第21話 救ったあとに残るもの
朝の粥が来たとき、レンはまだ寝台の端に座っていた。
横になると右膝の置き場所が決まらず、何度も起きた。扉の向こうで見張りが替わった音は聞いたが、何回だったかは分からない。
器を置いた係が、昨日の器を持っていった。底には乾いた薄い膜が残っていた。
食事のあと、救護係が膝と手を確かめに来た。左の指は一本ずつ動いた。ただ、布を挟むと力を保てず、引かれるまま滑った。
「重い物は持たない。座ってできることだけだ」
救護係が言うと、戸口にいたガドが頷いた。
「救護所で布と配給の札を分ける仕事がある。係から頼まれた。行くか」
「行く」
「隊員をつける。指示された場所から動くな。終わったらここへ戻る」
レンは杖を取った。武器を返す話はなかった。
救護所には、煮た布の湿った臭いが満ちていた。
入口に小さな台が置かれ、椅子の下に脚を伸ばせる場所が空いていた。レンはそこへ座った。付き添いの隊員は、入口とレンの両方が見える壁際に立った。
係が二つの籠を示した。
「乾いた布はこっち。縁がほつれたものは、分けて置いて。傷へ当てる分には回さない」
レンは一枚取った。左手で強く引かず、台へ広げて右の指で縁を確かめる。小さな糸が爪のない指先に掛かった。
別の籠へ置いた。
奥で寝具が鳴った。
トワが身体を起こそうとしていた。肘で支えた肩が震え、救護係に寝かされた。左脚は板と布で固定され、足先だけが外へ出ていた。
レンの手が止まった。
昨夜、ヴァルクへ話した。ガドもミオも知っている。だが、脚を折った本人には言っていない。
付き添いへ顔を向けた。
「トワに話したい。ここから声を掛けてもいいか」
隊員は救護係を見た。係がトワに尋ねると、彼女は枕から顔を少し動かした。
「聞こえるよ」
レンは布を置いた。
「昨夜、炉の弁を閉じたのは俺だ」
トワの目がこちらへ向いた。
「核を運ぶ準備を調べようとした。短く確かめて戻せばいいと思った。防護が止まって、あいつらが入った」
言い終えると、匙の当たる音が聞こえた。隣の寝具で食事をしていた男が、器を膝へ下ろした。
「あの話、聞いてたよね」
トワが言った。
「聞いてた」
「予備へ切り替えるって。人を移すって」
「覚えてた。それでもやった」
彼女の手が寝具の縁を掴んだ。
レンは頭を下げた。
「すまない」
トワはしばらく何も言わなかった。レンは顔を上げた。返事を待つために俯いているのも違う気がした。
「管の下から出してくれたことは、助かったと思ってる」
声は小さかった。
「でも、それでいいとは言えないよ」
レンは頷いた。
「子供の飯を取りに行くのも、人に頼んでる。仕事の札も、今日は増えない。いつ戻れるか、まだ誰も言わない」
その脚がどれほど痛むかを、レンは知らなかった。自分の膝と同じもののようには考えられなかった。
「俺にできることが――」
「今は、話を終わりにして」
トワは目を閉じた。
レンは口を閉じた。救護係が彼女の肩へ布を掛け直した。
台の上には、確かめかけた一枚が残っていた。どちらの籠へ入れるつもりだったか、分からなくなっていた。
最初から縁を見直した。
セナが入口へ来たのは、乾いた布の籠が半分ほど空いたころだった。腕にいくつかの包みを抱えていた。
「まだ届いてない分がある」
台へ置くと、包みの角から熱札が見えた。外側には配る先を示す札が結んである。
「人が移ったから、場所が変わってる。古い場所のまま出すと、誰もいないところに持っていくことになる」
セナは二枚の一覧を並べた。片方には書き消した線が多かった。
「名前が同じか見て、今いる場所の札を載せて。結ぶのは私がやる」
レンは一つ目を引き寄せた。
「さっき、トワに」
「うん」
セナは聞こえていたのか、続きを尋ねなかった。
「これは同じ名前が二つある。家の人数も見て」
指された行を読んだ。一人の欄と、三人の欄があった。レンは札を置きかけた手を止め、包みの数を確かめた。
「三人。こっちだ」
セナが見比べ、紐を結んだ。廊下で待つ者へ渡すと、その包みだけが台からなくなった。
レンは次を取った。
その日の仕事は、すべての包みがなくなる前に終わった。救護係が膝を伸ばしたまま休むよう言い、付き添いが杖を渡した。残りを抱えていくとは言わなかった。
監視室へ戻ると、ミオが待っていた。
目の下に薄い影があり、袖には乾いた油がついていた。卓に紙と筆を置き、レンが座るまで手をつけなかった。
「事情は聞いた」
レンは水を飲むために上げかけた手を下ろした。
「記録を頼んでおきながら、待たずに行った。行き先も言わなかった」
「私が出した申請では、接続しないで調べるところから始めるはずだった」
「分かってる」
ミオは紙をレンの前へ寄せた。
「今度は、表示を全部書いて。あんたが必要だと思うところだけじゃなくて、見出しも、その下の行も」
レンは筆を取った。右手なら持てた。左手で紙を押さえると、端が少しずれたので、水の容器を重しにした。
目を伏せ、最初に告げられた条件へ意識を向けた。白い文字が視界に並んだ。二つの証印を得ても、三つの条件の文は変わっていなかった。
レンは一行ずつ写した。
〈帰還を望むなら、昇界門を開放せよ〉
〈開放条件〉
〈一:三基の錨炉において、生存する渡界者が錨核へ直接接続し、証印を取得する〉
〈二:三基から昇界門への接続を同時に成立させる〉
〈三:門衛を停止させ、開放中に門を通過する〉
そこで筆を止めた。
「下に、線がある」
「それも書いて」
紙へ横線を引いた。
〈推奨経路:各錨核を回収し、昇界門へ搬送〉
ミオは筆が離れるのを待ってから、紙を手前へ動かした。
「これで、条件に関わる文は全部?」
レンは表示と紙を見比べた。取得数は別に二/三と書いた。最初の通知にあった自分の名と、奈落・第九環、灰葬域という場所の表示も、余白へ加えた。
「全部だ。ここの線も、最初からあった」
ミオは上から指で追った。二番目の行で止まり、次に横線の下を読んだ。
「前は、核を運ばないといけないと言ったね」
「そうするものだと思った」
「表示がそう言ったのか、あんたがそう考えたのか、分けて」
レンは紙を見た。
「俺が、そうまとめた。回収は、下に別で書いてある」
ミオは頷かなかった。筆を取り、二番目の条件の一語に短い線を引いた。次に、下段の一語にも同じ線を引いた。
接続。
回収。
彼女の指は、その二つの間で止まった。




