第18話 線の内側
レンは輪を逆へ回した。
閉じたときと同じ重さが、両腕へ掛かった。右膝で踏ん張りかけ、痛みに腰が落ちた。左足を寄せ、輪の下側を引く。
「開の端までだ」
シグが横から輪を押した。二人で持ち替え、指標を戻す。管の中に流れの音が戻り、床下が細かく震え始めた。
開。指標は元の位置にあった。
外縁の灯は戻らなかった。
「戻したぞ」
レンは計器へ言った。赤い防護同期断の表示は消えない。シグが確認窓と流量計を交互に見た。
扉の向こうで、足音が走った。
「外縁、応答を。補修区画はどうした」
男の声に、金属越しの割れた声が重なった。言葉は聞き取れなかったが、男がすぐにもう一度聞き返した。
ここで待っていれば、戻るのではなかった。
「残って、流れを見てくれ。人を呼ぶ」
シグの返事を聞いてから、レンは杖を取った。正面通路の扉へ行き、横棒を抜く。開けた先に、壁の受話器を握る技師がいた。
技師の目が、レンと開いた扉の間を動いた。
「お前、そこへどうやって」
「核保守の隔離弁を閉じた。今、開へ戻した。中にシグがいる」
「何だと」
受話器から叫びが漏れた。
「柵の内側だ! 灯りを上げろ、足元にいる!」
レンの喉が縮んだ。
技師は受話器へ、補助機関の供給が復帰したことと現場確認を急ぐよう伝えた。受話器を壁へ掛け、廊下の先を指す。
「外の詰所へ行け。ガドに今のことを言え。俺は炉を見る」
レンは杖をついた。
通路を曲がったところで、盾を持ったガドに出会った。後ろから隊員が二人、索と長い鉤棒を抱えて来る。レンの姿を見ると、ガドの足が止まった。
「炉の弁を閉じた。戻した」
言葉が兜の内側へ跳ね返った。
「核保守の隔離弁だ。俺が閉じた。シグと技師が、今、中にいる」
ガドの視線が、レンの左手から顔へ上がった。
「核は」
「外してない。留めにも触ってない」
「弁は全開か」
「開の端まで戻した。流れも戻った。でも外縁の表示が消えたままだ」
ガドは後ろの隊員へ向き直った。
「供給は戻っている。復旧組へ伝えろ。補修口の内側にいるものを先に止める」
一人が走り去った。ガドはレンへ近づいた。
「歩けるか」
「行ける」
「走れるかとは聞いていない。俺の後ろから離れるな。勝手に装置へ触るな」
レンは頷いた。事情を説明する言葉が浮かんだが、ガドはもう外縁へ向いていた。
下りの通路へ入ると、人が上がってきた。寝具を抱えた女と、片足だけ布靴を履いた子供。壁際を空けてもらい、レンは一歩ずつ下った。急ぐほど杖が遠くへ出てしまう。ガドとの間が開いた。
踊り場で、ミオが工具袋を肩へ掛けていた。年配の技師が覆い付きの灯りを持っている。
「供給弁が閉まったって、今聞いた。あんたが?」
「俺だ」
ミオは口を結んだ。
「話はあと。外縁は各柱で同期を取り直す。復旧するまで、線があると思って動かないで」
レンへ触れずに横を抜けた。技師と二人、配管に沿う細い階段へ下りていく。
下ではセナが布の仕切りを巻き上げていた。
「荷物は壁へ寄せて。抱えたまま止まらないで」
老人を支える二人が、開いたところを通った。セナはレンを見つけると、ガドの盾の方へ目を移した。
「作業場の前に一体。もう一つ、奥へ入ったのを見た人がいる」
「上への道を空けておけ」
ガドが言った。
角を曲がると、鉄が床を掻く音がした。
昼に部品を運んだ通路だった。片側は管の壁、反対側は作業場の庇。濡れた床に箱が倒れ、環が散っていた。その上を、四本の短い脚が踏んでいる。
骸機の胴は低く、剥がれた覆いの下に赤黒い肉が見えた。前端の二本の鉤が交互に開いた。布の奥で人が動くたび、胴ごとそちらへ向き直る。
ガドが盾を床近くまで下げた。
「こっちだ」
盾の縁で管の支柱を叩いた。
骸機が向きを変え、散った環を弾いて来た。盾に鉤が掛かる。ガドは受けたまま一歩退き、肩を壁へ寄せた。隊員の鉤棒が横から伸び、胴を庇の柱へ押した。
「レン、奥へ出るな。右の脚だけ見ろ」
レンは杖を管と壁の隙間へ差し込んだ。左手を支柱へ添え、右手で刀を抜く。右膝を深く曲げず、盾の後ろに立った。
骸機の脚先が盾の脇へ回った。
斬り下ろそうとして、止めた。刃の先に床の鉄板がある。外せば薄く研ぎ直した刃を叩きつける。
切っ先を低くし、踏み出してくる関節の隙間へ合わせた。
脚が伸びたとき、短く押し込んだ。
刀身を通して硬い震えが来た。刃を捻らず引く。脚は止まらなかったが、接地がずれ、胴が傾いた。隊員が鉤棒を押し直し、ガドが盾で前端を柱へ寄せた。
「今だ。後ろを通せ」
セナが仕切りの奥へ声を掛けた。裸足の男が子供を抱えて出てきた。その後ろに、額へ布を押し当てた女が続く。布の下から血が顎へ流れていた。
レンは女を見かけて、すぐ脚先へ目を戻した。
伸びた鉤が、盾の端を越えた。
左へ引いた身体に右脚がついてこなかった。膝の奥に痛みが走り、支柱を握る手へ重さが掛かる。鉤は胸の前を擦り、黒い装甲に浅い筋を残した。
「追うな。その位置でいい」
ガドが盾を押し込んだ。隊員が棒の柄を支柱へ当て、身体を使って機体を押さえる。
レンは刃先を戻した。息を吸うと、油と濡れた布の臭いがした。
これが、外にいた。
昼には線の向こうで脚を折り返していたものが、今は同じ床を踏んでいる。
奥で重い物が倒れた。管が鳴り、庇から埃が落ちた。
レンは顔を向けた。
「持ち場を見ろ」
ガドの声に戻された。いま離れれば、この鉤が上り通路へ向かう。
隊員が一人、後ろから戻ってきた。索を柱へ回し、鉤棒で押さえた胴の後ろへ輪を落とす。ガドが押し、二人が引いた。機体の脚が床を空掻きした。
レンは人の流れが切れるまで、刀を下げなかった。
配管沿いの階段から、灯りが二度振られた。
「手前の区画、同期戻った! 奥はまだ確認中!」
技師の声だった。通路脇の小さな表示箱に灯が戻った。耳の奥へ触れる低い響きも、切れ切れに聞こえ始めた。
縛られた骸機は動き続けていた。線が戻っても、柱に掛かった鉤は外れなかった。
「こいつは二人で押さえろ。増えるならすぐ呼べ」
ガドが隊員へ命じた。
作業場の奥から、何かを叩く音がした。
三度。間が空いて、二度。
「こっちに、人がいる」
擦れた女の声がした。
レンは杖を引き抜いた。ガドが盾を持ち直し、庇の下へ灯りを向ける。
トワが揃えていた三本の工具のうち、一本が通路まで転がっていた。




