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奈落の帰還者 ― 黒鎧の門  作者: 山本田38ページ
第1章 黒い目覚め
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第4話 兜の下の食事

「顔を見せろ」


 槍を持つ男が言った。


 レンは顎の下へ手をやり、途中で止めた。外そうとして首に走った痛みを思い出した。


「外れない」


「留めを緩めろ」


「どこにもないんだ」


 男の目が細くなった。レンは手を下ろした。槍の先が動かずに済むよう、ゆっくりと。


「右脚をやられている。武器は俺が持ってる」


 ガドが帯の刀と、束ねた索を示した。


「修繕場へ入れるぞ」


「あんたが付いていろ。中を一人で歩かせるな」


「分かった」


 槍が横へ退いた。門がもう少し開き、荷車の車輪が敷居を越えた。小さな段差だったが、膝の奥が痛んだ。レンは息を止め、両手で荷台の縁を握った。


 門の内側には、屋根を低く張った通路があった。壁沿いに太い管が何本も走り、継ぎ目から漏れた蒸気が灯りを曇らせている。管の下に並ぶ布靴は、小さいものばかりだった。乾かしているらしい。


 荷車とすれ違う人が足を止めた。レンを見ると壁へ寄る。子供の肩を抱き、顔をこちらへ向けさせない女もいた。


 兜を外せれば。


 そう思ったが、その下に見せられる顔があるのか、レンにはまだ分からなかった。


 セナは分かれ道で立ち止まった。


「拾ったもの、届けてくる」


 腰の小袋を押さえ、ガドの頷きを見てから狭い階段を上がっていった。


 残った男たちが荷車を押し、油と熱い金属の匂いがする部屋へ入った。


「ミオ。膝を見てくれ」


 作業台の向こうで、女が顔を上げた。


 髪を後ろでひとまとめにし、額へ跳ねた短い毛を、汚れていない手首で払った。片方の袖は肘までまくられていた。もう片方は縫い直した跡があり、袖口だけ色が違う。


 女はレンの兜を見たあと、膝へ視線を落とした。


「どっちの膝」


「右だ」


 レンが答えると、彼女は手にしていた部品を皿へ置いた。


「自分で答えられるのね。じゃあ、曲げようとしないで」


 ガドたちに身体を支えられ、低い寝台へ移された。ミオは右脚の下へ畳んだ布を入れ、細い灯りを近づけた。膝の外側で浮いた板に、赤茶色の錆が噛み込んでいた。


「何に挟んだ?」


「床が抜けた。足が下に残って、身体だけ前へ行った」


「そのあと、動かした」


「逃げないといけなかった」


 ミオは頷き、先の曲がった工具で錆を一片つまみ出した。


「触る。痛かったら言って」


 浮いた板が少し持ち上がった。レンは寝台の縁をつかんだ。板の下で細い部材が動き、膝の内側に痛みが響いた。


「そこだ」


 工具が止まった。


「鎧の下も?」


「引っ張られる。中まで」


 ミオは灯りの角度を変えた。隙間を覗き込んだが、そこから先へ工具を差し入れようとはしなかった。


「外の案内溝が潰れてる。動かそうとすると、ここでつかえる。けど、それだけで痛いかどうかは分からない。中を見られないから」


「直せるか」


「今できるのは、余計に動かないようにすること」


 彼女は短い添え板を取り、右膝の両脇へ当てた。締める場所を選び、帯を一本ずつ通していく。最後の帯を引かれると、脚の重さが膝以外にも分かれて受け止められた。痛みは消えなかったが、少し息を吐けた。


「立ってもいいか」


 ミオが手を止めた。


「何を聞いていたの」


「ここに寝てるわけには」


「立てるのと、歩いて戻ってこられるのは別。今は試さないで」


 レンは寝台の縁から手を離した。脇腹に力を入れたせいで、胸も痛み出していた。


 ガドが突かれた箇所を伝えると、ミオは胸の表面の傷を確かめ、深く息を吸えるかと尋ねた。レンは途中で顔をしかめた。休んでいても息が苦しくなるならすぐ呼ぶように、と言われた。


