↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逹長と景直 〜洲本城陥落〜  作者: 熱田大
四国の決戦
PR
26/30

第26話 開戦四国攻め

天正十三年(一五八五年)六月。

土佐国・岡豊城。


長宗我部元親のもとに、四国の諸将が集まっていた。

広間には、重い沈黙が漂っていた。

その中央で、一人の男が深く頭を下げている。

谷忠澄。

秀吉との和睦交渉を任されていた重臣だった。

「……申し訳ございませぬ」

元親は、静かに尋ねた。

「秀吉は、何と申した」

忠澄は顔を上げた。

「阿波、讃岐の二国を差し出し、さらに人質を出すと申し入れました」

「うむ」

「されど――」

忠澄は言葉を詰まらせた。

「それでも、和睦には応じぬと」

広間がざわめいた。

「何と!」

「二国を渡しても足りぬと申すか!」

「人質まで差し出すというのに!」

元親は、しばらく黙っていた。

やがて、低い声で言った。

「……四国を、すべて寄越せということか」

忠澄が頷く。

「そのように受け取るほか、ございませぬ」

元親は、ゆっくりと息を吐いた。

長い年月をかけて、四国を平定してきた。

土佐から阿波へ。

阿波から讃岐へ。

そして伊予へ。

多くの兵が死んだ。

多くの城が落ちた。

その末に、ようやく手にした四国だった。

それを、すべて差し出せという。

「……秀吉め」

元親の声に、怒りが滲んだ。

だが、声を荒らげることはなかった。

「ならば、戦うほかあるまい」

その一言で、評定の空気が変わった。

「まず、兵をどこへ集めるかですな」

重臣の一人が口を開いた。

「敵は、どこから来るか分かりませぬ」

「讃岐か」

「阿波か」

「あるいは伊予へ回るやもしれぬ」

元親は、地図を見下ろした。

四国の中央。

山々が連なり、道は限られている。

その中で、どこに本陣を置くべきか。

「三好だ」

元親が言った。

「阿波の三好に、本陣を構える」

諸将が顔を上げる。

「三好ならば、阿波にも讃岐にも兵を出せる」

「伊予へ向かう道もある」

「敵がどこへ上陸しようと、そこから動く」

「なるほど」

「それがよろしいかと」

諸将が次々と頷いた。

異論はなかった。

「では、三好に本陣を置く」

元親が決めた。

続いて、兵力の話となった。

「我らの兵は、四万ほど」

「秀吉は、紀州攻めに十万を動かしました」

「四国へも、同じだけの兵を出してくるでしょうな」

「いや」

別の将が首を振った。

「紀州より広い四国を攻めるのだ」

「十万では済まぬやもしれぬ」

広間が静かになった。

四万対十万。

あるいは、それ以上。

兵力の差は、二倍を超える。

三倍に迫るかもしれない。

「だが、四国へ渡るには船が要る」

一人の将が言った。

「十万もの兵を運ぶ船など、すぐには用意できまい」

「そうだ」

「海を越えるには、時がかかる」

だが、その言葉を遮る声があった。

「秀吉を侮るなかれ」

諸将が振り向く。

「紀州攻めを見たであろう」

「兵を集める速さも、糧を運ぶ手際も、我らの想像を超えておる」

「毛利も、今や秀吉に従っている」

「瀬戸内の船を集めれば、十万を渡すことも不可能ではあるまい」

元親は頷いた。

「その通りだ」

「敵が船を揃えるのを待ってくれると思うな」

「すでに動いておると考えよ」

広間に、再び緊張が走った。

「ならば、こちらも味方を増やさねばなりませぬ」

忠澄が言った。

「越中の佐々成政殿へ、書状を送りましょう」

「成政か」

元親が顔を上げる。

「はい」

「成政殿も、秀吉とは敵対しております」

「我らが四国で兵を起こす間に、越中から呼応していただければ、秀吉も兵を割かざるを得ませぬ」

「よい考えだ」

「秀吉を四国だけに集中させてはならぬ」

諸将が賛同した。

元親は頷いた。

「成政へ書状を送れ」

「秀吉に抗する者は、皆、我らの味方となり得る」

「はっ!」

やがて、元親の目が一人の男に向いた。

菅逹長。

四国水軍を率いる男だった。

「逹長」

「はっ」

「水軍は、どう動く」

逹長は、静かに顔を上げた。

「まず、申し上げねばならぬことがございます」

「申せ」

「この戦、正面からぶつかっては勝てませぬ」

広間が静まった。

逹長は続けた。

「我ら四万に対し、敵は十万、あるいはそれ以上」

「三倍近い兵力差となれば、陸でも海でも、まともに受ければ押し潰されましょう」

一人の将が尋ねた。

「では、水軍は戦わぬと申すか」

「いいえ」

逹長は、はっきりと答えた。

「戦います」

「ただし、敵の望む形では戦いませぬ」

逹長は地図へ目を向けた。

「敵の船団と正面からぶつかることは避けます」

「我らの船は、秀吉の大船団を打ち破るためのものではございませぬ」

「ならば、何を狙う」

元親が尋ねた。

逹長は、静かに答えた。

「……秀吉の首にございます」

広間に、わずかなざわめきが起こった。

「秀吉を?」

「はい」

逹長は頷いた。

