円筒が幾つも並んでいた。レンが印を受け取った錨核とは違い、一つずつ同じ端子で板に留まっている。
「門を保つために溜めるところ」
ミオが言った。
「送る側を切ったあと、どのくらい残るかを見る」
隊員が資料の線を指で辿った。通過口を動かす側は切り離したまま、点検用の枝へつなぐ。枝の先には覆いのついた負荷器があった。
レンは送り機へ目をやった。昨日、三秒だけ止めた小さな爪は動いていない。今度はその機械も使わなかった。
「門を開かずに分かるのか」
「開いている時に使う量を、この枝で消費させる。資料の試験条件ではね」
ミオは計器の目盛を示した。
「ここが保持の下限。ただし、実際に開いた時と全く同じとは言えない」
レンは頷いた。数字が出れば、それを信じて走り出せる気がしていた。その前に、何を測った数字なのか聞いておかなければならなかった。
供給を一系統ずつ確認し、許可された試験用の枝から蓄電部を満たした。三炉を同時に門へつなぐ操作はまだ行わない。
針が上がり、動かなくなる。ミオは熱と接点を調べ、隊員へ時計を持たせた。
「切る」
給電側の切替が動いた。
負荷器の覆いから、乾いた熱の臭いがした。針はゆっくり下がる。レンは時計を見る隊員の口元と、ミオの指を交互に見た。
「下限」
「四十八秒」
負荷を外した。針が戻るのを見ながら、ミオは値を紙へ書いた。
一度では終わらなかった。
冷めるのを待ち、条件を揃えてもう一度満たした。レンはその間に水を飲み、ガドは退路を確かめた。二度目は四十六秒。間を置いた三度目は四十七秒だった。
ミオは一番短い数字を囲んだ。
「四十六秒は、ここで測れた値。使うつもりで数えるのは三十秒まで」
「十六秒を残すのか」
「残ると決めつけないために削る。開いた時の針が早く下がれば、三十秒より先でもやめる」
レンは紙に三十と書いた。
「いつから数える」
「門が開いて、あなたが待機点に着いて、みんなが退いた後。門への給電を切った合図から」
ガドが横から言った。
「戦っている時間も、橋から運ぶ時間も、その三十秒には入れない。歩けなくなっていたら、先に見送る」
レンは頷いた。近づいてから決められることが、一つ残った。
門際の待機点は、遮蔽の隙間から見える床の継ぎ目に置いた。まだ門衛がいるので、そこへ立って試すことはできない。セナが図と目盛のある測り紐を見比べ、同じ距離を退避路の安全な部分へ取った。
「ここから、ここ。向こうの床は、止めた後にもう一度見る」
レンは杖をついて立った。
ガドが横につき、触れずに歩いた。走らない。左腕を揺らさない。右足へ体重を移すところで息を止めかけ、吐き直した。
「十三秒」
ミオが言った。
休んでからもう一度歩くと、十四秒かかった。
「今なら十五秒以内。でも、戦いの後は測り直してくれ」
レンが言うと、ガドは紙の端へ印をつけた。
戻る合図も確かめた。声が届かなければ、遮光板を閉じて開かない。レンが見失わない位置で、セナが実際に板を動かした。
暗くなると、先へ足を出すのを止めた。
それだけの動作を、レンはもう一度繰り返した。
点検室へ戻ると、腕の添えが汗で湿っていた。ミオが布を替える間、レンは椅子で息を整えた。
「向こうへ行ったら、この留めは時々見て」
彼女は胴帯の金具を指した。
「緩んだまま索を引かせない。痛みが減っても、腕で持つな」
レンは右手で場所を確かめた。
「直してくれて、ありがとう」
「腕は直ってない」
「動ける形にしてくれた」
ミオは布を畳み、工具箱へしまった。
ガドは盾の握りを締め直していた。セナは測り紐を巻いていた。まだ戦ってもいないのに、ここで別れの言葉を口にするのは早い気がした。
だが、三十秒の中へ全部を持っていくことはできない。
「ここまで、一人では来られなかった」
レンは二人にも聞こえる声で言った。
「行けたら、また会える道も探す。戻れるとは、今は約束できないけど」
「できないことを約束するなと言ったのは俺だ」
ガドが顔を上げた。
「探すなら、生きて探せ」
セナは巻いた紐を袋へ入れた。
「板は持った?」
レンは胸の袋を押さえた。
「ある」
刻まれた字は見えなかった。それでも、どの形で入っているか分かった。
受話器が鳴った。
ミオが取り、第一、第二、第三の担当を順に呼んだ。返事が復唱され、生活側の値がもう一度読まれた。誰かの沈黙を承諾として先へ進むことはなかった。
試験用の枝を外す。蓄電部の残りを所定の経路で落とし、無電圧を確かめて、最終端末を扱う準備へ移った。
「ここから接続の前処置。まだ門へは送らない」
ミオが告げた。
ガドは隊員と拘束索を持ち上げた。レンは右手で杖を取り、橋台までの歩幅を頭の中で確かめた。
紙の三十という数字は、点検室の机に残した。




