第31話 帰ると約束しない
外階段を上がり切ったとき、レンは膝に手を置いた。
下るときより時間が掛かった。杖を先に上へ渡し、張った索を使って一段ずつ身体を持ち上げた。最後の段では、隊員の肩を借りた。
ガドが全員の通過を確かめてから、索を回収した。
地下の横穴に、骸機の姿は見えなかった。だが消音した箱は戻さず、そのまま記録に残した。階段を誤って案内する声も、曲がり角で聞こえなくなるまで続いていた。
外の空は出発時より暗かった。
セナは高架の端を見て、ガドへ図を示した。男はレンの足元を見た。
「今夜は屋根のところで止まる」
レンは息を整えてから頷いた。
もう少し歩けると言えば、歩けたかもしれない。その先で同じことが言えるかは分からなかった。
行きに休んだ建物で、隊員が奥と屋根を調べ直した。乾いている場所に荷を寄せ、入口にはガドが座った。工具を包んだ布は解かなかった。
食料を分けると、袋の底が見えた。
レンは硬い欠片を口元の隙間から入れた。噛むと粉が喉に残り、水を少し含んだ。温かくない食事を飲み込むあいだ、誰も門のことを話さなかった。
セナは背負い袋を枕にせず、壁との間へ置いた。
ミオが持ち帰る紙を包み直し、隊員の一人が残りの水を確かめる。ガドは交替する順番を決めた。レンには膝を伸ばして休むよう言った。
横になっても、すぐには眠れなかった。
風が窓枠を抜ける音に、第三炉の声を思い出した。セナを呼ぶ声ではなく、帰還を望むならという、自分にだけ示された文字だった。
文字には声がなかった。それでも、誰かの約束のように受け取っていた。
翌朝、膝は立ち上がりの一度目に痛んだ。
ミオが帯を確かめ、レンは短く歩いてから続けられると伝えた。ガドは休む間隔を縮めた。屋根を離れ、行きと同じ大回りで戻った。
燈杭の門が見えたころには、水の容器が軽くなっていた。
セナが遮光の合図を送った。門が開くまで、六人は庇の下で待った。係が人数を数え、ガドが全員戻ったと答えた。
内側へ入ると、煮物の匂いがした。
レンはその匂いだけで、椅子へ座りたくなった。だがガドが先に寄ったのは、武器を預けた詰所だった。
レンは腰の留めを外した。
刀を鞘ごと卓へ置き、次に索を並べる。係が以前の記録と見比べた。出発時と同じ数だった。
「使ったか」
「刀も、影縫いも使ってない」
ガドが頷き、係は紙へ書いた。
腰が軽くなった。杖を受け取り直し、レンはガドについていった。調査へ出たことで、戻る場所が変わったわけではなかった。
救護所へ寄ると、入口の台には昨日までと同じ籠があった。
乾いた布は少なく、洗った布が通路脇に吊られていた。係が一枚ずつ厚さを見て、使う場所を分けていた。
レンの膝を診る間、奥からトワの声がした。
「その長さなら、二本いる。一本じゃ届かないよ」
作業着の男が、手にした紐を見ていた。トワは寝具の上で、左脚を板に固定されたままだった。作業場へ戻ったのではなく、寸法を尋ねられていた。
「棚の右にあった分は?」
「曲がってた。使えるのだけ出すと、これしかない」
男が答えると、トワは目を閉じた。少しして、別の棚の場所を伝えた。
レンは声を掛けなかった。前に、話を終わりにしてほしいと言われたことを覚えていた。
救護係は帯を巻き直し、傷めた膝を今日は休ませるよう言った。
退出するとき、配給を運ぶ者とすれ違った。荷札には、外縁から移った家の名が並んでいた。受け取る係が人数を確かめ、一つの包みを二つに分け直した。
「まだ戻れないのか」
レンはガドへ尋ねた。
「配管は一本直した。だが支えが終わってない。暖めても人は戻せん」
廊下の隅には寝具が積んであった。余った寝具ではなく、今夜また敷くためのものだった。
管理室へ入ると、ヴァルクは先にミオの記録を読んでいた。
机の上に、第三炉の図が広がっている。セナは回収品の引き渡しを済ませに行き、隊員たちも荷の確認へ戻っていた。レンは勧められた椅子へ座り、ガドは扉の脇に立った。
「第三炉は動いている。ただし、安定していない」
ミオが流量の記録を示した。
「循環の揺れと温度、漏れを確認しました。圧の掛かった部分は開けていません。ここが旧線の断線です。見えている一本だけで、ほかはまだ分かりません」
ヴァルクが図の符号を追った。
「認証は」
「していない」
レンが答えた。
「場所と表示を伝えた。蓋も開けてない」
ガドが同じことを確かめた。ヴァルクは一行を書き足し、次の紙へ移った。
レンはその手を見ていた。許可を守ったという事実が、特別な褒め言葉にならず記録へ入った。
シグの居場所も報告した。
東側の資材口、細い整備路。帰投を断ったこと。装置を動かさないよう伝えたこと。ヴァルクは経路の符号に印をつけた。
「近づく者への注意に回す。あいつの話だけで通れる道とは扱わない」
ミオが次の紙を出す前に、レンは口を開いた。
「門のことも、話したい」
ヴァルクが顔を上げた。
「第三炉に、行き先の記録があった。別の領域へ渡す設備で、通る人間の出身地を指定する仕組みはないと書かれていた」
ミオが写しを机へ置いた。
レンはその一行を指した。
「俺は、門を開ければ故郷へ戻れると思っていた。それで核を運びたいと言った。でも、確かめたわけじゃなかった」
「今、行き先は分かるか」
「分からない。そこから先に道があるかも」
部屋の杯が炉の振動で鳴った。
レンは続きを待たずに言った。
「だから、これを直せば俺が帰れるとは約束できない。旧線を直しても、条件が成立するかはまだ試せていない」
言葉にするほど、頼もうとしているものが重くなった。戻ってこないかもしれない者のために、部品と食料と、人の時間を出してほしいという話だった。
ヴァルクは写しを最後まで読んだ。
「それでも続けるのか」
「続けたい」
レンは頷いた。
「核を奪う形では進めない。第三炉を安定させて、線を調べる方法を決めたい。そのための部品を借りたい。俺だけじゃ、運ぶことも直すこともできない」
ミオの手元には、必要な材の寸法が書かれていた。隣には、まだ開けていない箇所の印がある。
ヴァルクはその紙を引き寄せなかった。
「ここには、今使う管を待っている者がいる」
「知ってる」
「知っていることと、残りを出せることは別だ」
レンは手を膝へ戻した。
窓の外で、荷車の車輪が軋んだ。ガドは扉を少し開け、廊下を通れる幅を空けた。
ヴァルクが第三炉の図を机の中央へ寄せた。
「お前が先へ行きたいのは分かった」
指が、揺れる流量を記した欄に置かれた。
「この調査を進めて、燈杭には何を返せる」




