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逹長と景直 〜洲本城陥落〜  作者: 熱田大
兜を沈める日
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第6話 山田原城へ

天正九年十一月十七日 高倉山西側の街道



白巣城を離れてから、どれほど歩いただろう。


北へ。


ただ北へ。


達長の軍勢は街道を急いでいた。


背後ではなお、白巣城の黒煙が空へ昇っている。


誰も振り返らなかった。


振り返れば、心まで折れてしまう。


やがて山並みの向こうに、一つの峰が姿を現した。


「あれは……。」


家臣の一人が呟く。


「高倉山。」


達長は馬を止め、小さく息を吐いた。


高倉山。


幼い頃から見続けてきた山だった。


その東の麓には、菅家代々の居城――山田原城。


後の世に「菅館」と呼ばれるその城は、決して大きな城ではない。


安乎や塩田の港から山間を抜けた先。


細い谷筋を押さえるように築かれた、小さな山城である。


だが、小さいからこそ守りやすい。


敵は大軍を展開できず、谷を詰めて攻め上がるしかない。


先祖がこの地へ根を下ろして、およそ百五十年。


菅家は代々この地を守り続けた。


淡路を治める安宅氏に次ぐ勢力として、釜口城、岩屋城、そして山田原を拠点に、島の北東を支配してきた。




高倉山が見えると、不思議と肩の力が抜ける。


「ああ……帰ってきた。」


達長は、胸の内でそう呟いた。


白巣から北へ抜ける街道は、高倉山の西側を通る。


山田原城には西を見張る物見櫓があり、この辺りまで来れば城兵がこちらへ手を振る姿も見える。


幼い頃は、その櫓が見えるたびに駆け出したものだった。


もうすぐ父に会える。


そう思った、その時だった。


前方から、人影が揺れた。


十人。


二十人。


いや、もっといる。


鎧は煤にまみれ、着物は焼け焦げ、肩を貸し合いながら歩いてくる。


敗走兵だった。


達長の胸がざわつく。


「……まさか。」


馬腹を蹴る。


「山田原が……。」


敗走兵たちも達長に気付いた。


その中の一人が膝をつき、声を震わせる。


「申し訳……ございませぬ……!」


達長は答えを聞く前に悟った。


遅かった。


「山田原城……落城いたしました。」


静かな声だった。


「火を掛けられ……。」


火攻め。


またか。


達長は思わず天を仰いだ。


秀吉は、一刻も止まらない。


「遠江守様は。」


その問いに、誰もすぐには答えなかった。


やがて一人の老臣が、ゆっくり頭を下げる。


「最後まで……城に。」


達長は目を閉じた。


父は逃げなかった。


逃げる人ではない。


知っていた。


知っていたからこそ、胸が締めつけられる。


その時だった。


「父上!」


小さな声が響く。


達長は振り返る。


敗走兵の列の奥から、一人の姫が子どもたちを連れて走ってくる。


「……!」


妻だった。


その後ろには四人の子どもたち。


皆、泥だらけである。


四男・半兵衛は父の姿を見るなり駆け出した。


「父上!」


達長は馬を降り、半兵衛を抱き上げる。


幼子は堪えていたものが切れたように、大声で泣き始めた。


「父上ぇ……。」


達長は何も言えなかった。


ただ、強く抱き締める。


長男も。


次男も。


娘たちも。


皆、生きていた。


それだけで十分だった。


いや。


十分であるはずだった。


しかし。


達長の胸に湧いたのは安堵ではない。


焦燥だった。


(終わった。)


白巣は落ちた。


山田原も落ちた。


もう守る城がない。


その時、敗走兵の中から一人の男が進み出た。


「殿。」


家老・奥井だった。


煤で顔は黒く染まり、肩には深い傷がある。


「よく……生きていた。」


達長が言うと、奥井は静かに首を振った。


「皆が命懸けで逃がしてくださいました。」


その一言だけで十分だった。


達長は地面へ地図を広げる。


白巣。


山田原。


その間に、自分たちはいる。


「追手は。」


奥井は答えた。


「白巣からも。」


「山田原からも。」


「必ず来ます。」


達長はゆっくり頷く。


挟まれる。


ここで留まれば終わる。


南へ戻る道はない。


東は山。


西は敵。


残る道は、一つだけだった。


達長は北を向く。


その先には竹谷。


淡路北部と東西を結ぶ交通の要衝。


「北へ。」


家臣たちが顔を上げる。


「竹谷まで退く。」


誰も異を唱えなかった。


夕暮れの光が高倉山を赤く染める。


その山は、達長にとって故郷そのものだった。


もう戻れないかもしれない。


そう思うと、不思議と涙は出なかった。


涙より先に、一つの決意が心に芽生えていた。


城は失った。


領地も失った。


父も失った。


ならば、これ以上失ってはならぬものがある。


家だ。


人だ。


生き残る者たちだ。


達長は半兵衛を馬へ乗せ、静かに歩き始める。


竹谷へ。


そこが、菅家最後の軍議の地となることを、この時まだ誰も知らなかった。

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