第4話 兜の下の食事
「顔を見せろ」
槍を持つ男が言った。
レンは顎の下へ手をやり、途中で止めた。外そうとして首に走った痛みを思い出した。
「外れない」
「留めを緩めろ」
「どこにもないんだ」
男の目が細くなった。レンは手を下ろした。槍の先が動かずに済むよう、ゆっくりと。
「右脚をやられている。武器は俺が持ってる」
ガドが帯の刀と、束ねた索を示した。
「修繕場へ入れるぞ」
「あんたが付いていろ。中を一人で歩かせるな」
「分かった」
槍が横へ退いた。門がもう少し開き、荷車の車輪が敷居を越えた。小さな段差だったが、膝の奥が痛んだ。レンは息を止め、両手で荷台の縁を握った。
門の内側には、屋根を低く張った通路があった。壁沿いに太い管が何本も走り、継ぎ目から漏れた蒸気が灯りを曇らせている。管の下に並ぶ布靴は、小さいものばかりだった。乾かしているらしい。
荷車とすれ違う人が足を止めた。レンを見ると壁へ寄る。子供の肩を抱き、顔をこちらへ向けさせない女もいた。
兜を外せれば。
そう思ったが、その下に見せられる顔があるのか、レンにはまだ分からなかった。
セナは分かれ道で立ち止まった。
「拾ったもの、届けてくる」
腰の小袋を押さえ、ガドの頷きを見てから狭い階段を上がっていった。
残った男たちが荷車を押し、油と熱い金属の匂いがする部屋へ入った。
「ミオ。膝を見てくれ」
作業台の向こうで、女が顔を上げた。
髪を後ろでひとまとめにし、額へ跳ねた短い毛を、汚れていない手首で払った。片方の袖は肘までまくられていた。もう片方は縫い直した跡があり、袖口だけ色が違う。
女はレンの兜を見たあと、膝へ視線を落とした。
「どっちの膝」
「右だ」
レンが答えると、彼女は手にしていた部品を皿へ置いた。
「自分で答えられるのね。じゃあ、曲げようとしないで」
ガドたちに身体を支えられ、低い寝台へ移された。ミオは右脚の下へ畳んだ布を入れ、細い灯りを近づけた。膝の外側で浮いた板に、赤茶色の錆が噛み込んでいた。
「何に挟んだ?」
「床が抜けた。足が下に残って、身体だけ前へ行った」
「そのあと、動かした」
「逃げないといけなかった」
ミオは頷き、先の曲がった工具で錆を一片つまみ出した。
「触る。痛かったら言って」
浮いた板が少し持ち上がった。レンは寝台の縁をつかんだ。板の下で細い部材が動き、膝の内側に痛みが響いた。
「そこだ」
工具が止まった。
「鎧の下も?」
「引っ張られる。中まで」
ミオは灯りの角度を変えた。隙間を覗き込んだが、そこから先へ工具を差し入れようとはしなかった。
「外の案内溝が潰れてる。動かそうとすると、ここでつかえる。けど、それだけで痛いかどうかは分からない。中を見られないから」
「直せるか」
「今できるのは、余計に動かないようにすること」
彼女は短い添え板を取り、右膝の両脇へ当てた。締める場所を選び、帯を一本ずつ通していく。最後の帯を引かれると、脚の重さが膝以外にも分かれて受け止められた。痛みは消えなかったが、少し息を吐けた。
「立ってもいいか」
ミオが手を止めた。
「何を聞いていたの」
「ここに寝てるわけには」
「立てるのと、歩いて戻ってこられるのは別。今は試さないで」
レンは寝台の縁から手を離した。脇腹に力を入れたせいで、胸も痛み出していた。
ガドが突かれた箇所を伝えると、ミオは胸の表面の傷を確かめ、深く息を吸えるかと尋ねた。レンは途中で顔をしかめた。休んでいても息が苦しくなるならすぐ呼ぶように、と言われた。
診てもらう間、ガドは刀と索を布で包み、寝台から離れた棚に置いた。
