第17話 二つ目の印
認証口の蓋には、油を拭いた跡があった。
第一錨炉のように、埃に埋もれてはいない。縁のねじも新しく、その下に古い工具傷が残っていた。誰かがここへ通い、この熱を保っている。
レンは蓋の横へ指を掛けた。軽く押すと留めが外れ、内側の端子が見えた。
「先に針を見る」
シグへ言って、壁の計器へ顔を向けた。
炉出力と刻まれた丸い計器があった。針は上半分の目盛にあり、先端が細かく震えている。その位置と、隣の流量計の位置を順に覚えた。内郭と外縁の灯も点いていた。
ミオがいれば、数字を紙へ残すだろう。レンは書く物を持ってこなかった。目盛の長い線を数え直した。
「変わったら言ってくれ」
シグは計器の側へ移った。灯りを台に置き、灰白色の肩を壁へ預ける。
レンは杖を認証口の脇へ立てた。左足へ重さを移し、手首の端子を窪みに合わせた。
〈錨核接続待機〉
突起が収まった。
冷たさが左腕を上がってきた。炉心室の熱気の中で、腕の内側だけが冷えていく。視界を横切った白い線が、ひとまとまりの形になった。
〈第二証印 取得〉
〈証印取得数 二/三〉
レンは、二の文字を見た。
最初の一つを得てから、修繕場で目覚めた朝も、部品を分けた昼も、帰るための条件は動かなかった。それが今、変わった。
「取れたか」
「二つ目だ」
声を低くするつもりが、息が先に出た。兜の中で、自分の声が大きく聞こえた。
左手を離した。端子は引っ掛からずに抜けた。指を曲げても、影縫いのあとに来る痺れはなかった。
レンは計器を見た。
出力の針は、同じ長い線の手前にあった。流量も変わらない。内郭と外縁の灯は、どちらも点いている。
「動いたか」
「見ていた限りではな」
シグが首を振った。
レンはもう一度、目盛を数えた。足元の唸りも同じだった。何かを奪った手応えはない。円筒は熱を送り続けていた。
やはり、印だけなら取れた。
ヴァルクの机の前で繰り返した説明を思い出した。核は外さない。接続だけを試したい。あそこで認めてもらえていれば、この時間にはミオと記録を見比べていたはずだった。
認証口の蓋を閉じた。
レンは台の端へ腰を下ろし、右脚を伸ばした。脈に合わせて膝が疼く。口元の隙間を開けて水を飲んだ。温くなった水に容器の臭いが移っていたが、喉を通ると少し楽になった。
シグは何も言わず、炉の下部を見ていた。
レンは蓋を締め、口元を閉じた。針を見直す。変わらない。水を飲み、脚を休めた間にも、何も起こらなかった。
「戻ろう」
言うと、シグがこちらを向いた。
「次に何を揃えるか、見ておかなくていいのか」
男が指した先に、大きな吊り輪があった。その下を二本の軌条が通り、円筒の基部へ続いている。
「運ばないと言った」
「今夜は運べん。吊り具も人もいない。だから、何が要るか調べる」
シグは輪に触れなかった。核を押さえる留め具にも手を出さず、脇の小さな窓を灯りで照らした。
保守隔離確認。その下に、待機とあった。
「圧を抜く前に、供給を切れるか確かめる。弁を閉じて、この表示が変わるかを見る。今日はそこで戻す」
「その弁で、制御の方も止まるんだろう」
トワの言葉が浮かんだ。核を外さなくたって、と彼女は言った。
シグは壁沿いの管を指した。細い方が隔離弁を通り、その先で床へ下りていた。
「こっちへ送る作動流体が切れる。補助機関を止めないと、核の保守には入れない」
「外の防護線は」
「前は蓄えで保った。確認して戻す間くらいはあった」
レンは立ち上がらなかった。
「今もか」
「今の整備記録は、俺にも見せない」
シグは灯りを窓の下へ置いた。
「だが炉は動いてる。内郭の蓄えも生きている。時間を掛けなければいい」
外縁まで当てにしてはいけない。トワはそれも言った。
レンは内郭の灯から、外縁の灯へ目を移した。どちらも同じ色だった。ここからでは、向こうの柱にどれほど余裕があるか分からない。
「人を移して、予備へ切り替えてからだと聞いた」
「核を外して仕事をするなら、そのとおりだ」
シグは台の向こうへ一歩退いた。
「やらないなら、それでもいい。次に来たとき、ここから確かめるだけだ」
急かす声ではなかった。レンの代わりに弁へ手を掛けることもなかった。
だからこそ、断る言葉は自分で出さなければならなかった。
レンは杖の握りを見た。
二つ目を取ったと言えば、ミオは何を見たか尋ねるだろう。出力は変わらなかったと答えられる。だが核を運ぶ話になれば、また分からないことが残る。何を止め、どこまで準備すればよいか、ヴァルクの閉じた記録を待つことになる。
弁を閉じる。表示を見る。戻す。
その三つなら、ここで終えられるように思えた。
視界の端には、二/三が残っていた。二度つないで、二度とも炉は止まらなかった。今度も、変化を見ながらなら間に合う。
認証と弁は違う操作だった。それでも、さっき針が動かなかったことが、手を伸ばす理由になった。
「表示が変わったら、すぐ戻す」
レンは立ち上がった。
「抜圧はしない。留め具にも触らない」
シグが頷いた。
「俺が窓を見る」
隔離弁の輪は胸の高さにあった。レンは札を読んだ。核保守用隔離弁。その下に小さく、制御系補助機関供給と刻まれている。
間違った弁ではなかった。
輪の後ろには、開と閉を結ぶ弧状の目盛があった。指標は開の端についていた。動かした分だけ逆へ戻せば、この位置に戻る。
杖を壁へ立て、左脚を前に出した。右膝へ体重を掛けずに済む位置を探す。左手で輪の下を支え、右手を上へ掛けた。
金属は掌より熱かった。
まだ離せた。蓋を閉じた認証口も、出口の扉も見えていた。
レンは輪を回した。
最初は重く、腕に力を入れなければ動かなかった。少し進むと滑らかになった。管の中の音が細くなる。視界には弁の向きも、外縁の残り時間も出なかった。
「まだだ」
シグが確認窓を見て言った。
レンは持ち替えた。指標が閉の側へ寄った。出力計の針は動いていない。室内の熱も変わらない。
あと少しだった。
輪が止まるところまで回した。
床下の細かな振動が、一つ消えた。
「切れた」
シグの声と同時に、保守隔離確認の窓が変わった。レンはすぐ輪を逆へ押そうとした。
外縁の灯が消えた。
隣に赤い線が走り、防護同期断という文字が出た。内郭の灯は残っていた。炉は唸り、出力の針もまだ同じ場所にあった。
レンの手の中で、輪だけが熱かった。
壁の奥から、短い警報が鳴り始めた。




