第35話 待てない理由
「運ばない」
レンは言った。
シグの袋から、結ばれない紐が垂れていた。その先が膝の装甲に触れ、震えている。
「弁を戻しただけでも、間に合わなかった。核を外したら、戻すまで誰が外縁を守る」
「先に内側へ移せばいい」
「今も戻れていない人がいる」
ガドへ顔を向けた。
「聞いたとおりだ。シグは第二炉の核を運ぶつもりで、俺にも準備をしろと言った。俺は手を貸さない。第二炉へ知らせてほしい」
「分かった」
ガドは入口にいた隊員を手招きした。シグの右手を見てから、腰の袋へ目を移した。
「その脚でどう運ぶ」
「炉の上には吊り具がある。荷台も残っている」
シグはレンを見たまま答えた。
「使えるようにしておく。抜くのはお前が来てからでいい」
「行っても、抜かない」
「三つ揃えて、ここで腐らせるのか」
レンは杖を床についた。立つために力をかけると、右膝の奥が痛んだ。いったん力を抜き、足を置き直した。
シグはその手元を見ていた。
「お前にも時間はない」
否定できなかった。自分の膝も明日にはもっと悪くなるかもしれない。故郷で誰かが待っているなら、その人にも同じだけ時間が過ぎる。
それでも、第二炉の輪を握った時の手応えは覚えていた。
「ミオ。線を直すには、何が残ってる」
彼女は書きかけの紙を押さえた。目盛を隊員へ任せ、床溝の横へ来た。
「まず、潰れた支えを直す。このまま線だけ替えたら、また挟む」
覆いの外に出た金属の曲がりを、靴先で示した。
「交換する長さは測った。でも線材を持ってくる人と、支えを扱う人が要る。両端を切り離して、誰も給電しないようにしたうえで、ほかにも傷がないか測る」
「何日だ」
シグが遮った。
ミオは少し黙った。紙の余白へ指を置いた。
「燈杭へ戻って、材料を揃えて、ここへ運ぶ。それだけで往復の日が要る。必要な物がすぐ出て、ほかに傷がなくても、この一か所の交換と測定に丸一日は見たい。門まで全部つながる日付は、まだ言えない」
「今すぐ持ってくれば」
「誰が持つの。外縁で使う線を剥がすの?」
シグは口を閉じた。
ミオは紙を裏返した。燈杭で写した図に、生活側へ分かれる細い枝があった。
「つなぐ前にも仕事がある。予備へ切り替わるか確かめて、必要な場所から人を移す。三つの炉の担当が、別々に勝手な時刻で触れないようにする。前の記録で落ちたところを、今度は一段ずつ見たい」
レンは図の枝を見た。トワが教えた順番が、ようやく紙の上の線と重なった。
「つながったら、どのくらい門を開けておける」
「それも測ってない。給電が切れたあと何秒残るか、資料の数字をそのまま当てにはできない。安全に試せる条件を作って確かめる」
ミオは紙を畳んだ。
「今ここで、間に合うとは言えない」
シグが袋を左手で持ち上げた。今度は壁に肩を預け、右足を身体の下まで引いてから立った。
「俺が動かなくなったら、その測定の次か」
ミオは答えなかった。
レンも、待っていれば救えるとは言えなかった。シグが手を開こうとするたび、自分の左指まで曲げたくなる。曲がるかどうか、今ここで確かめたかった。
「戻って診せてくれ。俺も一緒に戻る」
「そして寝かせて、順番を決める」
シグの目がガドへ動いた。
「今のうちにできることがある。第二炉側を押さえれば、また話を聞くだろう」
「設備に近づけるつもりはない」
ガドが出口側へ一歩寄った。
「戻るなら俺たちとだ。そこで待て」
シグは返事をせず、廊下へ出た。入口の隊員が進路を塞ぐ。狭い戸口で、淡い肩が止まった。
レンは立ち上がった。
「シグ」
隊員が顔を向けるより先に、シグは横へ身を捻った。炉から離れる側の壁に、低い点検用の開口があった。普段の通路より肩幅ほど狭い。縁を左手で掴み、右脚を入れる。
隊員の手が袋を掠めた。
シグは身体を引き込んだ。左脚の装甲が縁にぶつかり、鈍い音がした。少し遅れて、その足も暗がりへ消えた。
「追うな」
ガドが言った。
レンは戸口で止まった。杖を持つ手に力が入り、先が床を擦った。
ガドが灯りの覆いをわずかに開けた。開口の先は下りになり、すぐ横へ折れていた。薄い足場の下に黒い隙間がある。向こうで金属を引きずる音が一度して、聞こえなくなった。
「盾を持って入れない。先の床も見ていない」
ガドは隊員の肩を引いた。
セナが詰所側から来た。手にしていた道の写しを壁へ当て、開口の上に残った文字と見比べた。
「東の資材口へ抜ける線。前にシグが来たと言った方だと思う。私は歩いてない」
レンは暗がりを見た。
知っている道なら、シグはこの脚でも先へ進める。後ろから同じ穴に入れば追いつく、という考えがまだ頭に残っていた。右膝へ体重を戻すと、その考えだけが前へ行き、身体は動かなかった。
「燈杭へ行く気だ」
レンが言った。
「第二炉側を押さえると、今言った」
ガドは頷き、隊員の一人を呼んだ。
「来た道で先に戻れ。第二炉に警戒を。核の吊り具と保守口を使わせるなと伝えろ。管理室にも同じ話をするんだ」
ミオが短い文を書いた。シグの要求と、認証を失っているという本人の説明を分けて記し、ガドが目を通した。
隊員は紙を内側へしまった。重い工具をもう一人へ渡し、水と灯りを確かめる。
「横穴は刺激するな。階段の索は残せ。通れなければ戻れ」
「了解」
レンは呼び止めかけた。先に着いてくれと言いたかった。だが隊員は、レンの願いより先に自分の足で確かめなければならない場所を知っていた。
「頼む」
それだけ言った。
足音が詰所の方へ遠ざかった。残った五人で、工具も資料も持ち帰る。まだ取り付けた計器があり、循環の最後の確認も終わっていなかった。
ミオが制御室を振り返った。
「ここを離せる状態にする。手は急がせないで」
「俺が入口を見る」
ガドが答えた。
セナは道の写しを畳もうとして、レンの前で止めた。紙の端に、門へ向かう線が見えた。その先の足場は、まだ誰も今回の目で確かめていない。
三つの印は手に入った。あと少しだけ近づいて、門を見てから帰る。その程度ならいいと、言い出すことはできた。
シグが第二炉へ着くまでの時間は分からない。紙の上で遠回りを選ぶ間にも、あの男は壁に手をついて歩いている。
「門の方へは行かない」
レンはセナへ言い、ガドにも聞こえる声で続けた。
「片づけが終わったら、燈杭へ戻る」
セナは頷いた。帰り道の面を外にして、紙を畳んだ。




