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奈落の帰還者 ― 黒鎧の門  作者: 山本田38ページ
第2章 熱を奪う者
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第20話 差し出す刃

 救護係は、トワの問いに首を振った。


「まず脚を動かさずにいられる場所を決める。仕事の話は、そのあとだ」


 トワは天井へ目を戻した。添え木を結ぶ布が引かれると、寝具の端を握った。


 レンは椅子から立とうとして、ガドに止められた。


「お前も脚を見せろ」


 右膝の帯が解かれた。装甲の隙間を押され、息が詰まる。救護係は熱を確かめ、これ以上歩き回らないよう言った。左手は指を一本ずつ曲げられた。触れられているのは分かるが、どの指か答えるまでに間があった。


 新しい布を膝へ巻かれるあいだ、入口から人が入ってきた。


 負傷者ばかりではなかった。寝具を抱えた家族が、壁に沿って座る場所を探していた。部屋の奥で寝返りを打った男が、そのたびに肩を押さえた。


「戻れないのか」


 子供を抱えた女が入口の係に尋ねた。


「防護は戻った。でも配管を止めてる。床も片づいてない。朝まではこっちで待って」


 女は壁を見た。空いている場所は、レンの椅子のすぐ横しかなかった。


 レンは足元の水の容器を右手で拾った。女が座れるだけの場所を空けると、ガドが杖を渡した。


「手当てが済んだなら来い」


 廊下では、濡れた袋が二つ、板の上に置かれていた。裂け目から穀粒がこぼれている。係が乾いた分を浅い容器へ移していたが、底の方は灰色の水を吸って塊になっていた。


「これは分けられない。捨てる分へ」


 片方の袋が運ばれていった。中から落ちた粒を、係が靴で踏まないよう避けた。


 ガドはレンを廊下の壁際へ座らせた。見張りの隊員を呼び、短く話す。隊員は頷いたあとも、その場を離れなかった。


「刀と索を預かる」


 レンは左の腰へ手を伸ばした。


 指が留めに掛からなかった。右手で鞘を腿に載せ、帯からゆっくり外す。抜かずに、柄を自分へ向けたまま差し出した。


 ガドは鞘の中央を持った。


 次に索を外した。巻かれた輪の中に、修理の跡が残る鉤があった。ミオに戻してもらってから、まだ一日しか経っていない。


「鉤は点検前だ」


「分かってる」


 ガドは刀と索を隊員へ渡した。隊員が二つを布の上へ置き、数を紙に記した。


 腰が軽くなった。杖と水の容器は残った。


「修繕場には戻さない。今夜は監視室に入れ。出るときは必ず呼べ」


 レンは頷いた。


 ガドが肩を貸した。武器を取った手で、歩幅の遅れる身体を支えた。レンはその腕に重さを掛けなければ、廊下の段差を越えられなかった。


 監視室は管理室の奥にあった。小さな卓と寝台が一つずつあり、扉には外から覗ける四角い窓がついていた。


 座ると、ガドは水を卓へ置いた。


「話を聞く者を呼んでくる」


 扉が閉じた。向こうで隊員が椅子を引いた。


 レンは左手を卓に置き、指を動かした。薬指だけが遅れた。さっきトワを支えられなかった手だった。


 壁の管は暖かかった。


 この部屋には、まだ熱が来ている。


 しばらくして薄い粥が運ばれてきた。器と匙を置いた係は、食べ終わったら扉を叩くよう言った。レンは口元を開け、右手で匙を持った。


 腹は空いていた。二口目を急いで飲み、喉を焼いた。


 食べられなくなればよいわけでもなかった。器を膝へ落とさないよう、卓へ近づけた。


 ガドが戻ったとき、粥は半分残っていた。後ろからヴァルクと、紙を持った係が入った。


「シグはどこだ」


 レンが尋ねると、ガドは扉を閉めた。


「いない。炉に来た技師には、流れが戻ったところまで見届けたと聞いた。そのあと外へ出た。誰も行き先を聞いていない」


 向かいの椅子は空いていた。そこにシグが座れば、どこまで同じ説明をするだろうと思った。


「お前の話を聞く」


 ヴァルクが椅子を引いた。


「最初に、いつ炉へ入った」


「夕食のあとだ。修繕場の掃除を終えてから出た。時刻は見てない」


 係の筆が動いた。


 レンは排水口からの道を話した。立入禁止の札、沈んだ床、照合盤。シグには反応せず、自分が触れたときだけ文字が出たことも話した。


「その盤で開いたのか」


「開かなかった。シグが手動の軸を回した。脇の低い戸から入った」


「誰かに許可されたと言われたか」


「言われてない」


「お前は、許可が必要だと知っていた」


「知ってた」


 レンは卓の木目を見た。小さな焦げ跡が一つあった。そこを見続けていれば顔を上げずに済んだが、ガドの方を向いた。


「ミオには、外の空気を吸うとだけ言った」


 ガドは答えなかった。


 認証口へ接続したこと、二つ目の証印を得たことを話した。接続の前と後で計器を見た。蓋を閉じ、水を飲んで脚を休めた。そのあいだも針は変わらなかった。


「数値は残したか」


「書いてない。同じ目盛にあったのを見ただけだ」


 係は紙へ書き足した。


「弁を閉めたのは、そのあとか」


「そうだ。シグが回収の準備を確かめようと言った。今夜運ぶんじゃなく、供給を切れるかだけだと」


「それで閉めたのか」


 レンは息を吸った。


「一度は、戻ろうと言った」


 口にした途端、その言葉だけを紙へ残してほしい気がした。


 だが、戻らなかった。


「そのあと俺が、表示を見たらすぐ戻すと決めた。シグは確認窓のところにいた。弁を閉じたのは俺だ」


 ヴァルクが腕を卓へ置いた。


「何が止まると考えていた」


「制御の補助機関。防護線にも関わると知ってた」


「どこで聞いた」


「トワに。人を移して、補修口を塞いで、予備へ切り替える。現場の確認も要ると」


 紙を擦る音が止まった。


「外縁の蓄えは当てにできないとも聞いた。でも、短ければ戻せると思った。シグは前には猶予があったと言った。今の記録は見ていないとも」


 ヴァルクはしばらくレンを見た。


「確認していないと聞いて、それでもやった」


「ああ」


 弁の指標が閉へ着いたこと、外縁灯が消えたこと、警報と同時に戻し始めたことを話した。何秒閉じていたかは答えられなかった。係が、警報の記録と技師の報告を照合すると言った。


 レンは頷いた。短かったはずだと言い足すのをやめた。


 ヴァルクは紙を受け取り、目を通した。


「補修区画の配管は分岐を閉じた。あそこは今夜、暖められん。備蓄を出して内郭で食わせる。脚を折った者の分の仕事も、誰かが受け持つ」


 レンは左手を引こうとして、指先を卓の縁へぶつけた。


「俺にできる仕事を――」


「任せられるかを、こちらが決める」


 ヴァルクは紙を伏せた。


 ガドが戸口へ目を向け、見張りの位置を確かめた。レンの刀はもう、この部屋にはなかった。


「救助に加わったことも聞いている」


 ヴァルクが言った。


「だが、助けた人数を数えても、今夜の被害は減らん」


 レンは返事をした。小さな声だったが、聞き返されなかった。


 卓の端には、まだ粥の入った器があった。


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