第37話 先に届いた知らせ
屋根の下へ入ると、風の音が一段遠くなった。
割れた壁の向こうでは灰が横へ流れていた。床に残る古い油の臭いに、五人の濡れた布の臭いが重なる。レンは柱の根元へ腰を下ろし、右脚を伸ばした。踵が床を擦っただけで、膝の裏まで痛みが走った。
「今夜はここだ」
ガドは入口へ盾を寄せた。
レンは壁の欠け目を見た。その向こうへ道が続いている。昨日なら、痛くても進めると言ったかもしれない。今は立ち上がる時に支えが要ることを、隠しようがなかった。
「次の見張りは」
「お前は寝ろ。明日、歩いてもらう」
ガドは残る隊員と交替の順を決めた。
セナから渡された食料は冷たかった。兜の口元を開き、小さく噛む。舌に乾いた粉が残り、水で流し込んだ。腹が温まらないままでも、食べると指の震えが少し収まった。
ミオが膝の外側に灯りを寄せた。駆動部の帯と留めを順に触り、レンに足首を動かさせる。
「ここはずれてない。中の痛みは」
「階段よりはましだ。立つ時が痛い」
「朝も、立ってから教えて」
彼女は直せると言わなかった。布を畳んで踵の下へ差し入れた。
レンは記録袋を身体の内側へ寄せた。門衛起動という文字が浮かんだ。あれを見てから、どれだけ時間が過ぎただろう。シグの顔を思い出すと、もっと早く出られた箇所ばかりが頭に残った。
工具を数えていた時間。階段で脚を待った時間。
目を閉じても、眠りは途切れた。
夜の途中で、ガドが入口の方へ身体を向けた。レンも杖を探したが、隊長の掌が下を向いたままだった。外で何かが擦れ、やがて離れた。何が通ったかは見えなかった。
明るくなるのを待った。
朝、膝は一度目には伸びきらなかった。柱へ右手をつき、息を吐いてから立つ。
「歩ける。最初は短くしてくれ」
ガドは頷き、先に外を見た。
五人は同じ迂回路を戻った。セナが先の足場を選び、レンは前の足跡へ杖を置いた。休むたびに燈杭までの距離を尋ねたくなったが、答えを聞いても歩幅は増やせなかった。
防護線の標柱が見えた時、最初に耳へ届いたのは、人が板を運ぶ音だった。
入口の遮光板が動いた。ガドが返す。見張りの脇から一人が下りてきた。前の日に先へ出た隊員だった。
レンは足を止めた。
「届いたか」
「昨夜のうちに。第二炉と管理室、両方に渡した」
隊員の唇は乾いていた。返事をしながら、ガドへ折り畳んだ紙を差し出す。ミオが書いた文の下に、別の手で受取の印がついていた。
「保守口を閉めた。吊り具も使えないようにしてある」
レンはようやく一つ、深く息をした。
「シグは」
「朝方に東から来た。荷役場の番が見つけた。脚が止まって、壁伝いだったそうだ」
隊員はガドの方へ向き直った。
「炉の中へは入れていない。外の荷役区画に残ってる」
シグは着いていた。
それでも、核を抜いたとは言われなかった。
入口を越えると、いつもの暖気が兜の頬を撫でた。レンはその温かさを確かめるように、ゆっくり息を吸った。
通路の端には、まだ寝具が積まれていた。脇を通ろうとした子供が母親に引き戻される。レンを見たのか、後ろの工具を避けたのかは分からなかった。
ガドは五人を資材受取の机へ連れていった。
「まず返す。話はここで聞く」
レンは刀を鞘ごと外し、鉤と索を机に置いた。索を解く左指が遅く、最後の輪は右手で抜いた。受取役が帳面に印をつける。
ミオは予備の座面、計器、使わなかった材料を並べた。古い環は別の皿へ置き、どこから外したかを伝える。レンが持っていた記録袋も開かれた。
「第三炉の循環は安定したまま残した。測定の枝は外して、覆いを戻した。交換した箇所と最後の値は向こうにも残してある」
ミオの説明に合わせ、受取役が数を照合した。
レンは三つ目の証印を得たことを伝えた。それから、撤収中の表示を読んだ。
「証印照合、三/三。門衛起動」
帳面をめくる手が止まった。
「門が開いたのか」
「開いていない。線は切れたままだった」
ミオが図を差し出した。
「認証側の応答です。幹線に流れていないことは、その場で確認しました」
ガドは書面を管理室へ回すよう頼んだ。レンは机の縁に手を置いた。第三炉で触れずに済ませた覆いも、数え直した工具も、ここでは一つずつ帳面の印になった。
それを待つ間に、荷役区画から男が来た。上着の袖に、黒い油が広がっていた。
「レンを連れてこいと言ってる」
ガドが机から離れた。
「シグか」
「そうだ。吊り具の操作台のところにいる。人は下げた。奥の保守口は閉じてる」
「動かせるのか」
「駆動は切って、切替はこっちで押さえてる。だがあいつ、戻せと言って離れない」
男は一度、喉を鳴らした。
「炉の中へ通せば出ていく、とも」
レンは、先ほどまで机に置いていた右手を見た。指の間に記録袋の紐の跡が残っている。
「怪我人は」
「今のところ、いない。近づいた者を棒で追い払った」
ガドは場所を聞いた。男が帳面の空いた端に、戸口と操作台の位置を指で描く。吊り鎖は天井から下がり、その下に空の荷台がある。奥の扉まで進ませなければ、核には届かない。
「防護の方は」
「いつもの値だ。炉番も持ち場を離れていない」
レンは立ち上がった。右膝が熱くなったが、柱に掴まった朝ほどの痛みではなかった。
「俺が話す」
「俺も行く」
ガドが言った。
「聞かせたいことがあっても、一人で台へ上がるな」
隊員に盾と拘束索を用意させ、荷役場の男には退避した者を戻さないよう伝えた。ミオとセナは机の側に残された。
受取役が帳面を開き直した。ガドが自分の名を告げ、刀と索の再交付を記させる。
「対処が終わったら、また戻す」
レンは頷いた。
鞘を左腰へ留めた。鉤の曲がりと索の擦れをガドと確かめ、右腰へ掛ける。今度は、開いている道を一人で抜けるために受け取るのではなかった。
ミオが記録を押さえたまま、レンを見た。
「膝が止まったら、言って」
「言う」
返事をして、杖を持った。
荷役区画へ曲がる手前で、炉の響きが強くなった。床から靴底へ、変わらない振動が伝わる。ガドが前に立ち、盾の角度を変えた。
その向こうから、鎖が一度鳴った。
レンは足を止めず、ガドと同じ速さで進んだ。




