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奈落の帰還者 ― 黒鎧の門  作者: 山本田38ページ
第3章 死者の回路
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第26話 昨日までの案内

 ガドは階段の縁へ足を出さなかった。


 灯りだけを前へ寄せ、側桁の残るところを見た。曲がった鉄に、薄い板が一枚引っ掛かっている。その下へ落ちた滴の音は、しばらくしてから返ってきた。


「戻っても、ここは使わない」


 ミオが図に短い線を引いた。


 箱は右へ行けと繰り返していた。明るい声には、困ったような間も、言い直しもなかった。


 セナが反対側へ灯りを動かした。


 左の通路には、細い棒を渡した柵があった。赤かったらしい布が垂れ、その後ろに道具箱と足場板が積んである。


「点検作業中って言ってる方だ」


 レンが言うと、セナは図を覗いた。


「こっちも下へ回ってる。実際に通れるか見よう」


 ガドは隊員の一人を伴い、柵の前へ行った。レンたちは低い扉の脇に残った。戻ってきたとき、男の手袋には白い粉がついていた。


「作業している者はいない。床は奥まである。積んだ板の横を通れる」


 セナが柵の留めを見た。紐は乾いて裂け、結び目だけが硬く残っていた。


「いつの作業なんだろう」


「終わったと知らせる人が、戻らなかったのかもしれない」


 ミオは箱を見た。


「右が壊れたことも、これには入っていないんだと思う」


 レンは声の出る格子を見た。誰かが話しているように聞こえる。それだけで、今の場所を見ている相手だと思いかけていた。


 隊員が柵を持ち上げ、壁に沿わせて置いた。


 左の通路は緩く下っていた。レンは杖を置き、床の継ぎ目を越えた。痛む膝を深く曲げずに歩ける幅があった。


 曲がり角の向こうにも、同じ形の箱があった。


『頭上の配管に注意してください』


 今度は、ガドが灯りを上げた先に管があった。天井から外れかけ、通路を斜めに横切っていた。


 隊員が荷を下ろし、先にくぐらせた。レンは腰を落とす代わりに身体を横にして通った。兜の頂が管の布へ触れ、乾いた粉が肩へ落ちた。


 案内は、この場所には合っていた。


 ミオは箱の下の符号を書き留めた。正しい声と間違った声が、同じ口から出ていた。


 先頭のセナが止まった。


 灯りの覆いが閉じ、足元だけが細く照らされた。ガドも歩みを止める。


 レンには、何があったのか見えなかった。やがて下の横穴から、鉄を擦る音がした。


 一度。間が空いて、もう一度。


『頭上の配管に注意してください』


 箱が告げると、擦る音が急に近づいた。


 横穴の縁に、細い脚が現れた。


 ガドは盾を身体の前へ寄せ、掌を下へ向けた。声を出すなという意味は分かった。レンは息を細く吐いた。


 セナが戻り、ガドの耳元へ顔を寄せた。


「反応が早い。静刻に近いかも」


 声はレンのところへ辛うじて届いた。


 ミオが箱の脇を見た。小さなつまみと、その下の文字を灯りで確かめる。


「発声だけ落とす」


 ガドの頷きを待って、つまみを回した。


 次の言葉は、最初の一音で切れた。箱の灯は点いたままだった。


 六人とも動かなかった。


 横穴の縁を掴んだ脚が、少しずつ先へ伸びた。胴はレンの膝ほどの高さしかなく、覆いの間から濡れたものが垂れていた。もう一本の脚が床を叩く。頭に見える部分が左右へ振れた。


 隊員が荷の留め金を掌で押さえていた。


 レンも杖を持ち上げた。鉄の床へつく音を出したくなかった。支えがなくなると、右膝へ重さが寄った。


 ガドが背後を指した。先ほど通った配管の手前に、道具を置く浅い窪みがあった。そこまで下がれという合図だった。


 ミオが先に戻り、レンへ手を伸ばした。


 レンは肩を借りた。足裏を床からわずかに離し、擦らずに置く。膝が熱くなった。二歩下がるだけで、息が詰まった。


 窪みの壁へ背をつけたとき、ようやく左足へ重さを逃がせた。


 セナが布を差し出した。レンは受け取る前に杖の先を見た。彼女が頷く。右手で先端を持ち上げ、左手で巻こうとしたが、布が緩んだ。


 セナが結び目を締めた。


 灯りの覆いが一度、細く開いた。先頭から後ろへ、同じ光が渡った。ガドは盾を構えたまま、列の横へ寄った。


 骸機は箱の下まで来ていた。


 小さな脚が壁を探り、格子の下へ掛かった。胴が持ち上がる。箱へぶつかると乾いた音がして、機体はその音にも首を振った。


 刀を抜けば届く距離ではなかった。近づいて一度で止められるかも分からなかった。


 レンは鞘を左の肘で押さえ、壁へ当てないようにした。


 先へ進む光は、まだ来なかった。


 額の内側に汗が溜まった。兜を拭えず、目を細めた。ガドは一度も後ろを振り向かなかった。盾の脇から、横穴とこちらの間を見続けていた。


 機体が箱から降りた。


 着地の音が通路へ響いた。遠くで別の薄板が鳴り、機体はそちらへ向きを変えた。六人の前を横切らず、元の横穴の奥へ戻っていった。


 音が遠ざかっても、ガドは待った。


 やがて灯りが短く二度開いた。セナが頷き、先へ出た。


 レンは布を巻いた杖を置いた。音は鈍くなったが、先が少し滑った。大きく預けず、壁へ手を添えた。


 横穴を通り過ぎるとき、奥を見たい気持ちがあった。戻ってこないと確かめたかった。


 だが、ガドの盾の外へ顔を出すのはやめた。


 隊員二人が最後に通り、先に延びる扉の前まで来た。セナが開き具合を確かめる。蝶番は動いたが、閉める直前に金属が擦れそうだった。


 彼女は布を隙間へ挟み、戸を寄せた。施錠はしなかった。


 ガドが閉じた戸を見てから、全員の顔を順に確かめた。


「ここで休む。灯りは低く」


 声はまだ小さかった。


 レンは壁沿いの石へ座り、杖の先の布を見た。湿って黒くなっている。


「帰りも、あの箱は黙らせたままか」


「この先の箱も、音が出るなら先に見る」


 ミオが答えた。


「何を変えたかは記録する。戻すかどうかは、帰りの状況を見て決める」


 彼女は発声を落とした箱の符号へ印をつけた。


 休憩を終えて進むと、床が乾いてきた。靴底に貼りついた湿った粉が、薄い塊になって剥がれた。


 セナの灯りが止まった。


 今度は隊員より先に、レンにも理由が見えた。


 埃の上に靴の跡があった。


 自分たちの足元から続くものではなかった。横の細い整備口から出て、奥へ向かっていた。縁はまだ崩れず、細い溝まで残っている。


 ガドが誰も踏まないよう手で示した。


 壁の角には、埃の剥がれた筋があった。肩より低い位置から、斜めに伸びている。筋の端で、薄い塗膜がめくれていた。


 レンはそこへ自分の肩を近づけず、離れたまま見た。


「誰か、通ってる」


 セナが言った。


 跡の先には、まだ灯りが届かなかった。


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