 診てもらう間、ガドは刀と索を布で包み、寝台から離れた棚に置いた。


「ここで預かる。持ち出すときは声を掛けろ」


 ミオは包みの置かれた場所を見て、頷いた。


 配給を受けてくると言って出ていた隊員が戻り、ガドに紙片を渡した。


「管理長の許可。一食と、今夜はここの寝台。明日、本人と話すそうだ」


 ガドは紙片を読み、レンを見た。


「食えるか」


 空腹だった。腹の奥は冷たく縮んでいる。それでも、どう答えればいいのか分からなかった。


 レンは口を覆う金属に触れた。


「分からない」


 ミオは兜を見たが、工具には手を伸ばさなかった。


「まず持ってきましょう。入るところがあるかもしれない」


 修繕場の隣が配給所だった。壁一枚向こうから、椀を重ねる音と人の声が聞こえる。レンはガドに支えられ、右脚を浮かせたまま隣室の入口にある長椅子へ移った。ミオが小さな台を運び、固定した脚の下へ置いた。


 窓口には人が並んでいた。皆、手の中に小さな札を持っている。札を渡すと、係の女が刻みを確かめ、椀へ粥をよそった。


「あれは?」


「熱札」


 ガドが自分の掌を開いて見せた。


「働いた分だ。飯も、水も、暖かい寝床もこれで受け取る」


「俺は持ってない」


「今日は仮配給。管理長が通した」


 ガドは許可の紙片を窓口へ出した。係の女がレンを見て、帳面に短く何かを書いた。椀はほかの人に出されたものと同じ大きさだった。


 差し出された椀を、両手で受け取った。


 熱かった。


 指の金属越しに、熱が伝わる。湯気の中に潰れた穀物の匂いがあり、表面には刻んだ葉が浮いていた。見るだけで口の中に唾液が滲んだ。


 匙を取ってから、また手が止まった。


 ガドは向かいに腰を下ろし、自分の粥を混ぜていた。ミオは横に座っている。近くの席からも視線を感じた。


 レンは匙の先を口元へ近づけた。


 顎の前で、小さな音がした。


 金属の縁が動いた。何枚かの板が重なりながら左右へ引かれ、唇の前に外気が触れた。顔全体が出たわけではない。鼻も頬も硬い殻の内側で、口の周りだけが冷えた。


 匙を持つ手を止めたまま、レンは息をした。


 隣の卓で話が途切れた。


 椀を運んでいた女が立ち止まった。ミオの目は開いた部分へ向いていたが、すぐには何も言わなかった。


 レンは空いた手で顎に触れようとした。指先が濡れた唇に届いた。


 自分の唇だった。


 触れた感触と、触れられた感触が同時にあった。


 向かいで、匙が椀を擦った。


 ガドが一口食べ、もう一度粥をすくった。レンの顔を確かめようともせず、椀の縁についた粒を匙で寄せていた。


 レンは手を下ろした。


 匙を口へ入れた。薄い塩味がした。潰れ切っていない粒が舌に残り、噛むと甘かった。飲み込んだものが、喉を通って腹へ落ちた。


 熱さを追いかけるように、二口目をすくった。


「急ぐな」


 ガドが言った。


「なくならん」


 レンは少しだけ匙を戻した。喉が詰まりそうだった。粥のせいではなかったが、言葉にしようとすると本当に飲み込めなくなりそうで、黙って噛んだ。


 隣の卓の話が、小さな声で再開した。


 ミオが水の入った杯を置いた。レンは匙を椀に残し、杯を取った。水も飲めた。二度に分けて飲み、杯を置いてから、ようやく声が出た。


「助かった」


 ガドは頷いた。ミオは脚の台がずれていないか確かめた。


 椀の底が見え始めると、視界の端の印に気づいた。昇界門。ここへ来る途中も、消えずに残っていたものだった。


 粥をもう一口飲み込み、レンはミオを見た。


「昇界門へ行きたい。道を知ってるか」


「昔の道なら、図面にはあるけど」


「ここから遠いのか」


 ミオはすぐには答えなかった。レンの手の中の椀を見て、それから添え板で固定した右膝へ目を落とした。


「そこまで、その脚で行くの」

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