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奈落の帰還者 ― 黒鎧の門  作者: 山本田38ページ
第3章 死者の回路
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第30話 触れずに帰る

 ミオは流量計の前で、指を一本立てた。


 誰も話さなかった。針が上がり、途中で震え、また下がる。床下の唸りも同じ間隔で細くなった。


「もう一度」


 次の揺れを待ってから、ミオは帳面に書いた。


 レンは認証口から離れた壁際で、杖を両手に挟んでいた。熱気が頬へ触れるのに、足元には冷たい水が流れていた。


「冷却の循環が揃ってない」


 ミオが管の継ぎ目を照らした。滴が膨らみ、落ちる。その下には乾いた白い跡が幾重にも残っていた。


「ここの漏れと、戻り側の詰まりを調べる必要がある。今は開けない。圧が掛かってる」


 ガドが隊員を呼び、継ぎ手の刻印と外から測れる幅を控えさせた。隊員は管に身体を預けず、物差しを横へ添えた。


「交換の環だけで済むか」


「座の面が傷んでたら、それでは止まらない。開けてから足りないとならないよう、予備も見積もる」


 レンはトワが分けさせた環を思い出した。穴に入れば使えるわけではない。あのとき教わったことを、今は紙に残して持ち帰ろうとしていた。


 ミオは制御器の小窓を見た。


 温度の針は色の変わる目盛の近くにあった。まだ動いているから大丈夫だとは、誰も言わなかった。


「つなぐ前に、これを安定させたい」


 レンは認証口の蓋を見た。


「接続だけでも?」


「何が加わるか分からないから。今の値を残して、作業の範囲を決める」


 ミオは筆を持ち替えた。指に油がつき、紙の端を黒くした。


 炉の反対側へ回る前に、レンは腰を下ろした。ガドたちは一度に遠ざからず、隊員の一人が残った。


 向こうから、図の符号を呼び合う声が聞こえた。


 ほどなくミオが戻り、旧線の通る床溝を指した。蓋がずれ、隙間の中に太い線が見えた。


 レンは立たず、灯りだけを借りた。


 潰れた受け金の下で、線の束が引き裂かれていた。切れた芯が、乾いた根のように開いている。


「門へ行く側?」


「この符号ではね。両側とも電圧がないことを測った。ここが切れてるのは確か。でも、この先が全部無事とは言えない」


 ミオは線を持ち上げなかった。交換するなら必要になる長さを、溝の外から測った。


 隊員が床へ白い印をつける。帰りに足を踏み入れないための印だった。


 直せそうだと思うたび、ほかにも確かめる場所が増えた。


 制御室へ戻ると、セナが写した紙を揃えていた。名札の入った袋は閉じたままだった。ミオは書類棚から、接続器の規格を記した頁を選んだ。


「手首を見せて」


 レンは左腕を卓へ載せた。


 ミオは端子へ器具を挿さず、突起の並びと間隔を図と見比べた。さらに別の頁を開く。同じ形の図の上に、門衛保守端子とあった。


「同じ系列だ」


「門衛にも、索が通る?」


「接点の並びと扱う信号の規格は合う。実物がこの図どおりなら、繋げる可能性はある」


 ミオはレンの手を返した。


「届く場所に口があるか、壊れてないかは別。動いてるものへ、ここで描かれたとおりに掛けられるとも限らない」


 レンは指を曲げた。三秒を使う前に、索を掛けなければならない。その時間を作るのは、自分の脚と、ほかの者の盾だった。


 入口で、隊員が短く息を鳴らした。


 ガドが盾を取った。セナは紙を押さえ、ミオが灯りの覆いを狭めた。


 廊下から、引きずる足音が来た。


「俺だ」


 声を聞いても、ガドは盾を下ろさなかった。


 灰白色の肩が戸口へ現れた。シグは片手を壁につき、脚を揃えて立ち止まった。背負い袋の紐が、肩の継ぎ目へ食い込んでいた。


「そこから動くな」


 ガドが言った。


 シグは部屋の中を見た。机の図と、レンの腰の刀へ目を移した。


「来たんだな」


「どこから入った」


「東側の資材口。途中から細い整備路へ入る。お前たちが降りた階段は使ってない」


 セナが図へ指を置いたが、何も言わなかった。


 レンは通路の靴跡を思い出した。


「あの道を前から知ってたのか」


「第一炉で別れたあと、こっち側も歩いた。寝られる場所と、水の残るところを探してな」


 シグは袋を壁へ下ろした。口から小さな水の容器が覗いた。


「燈杭の炉から出たあと、何をしてた」


 ガドの問いに、シグの手が止まった。


「流れが戻ったのは技師と見た。あとは任せて出た」


「負傷者が出ている」


 男は視線を下げた。


 レンには、何を見ているのか分からなかった。次に口を開いたとき、声の高さは変わっていなかった。


「長く保つと思っていた」


「俺も、それを理由にした」


 レンは言った。


「弁を閉じたのは俺だ。戻しても、中へ入ったものは消えなかった」


 シグの指が水の容器から離れた。震えが収まらず、男は掌を腿へ押しつけた。


 ガドは机の前から退かなかった。


「話は帰ってからも聞く。ここで装置には触るな」


「直すのか」


「今日は調べるだけだ」


 ミオが答えた。


 シグは炉へ続く扉を見た。


「印は」


「まだ取ってない」


 レンが言うと、男は顔を向けた。


「あそこにあるぞ」


「見た」


「手を出せば済む」


 レンは左手首を下ろした。


「済んだあとに何が動くか、今は確かめきれてない。先に循環を直す段取りを決める」


「また許可を待つのか」


「調べたことを持って帰る」


 言い直すと、シグの口元がわずかに歪んだ。


 レンは、門が故郷へ戻すものではないという記述を話した。シグは驚いた顔をしなかった。ただ、それだけで知っていたとは決められなかった。


「ここを出なければ、どこへも行けない」


 男は言った。


「それは俺も思う」


 レンは杖を取り直した。


「でも今は、燈杭へ戻る」


 ガドが荷をまとめるよう指示した。


 ミオは測定した場所と、操作していない弁を図に残した。計器の線を外し、ずらした小さな覆いを元へ戻す。炉を止めることも、旧線を繋ぐこともしなかった。


 セナが紙を油紙で包んだ。隊員二人が箱と食料を持ち直した。


「お前も来い」


 ガドがシグへ言った。


「ここに残る。あの階段を往復する脚が惜しい」


 シグは袋を持ち上げかけ、いったん床へ戻した。


 ガドは男と、レンの杖を見た。狭い通路で無理に連れていくことを選ばず、装置を動かすなともう一度告げた。


 隊が炉の扉を離れるまで、シグは壁際にいた。


 詰所を通るとき、セナは再生器へ灯りを向けた。停止の位置を見て、そのまま戸口へ進んだ。


 帰りの通路では、先頭の隊員が横穴の手前で止まった。物音を確かめ、ガドへ合図する。レンたちは待った。消音した案内箱は、まだ黙っていた。


 レンは視界の取得数を確かめた。


 二/三。


 来たときと同じだった。


 前の灯りが動く。レンは合図を後ろへ渡し、持ち帰る記録の箱に続いた。


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