第14話 外縁の暖かさ
翌朝、ミオが小さな木箱を寝台の脇へ置いた。
「座ってできる仕事がある。外縁まで行けそう?」
レンは右膝の帯を押さえた。夜の間に痛みは引いていたが、脚を伸ばすと奥に鈍さが残った。
「途中で休めるなら」
「箱は私が持つ。杖を使って」
外縁へ下る通路は、中央炉の近くより空気が冷たかった。管を包む布がところどころ薄くなり、継ぎ目から雫が落ちている。二度腰を下ろして休み、最後の角を曲がると、壁の向こうに灰色の空が見えた。
壁がない。
正確には、腰より少し高いところまでしか残っていなかった。その上に鉄の棒が組まれ、布を巻いた針金で留めてある。隙間は、人なら身体を横にすれば通れそうだった。
仮柵の内側には、細い柱が等間隔に立っていた。柱から柱へ、黒い線が渡っている。耳の奥に触れるような低い音が、途切れずに続いていた。
「線には触らないで」
ミオが言った。
レンは仮柵の向こうを見た。崩れた壁材の間を、小さな機械の脚が動いた。身体は瓦礫に隠れて見えない。脚は二度こちらへ向き、そのたびに折れ返って奥へ消えた。
背中の装甲の内側が冷えた。
「こんな近くに」
「だから先に配管を直す。ここが冷えると、内郭へ移せない人まで移さないといけない」
ミオは木箱を抱え直し、低い庇の下へ入った。
作業台の向こうで、女が管の継ぎ手を外していた。太い髪を襟へ押し込み、額の汗を袖で拭っている。傍らには同じ長さの工具が三本、向きを揃えて置かれていた。
「トワ。話した人」
女は手を止め、レンの兜から杖までを見た。
「腰掛けはそっち。脚を伸ばすなら台の下へ。通路に出さないでね」
挨拶より先に場所を指定された。レンは言われた椅子へ座り、杖を壁に立てた。
「レンだ」
「聞いてる。薄い環と厚い環を分けてほしい。曲がってるのは別」
トワは木箱から小さな環を取り、平らな板の上に置いた。指で端を押すと、反対側がわずかに浮いた。
「これは駄目。穴に入っても、締めたら漏れる」
レンは見本を受け取った。指先には、もう縁の細かな傷が分かった。
ミオは修繕場へ戻った。トワが箱を寄せ、レンの届くところに三つの皿を置いた。
しばらくは、金属を皿へ移す音だけが続いた。
頭上には太い管が通っていた。古い支えを外すため、作業台の横に組んだ架台へ一時的に載せている。トワは立つたび、その足元に物がないか確かめた。
奥から子供が顔を出した。
「昼の札、ここ?」
「引き出し。二枚だけ取って。残りは夜の分」
子供はレンを見て足を止めたが、トワが背を向けると、台を大きく回って引き出しへ来た。札を数え、掌に載せて母親へ見せた。
「そう。椀を落とさないでね」
子供が出ていくと、トワは締めかけた継ぎ手へ向き直った。
「休みの日も札は減る。手だけでも貸してもらえると助かるよ」
レンは曲がった環を一つ、別の皿へ置いた。
「炉を止めて直す方が、早くないか」
トワが顔を上げた。
「この管は分岐だけ閉じてる。炉まで止めたら、ここで仕事してられない」
「防護網か」
「あの線が働かなくなったら、この柵じゃ保たないからね」
顎で示された隙間の先に、さっきの脚は見えなかった。見えないだけなのかもしれない。
「整備するときはどうする」
「人を内郭へ移す。補修口を塞いで、予備へ切り替えて、向こうの担当が確認する。それから止める」
トワは順番を数えるように、指先で台を叩いた。
「炉心の隔離弁も、閉めるのはそれが済んでから。核を外さなくたって制御の側が止まるんだから」
レンは手を止めた。
「弁を戻せば、線も戻るんじゃないのか」
「揃って動いてるか、ここで確かめる人が要る。内郭には少し蓄えがあるけど、この先まで当てにしちゃいけない」
トワは外壁沿いの柱を順に見た。
「ついてるように見えても、一か所抜けてたらそこから来る。だから勝手にはやらない」
レンは環を拾い直した。
核に触れて印を得ることと、弁を閉じることは違う。そう言えば、認証だけは許されるだろうか。
言い方を考えていると、トワが皿から一つつまみ上げた。
「これ、厚い方」
レンは顔を上げた。
「悪い」
「混ざると、また全部測ることになる」
差し出された環を受け取り、見本と重ねた。端が少しだけ高かった。レンは最後に入れた分を皿から戻し、もう一度確かめた。
昼前、トワが工具を一つレンへ渡した。
「そこを押さえて。回さないでいい」
座ったまま手を伸ばし、緩めた管が転がらないよう支えた。トワが布を巻き直して締める。掌へ微かな振動が伝わった。
分岐の弁がゆっくり開かれると、管が温かくなった。
トワは継ぎ目へ乾いた布を当て、しばらく待った。引いた布に濡れた跡がないのを確かめてから、工具を受け取った。
「一本。残りは二本。揃った」
レンは三本の工具を見た。
「毎回数えるのか」
「一本なくなると、次の仕事が止まる。ここじゃ買いに行けばいいってわけにいかない」
温まった管の先で、布の仕切りが持ち上がった。椅子に座った老人が掌をかざし、また布を下ろした。
レンの選り分けた皿は、半分以上空になっていた。
午後、ミオが細長い包みを持ってきた。
索だった。
広げられた鉤の爪は、三本とも内側へ向いていた。曲がっていた一本には、磨いた跡があった。
「割れは見つからなかった。形を戻して、決めた荷重まで引いた。導通もある」
ミオは持参した計器を索の両端へつなぎ、針を見せた。レンにも爪の向きと留めの動きを確かめさせた。
「元より強くなったわけじゃない。掛ける前には見ること。開いてきたら使わないで」
レンは頷き、索を腰へ戻した。返ってきた重さが少し心強かった。
続いてミオが、折った紙を出した。
「再申請の記録。第一炉の数値と、接続しないで調べる項目」
出力計の確認、認証口と制御部の配線の確認。試験前に必要な手順の洗い出し。レンは一行ずつ読んだ。核を運び出すという文はなかった。
「まず、ここまで?」
「分からないまま触らないために。許可が出たことにはならないよ」
レンはトワの台の方を見た。借りた工具は全部戻っていた。通路の先で、さっきの子供が空の椀を抱えて走っている。
「認証だけで出力は落ちなかった。それは、もう一度書いてほしい」
「書いてある。見たことと、まだ分からないことは分けた」
レンは紙を返した。
「これで出してくれ」
ミオが管理室へ向かったあと、トワは作業札にレンの分を書き入れた。やり直した分を含めず、仕上がった数を数えた。
「明日もこの時間に来られる?」
「脚の具合を見てから」
「じゃあ、来られなければ誰かに伝えて。待ったままにはしたくない」
レンは頷いた。返事の来ない申請を思い出したが、それは口にしなかった。
帰り際、仮柵の内側で立ち止まった。
灰色の外には、煮炊きの匂いがなかった。人の声もない。低い音を立てる線のすぐ後ろで、子供が布靴を片方脱ぎ、温まった管の下へ置いていた。
レンは杖をつき直した。
この薄い柵が、外と中を分けているのではなかった。