「ここで預かる。持ち出すときは声を掛けろ」
ミオは包みの置かれた場所を見て、頷いた。
配給を受けてくると言って出ていた隊員が戻り、ガドに紙片を渡した。
「管理長の許可。一食と、今夜はここの寝台。明日、本人と話すそうだ」
ガドは紙片を読み、レンを見た。
「食えるか」
空腹だった。腹の奥は冷たく縮んでいる。それでも、どう答えればいいのか分からなかった。
レンは口を覆う金属に触れた。
「分からない」
ミオは兜を見たが、工具には手を伸ばさなかった。
「まず持ってきましょう。入るところがあるかもしれない」
修繕場の隣が配給所だった。壁一枚向こうから、椀を重ねる音と人の声が聞こえる。レンはガドに支えられ、右脚を浮かせたまま隣室の入口にある長椅子へ移った。ミオが小さな台を運び、固定した脚の下へ置いた。
窓口には人が並んでいた。皆、手の中に小さな札を持っている。札を渡すと、係の女が刻みを確かめ、椀へ粥をよそった。
「あれは?」
「熱札」
ガドが自分の掌を開いて見せた。
「働いた分だ。飯も、水も、暖かい寝床もこれで受け取る」
「俺は持ってない」
「今日は仮配給。管理長が通した」
ガドは許可の紙片を窓口へ出した。係の女がレンを見て、帳面に短く何かを書いた。椀はほかの人に出されたものと同じ大きさだった。
差し出された椀を、両手で受け取った。
熱かった。
指の金属越しに、熱が伝わる。湯気の中に潰れた穀物の匂いがあり、表面には刻んだ葉が浮いていた。見るだけで口の中に唾液が滲んだ。
匙を取ってから、また手が止まった。
ガドは向かいに腰を下ろし、自分の粥を混ぜていた。ミオは横に座っている。近くの席からも視線を感じた。
レンは匙の先を口元へ近づけた。
顎の前で、小さな音がした。
金属の縁が動いた。何枚かの板が重なりながら左右へ引かれ、唇の前に外気が触れた。顔全体が出たわけではない。鼻も頬も硬い殻の内側で、口の周りだけが冷えた。
匙を持つ手を止めたまま、レンは息をした。
隣の卓で話が途切れた。
椀を運んでいた女が立ち止まった。ミオの目は開いた部分へ向いていたが、すぐには何も言わなかった。
レンは空いた手で顎に触れようとした。指先が濡れた唇に届いた。
自分の唇だった。
触れた感触と、触れられた感触が同時にあった。
向かいで、匙が椀を擦った。
ガドが一口食べ、もう一度粥をすくった。レンの顔を確かめようともせず、椀の縁についた粒を匙で寄せていた。
レンは手を下ろした。
匙を口へ入れた。薄い塩味がした。潰れ切っていない粒が舌に残り、噛むと甘かった。飲み込んだものが、喉を通って腹へ落ちた。
熱さを追いかけるように、二口目をすくった。
「急ぐな」
ガドが言った。
「なくならん」
レンは少しだけ匙を戻した。喉が詰まりそうだった。粥のせいではなかったが、言葉にしようとすると本当に飲み込めなくなりそうで、黙って噛んだ。
隣の卓の話が、小さな声で再開した。
ミオが水の入った杯を置いた。レンは匙を椀に残し、杯を取った。水も飲めた。二度に分けて飲み、杯を置いてから、ようやく声が出た。
「助かった」
ガドは頷いた。ミオは脚の台がずれていないか確かめた。
椀の底が見え始めると、視界の端の印に気づいた。昇界門。ここへ来る途中も、消えずに残っていたものだった。
粥をもう一口飲み込み、レンはミオを見た。
「昇界門へ行きたい。道を知ってるか」
「昔の道なら、図面にはあるけど」
「ここから遠いのか」
ミオはすぐには答えなかった。レンの手の中の椀を見て、それから添え板で固定した右膝へ目を落とした。
「そこまで、その脚で行くの」




