第19話 運びきれない重さ
灯りの端に、トワの手が見えた。
倒れた作業台の向こうで、工具の柄を床へ打ちつけていた。もう片方の手は台の脚を掴んでいる。顔を上げようとするたび、歯の間から短い息が漏れた。
頭上にあった太い管が、斜めに落ちていた。片端は壁の受け金に残り、もう片端が潰れた架台へ載っている。その途中で、トワの左脚を床へ押さえていた。
「動かないでくれ」
レンが言うと、彼女は工具を置いた。
「動けないよ」
唇が白かった。
ガドが灯りを床へ置き、盾を上げた。
奥で金属の脚が鳴った。倒れた棚の裏から、細い前脚が出てくる。胴は棚に隠れていたが、その下を通る赤い肉の筋が見えた。
「レン、台の手前にいろ」
ガドは棚とトワの間へ入った。機体が盾へ突き当たり、棚から空の器が落ちた。ガドが押し返す。後ろには管があり、それ以上は退けなかった。
レンは刀を鞘へ収めた。杖を台に立て、腰の索を解く。鉤の三本の爪を灯りへ向けた。修理された一本も、ほかと同じ向きを保っていた。
根元を左手首へ留めたとき、通路から隊員が一人来た。
「表の一体は止めた。もう一人が残って見てる」
鉤棒の先に黒い油がついていた。ガドは盾を押しながら顎を動かした。
「こいつを棚の向こうへ寄せる。索をあの柱へ」
レンはトワの脚を見た。管の下に指を入れる隙間もなかった。持ち上げる道具が要る。人も要る。その間、あの脚を近づけさせてはいけない。
「止める。先に掛けてくれ」
ガドが頷いた。隊員は索を支柱へ回し、輪を作って床に広げた。
機体が盾を押すたび、胴の側面が見えた。覆いの欠けたところに、小さな接続口がある。レンは倒れた台に左腰を当て、鉤を短く振った。
爪が口の縁を叩き、一本が内側へ入った。
索を引いて確かめる。手首へ硬い抵抗が返った。
〈接続成立〉
ガドが機体を押した。脚が隊員の置いた輪へ入る。
レンは影縫いを使った。
動きかけていた胴が盾に滑り、鈍くぶつかった。勢いまでは消えない。ガドは腰を落として受け、止まった脚を跨がず、横から盾で押さえた。
「引け」
隊員が索を引いた。輪が前脚の付け根へ締まり、胴が棚の奥へ傾く。ガドが盾を斜めにし、トワへ伸びる鉤の前へ差し込んだ。
三秒が切れた。
脚が跳ねた。柱へ回した索が鳴り、棚が壁を擦った。レンは自分の索を送り、手首へ掛かる力を逃がした。
機体の脇に隙間ができた。切っ先を入れれば、奥の部品へ届くかもしれなかった。
レンは刀へ手を伸ばさなかった。
「管を上げる物を」
通路へ声を張った。
「長い棒と、下へ挟む物が要る。人も呼んでくれ」
セナが戸口から中を見た。トワを見つけ、すぐに顔を引いた。
「担架も持ってくる」
走る足音が遠ざかった。
トワは台の脚を握ったまま、レンを見ていた。
「子供は」
「名前を教えてくれ。確かめてもらう」
彼女が言った名前を、レンは繰り返した。大丈夫だとは、まだ言えなかった。
棒を持った作業員二人が来た。セナも板と巻いた布を抱えて戻る。受け取った子供の名を聞くと、上へ行った組で確認すると答えた。
作業員は架台の崩れていない足を調べ、厚い木片を置いた。そこを支点に棒を管の下へ差し込む。もう一人が抜けたあとを塞ぐ木片を用意した。
「上げたら、まず挟む。引くのはそれからだ」
ガドが言った。
レンはトワの肩の後ろへ屈んだ。右膝が曲がり切らず、腰を台へ預ける。敷かれた布を右手で掴んだ。
隊員が索を引き直した瞬間、機体の胴が捻れた。拘束された脚を支点に、後ろの脚が救助側へ振れる。
ガドの盾が受けた。縁が管に当たり、金属音が響いた。
「もう一度、止める」
レンは言った。鉤はまだ繋がっていた。
ガドが盾で振れる脚を押し戻す。動きが小さくなったところで、レンは影縫いを重ねた。
「今だ」
作業員が棒を押し下げた。管がわずかに上がる。木片が差し込まれ、棒を押す腕が止まった。
トワの叫びが兜の中へ響いた。
三秒で、取り出せたわけではなかった。
動き始めた骸機をガドが盾で受け、隊員が索を張り続けた。管は木片の上に留まった。作業員が隙間を確かめ、トワの脚を支える位置へ移った。
レンは布を引こうとした。
左手の指が閉じなかった。右手だけで重さを受けると、膝が抜けた。身体が横へ沈み、トワの肩まで引きずりかけた。
「代わってくれ」
声が擦れた。
「俺じゃ支えられない。肩を頼む」
セナが布の端を受け取った。レンが退いたところへ作業員が入り、脚の側と声を合わせた。少しずつ、身体が管の下から抜けていく。
左の脛は、右と違う向きに曲がっていた。
レンは目を逸らさなかった。逸らさずにいることしかできなかった。
布ごと板へ移すあいだ、セナがトワの手を握った。別の者が添え木を持ってきた。レンは手首の留めを右指で探り、外した。索が床へ落ちた。
「鉤はあとで取る。先に出ろ」
ガドが言った。
レンは杖を取った。左手は空のまま、掌の形だけを保っていた。
担架を持ち上げたのは作業員二人だった。レンが手を添えようとすると、セナが先へ顎を向けた。
「角の箱を寄せて。通れるように」
軽い空箱だった。杖で身体を支え、右手で引いた。担架の幅が通れるだけ、壁へ寄せる。
セナは上り通路へ先回りし、人を脇へ動かした。
レンは担架の後ろを歩いた。途中で追いつけなくなり、運ぶ二人の背が角へ消えた。
踊り場へ着くころ、ガドが追いついた。巻いた索をレンの腰へ掛ける。
「鉤は外した。点検するまで使うな」
「あいつは」
「駆動を潰した。残りがいないか、隊が見ている」
レンの歩調に合わせ、ガドも足を遅くした。膝が震えるたび、その手が肩の後ろへ来た。
内郭の救護所では、濡れた布を絞る音がしていた。
額を切った女が壁際に座り、腕を吊った男が床の寝具へ横になっていた。奥からトワの声がした。セナが子供の無事を伝えたところだった。
レンは入口の椅子へ座らされた。
ほどなく隊員が来て、内側の確認が済んだとガドへ告げた。侵入した二体は動かず、奥の防護線も同期したという。ガドは補修口に見張りを残すよう命じた。
救護係がトワの靴を切っていた。脛へ添える板を選びながら、骨が折れていると告げる。トワは天井を見たまま、返事をしなかった。
レンは痺れた左手を腿へ置いた。
「明日の仕事」
トワが顔を向けた。
「座ってなら、戻れる?」
レンの前には、厚い環と薄い環を分けた台が浮かんだ。椅子はその下へ押し込まれ、道具は三本揃っていた。
今、その台は倒れていた。
返事をしようとしても、声が出なかった。




