第30話 触れずに帰る
ミオは流量計の前で、指を一本立てた。
誰も話さなかった。針が上がり、途中で震え、また下がる。床下の唸りも同じ間隔で細くなった。
「もう一度」
次の揺れを待ってから、ミオは帳面に書いた。
レンは認証口から離れた壁際で、杖を両手に挟んでいた。熱気が頬へ触れるのに、足元には冷たい水が流れていた。
「冷却の循環が揃ってない」
ミオが管の継ぎ目を照らした。滴が膨らみ、落ちる。その下には乾いた白い跡が幾重にも残っていた。
「ここの漏れと、戻り側の詰まりを調べる必要がある。今は開けない。圧が掛かってる」
ガドが隊員を呼び、継ぎ手の刻印と外から測れる幅を控えさせた。隊員は管に身体を預けず、物差しを横へ添えた。
「交換の環だけで済むか」
「座の面が傷んでたら、それでは止まらない。開けてから足りないとならないよう、予備も見積もる」
レンはトワが分けさせた環を思い出した。穴に入れば使えるわけではない。あのとき教わったことを、今は紙に残して持ち帰ろうとしていた。
ミオは制御器の小窓を見た。
温度の針は色の変わる目盛の近くにあった。まだ動いているから大丈夫だとは、誰も言わなかった。
「つなぐ前に、これを安定させたい」
レンは認証口の蓋を見た。
「接続だけでも?」
「何が加わるか分からないから。今の値を残して、作業の範囲を決める」
ミオは筆を持ち替えた。指に油がつき、紙の端を黒くした。
炉の反対側へ回る前に、レンは腰を下ろした。ガドたちは一度に遠ざからず、隊員の一人が残った。
向こうから、図の符号を呼び合う声が聞こえた。
ほどなくミオが戻り、旧線の通る床溝を指した。蓋がずれ、隙間の中に太い線が見えた。
レンは立たず、灯りだけを借りた。
潰れた受け金の下で、線の束が引き裂かれていた。切れた芯が、乾いた根のように開いている。
「門へ行く側?」
「この符号ではね。両側とも電圧がないことを測った。ここが切れてるのは確か。でも、この先が全部無事とは言えない」
ミオは線を持ち上げなかった。交換するなら必要になる長さを、溝の外から測った。
隊員が床へ白い印をつける。帰りに足を踏み入れないための印だった。
直せそうだと思うたび、ほかにも確かめる場所が増えた。
制御室へ戻ると、セナが写した紙を揃えていた。名札の入った袋は閉じたままだった。ミオは書類棚から、接続器の規格を記した頁を選んだ。
「手首を見せて」
レンは左腕を卓へ載せた。
ミオは端子へ器具を挿さず、突起の並びと間隔を図と見比べた。さらに別の頁を開く。同じ形の図の上に、門衛保守端子とあった。
「同じ系列だ」
「門衛にも、索が通る?」
「接点の並びと扱う信号の規格は合う。実物がこの図どおりなら、繋げる可能性はある」
ミオはレンの手を返した。
「届く場所に口があるか、壊れてないかは別。動いてるものへ、ここで描かれたとおりに掛けられるとも限らない」
レンは指を曲げた。三秒を使う前に、索を掛けなければならない。その時間を作るのは、自分の脚と、ほかの者の盾だった。
入口で、隊員が短く息を鳴らした。
ガドが盾を取った。セナは紙を押さえ、ミオが灯りの覆いを狭めた。
廊下から、引きずる足音が来た。
「俺だ」
声を聞いても、ガドは盾を下ろさなかった。
灰白色の肩が戸口へ現れた。シグは片手を壁につき、脚を揃えて立ち止まった。背負い袋の紐が、肩の継ぎ目へ食い込んでいた。
「そこから動くな」
ガドが言った。
シグは部屋の中を見た。机の図と、レンの腰の刀へ目を移した。
「来たんだな」
「どこから入った」
「東側の資材口。途中から細い整備路へ入る。お前たちが降りた階段は使ってない」
セナが図へ指を置いたが、何も言わなかった。
レンは通路の靴跡を思い出した。
「あの道を前から知ってたのか」
「第一炉で別れたあと、こっち側も歩いた。寝られる場所と、水の残るところを探してな」
シグは袋を壁へ下ろした。口から小さな水の容器が覗いた。
「燈杭の炉から出たあと、何をしてた」
ガドの問いに、シグの手が止まった。
「流れが戻ったのは技師と見た。あとは任せて出た」
「負傷者が出ている」
男は視線を下げた。
レンには、何を見ているのか分からなかった。次に口を開いたとき、声の高さは変わっていなかった。
「長く保つと思っていた」
「俺も、それを理由にした」
レンは言った。
「弁を閉じたのは俺だ。戻しても、中へ入ったものは消えなかった」
シグの指が水の容器から離れた。震えが収まらず、男は掌を腿へ押しつけた。
ガドは机の前から退かなかった。
「話は帰ってからも聞く。ここで装置には触るな」
「直すのか」
「今日は調べるだけだ」
ミオが答えた。
シグは炉へ続く扉を見た。
「印は」
「まだ取ってない」
レンが言うと、男は顔を向けた。
「あそこにあるぞ」
「見た」
「手を出せば済む」
レンは左手首を下ろした。
「済んだあとに何が動くか、今は確かめきれてない。先に循環を直す段取りを決める」
「また許可を待つのか」
「調べたことを持って帰る」
言い直すと、シグの口元がわずかに歪んだ。
レンは、門が故郷へ戻すものではないという記述を話した。シグは驚いた顔をしなかった。ただ、それだけで知っていたとは決められなかった。
「ここを出なければ、どこへも行けない」
男は言った。
「それは俺も思う」
レンは杖を取り直した。
「でも今は、燈杭へ戻る」
ガドが荷をまとめるよう指示した。
ミオは測定した場所と、操作していない弁を図に残した。計器の線を外し、ずらした小さな覆いを元へ戻す。炉を止めることも、旧線を繋ぐこともしなかった。
セナが紙を油紙で包んだ。隊員二人が箱と食料を持ち直した。
「お前も来い」
ガドがシグへ言った。
「ここに残る。あの階段を往復する脚が惜しい」
シグは袋を持ち上げかけ、いったん床へ戻した。
ガドは男と、レンの杖を見た。狭い通路で無理に連れていくことを選ばず、装置を動かすなともう一度告げた。
隊が炉の扉を離れるまで、シグは壁際にいた。
詰所を通るとき、セナは再生器へ灯りを向けた。停止の位置を見て、そのまま戸口へ進んだ。
帰りの通路では、先頭の隊員が横穴の手前で止まった。物音を確かめ、ガドへ合図する。レンたちは待った。消音した案内箱は、まだ黙っていた。
レンは視界の取得数を確かめた。
二/三。
来たときと同じだった。
前の灯りが動く。レンは合図を後ろへ渡し、持ち帰る記録の箱に続いた。