「十万の兵が来ようと、そのすべてが一度に四国へ渡るわけではございませぬ」

「必ず、先陣があり、本陣があり、後陣がある」

「そして、秀吉自身も、いずれ海を渡らねばならぬ」

元親は、黙って聞いていた。

「その時を狙います」

「秀吉が四国入りする、その船を」

「水上で討ちます」

一瞬、広間が静まり返った。

そして――

「なるほど!」

一人の将が声を上げた。

「総大将を討てば、十万の兵も動揺する!」

「敵の数を減らすのではなく、敵の頭を断つということか!」

「それならば、勝ち目はある!」

諸将が次々と頷いた。

元親は、逹長を見つめていた。

「……できると思うか」

逹長は、少し考えた。

「容易ではございませぬ」

「ですが――」

逹長は、静かに笑った。

「海の上ならば、兵の数だけでは決まりませぬ」

元親の口元が、わずかに緩んだ。

「よかろう」

「水軍の動きは、お主に任せる」

「はっ」

「ただし、無理はするな」

「承知しております」

逹長は頭を下げた。

だが、その胸の内では、すでに戦が始まっていた。

十万の兵。

無数の船。

そして、羽柴秀吉。

あの男を、海で討つ。

それが、この戦を覆す唯一の道かもしれなかった。



(人々の喧騒)

淡路国・志知城。

城の周囲は、かつてないほどの人と物で溢れていた。

兵。

馬。

荷駄。

米俵。

武具。

船から運び込まれる荷物が、絶え間なく城下を行き交っている。

羽柴方の先発隊。

その数、三万余。

四国攻めに向かう軍勢が、一時的に志知城周辺へ集結していた。

「道を開けよ!」

「荷を運べ!」

「馬を止めるな!」

怒号が飛び交う。

志知城は、四国へ渡るための大きな中継地となっていた。

その城内で、黒田官兵衛は野口長宗と向かい合っていた。

「長宗殿」

「はっ」

「この戦、長くはならぬと思っております」

長宗が頷く。

「兵の数を見れば、そのように思われますな」

「うむ」

官兵衛は、地図を見た。

「しかし、戦は勝つまでが戦ではありませぬ」

「勝った後、兵を戻すまでが戦にございます」

「その間、糧が途切れてはならぬ」

長宗は、深く頭を下げた。

「承知しております」

「志知城の守りは、万全を期します」

「兵糧も、武具も、船の手配も」

「一日たりとも滞らせませぬ」

官兵衛は頷いた。

「頼みます」

そして、少し笑った。

「長宗殿がおられるからこそ、我らも安心して四国へ渡れる」

長宗も笑った。

「淡路のことは、お任せくだされ」

官兵衛は、城外の喧騒に耳を傾けた。

「……それにしても」

「よく集めたものですな」

「三万の兵が、ここを通る」

「淡路も、随分と賑やかになりました」

長宗が答えた。

「戦のための賑わいでなければ、もっと喜ばしいのですがな」

官兵衛は、少しだけ笑みを消した。

「……まことに」

二人は、しばらく黙っていた。

やがて、官兵衛が立ち上がる。

「では、参ります」

「ご武運を」

長宗が頭を下げた。

「うむ」

官兵衛は、城の外へ歩き出した。

その先には、讃岐の海が広がっていた。



天正十三年六月十六日。

讃岐国。

黒田官兵衛、仙石秀久らの軍勢が、讃岐へ上陸した。

羽柴方の四国攻めが、本格的に始まった。

(鬨の声)

「進め!」

「城を囲め!」

「逃がすな!」

羽柴方の軍勢は、次々と城を攻めた。

喜岡城。

香西城。

牟礼城。

讃岐の城々が、相次いで落ちていく。

上陸から十日余り。

羽柴方の進軍は、驚くほど速かった。

「また一つ、落ちました!」

「次へ進め!」

「休む間を与えるな!」

讃岐の戦況は、長宗我部方にとって厳しいものとなっていた。



(波の音)

阿波国南部。

四国水軍は、海岸沿いに船を控えさせていた。

逹長は、船上で報告を受けていた。

「讃岐の羽柴軍は、三万余」

「黒田官兵衛、仙石秀久らが指揮しております」

逹長が頷く。

「秀吉は?」

「姿が見えませぬ」

「……おらぬか」

「はい」

「讃岐の軍には、秀吉本人は加わっておらぬようです」

逹長は、しばらく黙っていた。

海を見つめる。

讃岐へ三万。

それだけでも、十分に大きな軍勢だった。

だが――

秀吉が十万以上を動かすつもりならば、残りの兵はどこへ向かう。

「……阿波か」

逹長が呟いた。

側近が振り向く。

「何と?」

「秀吉は、阿波へ来るやもしれぬ」

「阿波へ?」

「うむ」

逹長は、地図を広げた。

「讃岐から兵を入れれば、我らは北へ目を向ける」

「その間に、阿波へ大軍を入れる」

「二方から攻められれば、長宗我部軍は兵を割かざるを得ぬ」

側近が頷いた。

「なるほど……」

逹長は、さらに続けた。

「そして、秀吉自身が来るならば――」

「阿波が最も怪しい」

「なぜでございますか」

「讃岐には、すでに先陣がおる」

「秀吉は、別の場所から大軍を入れ、戦を一気に終わらせるつもりかもしれぬ」

側近は、しばらく考えていた。

「……では、我らは?」

逹長は、静かに答えた。

「待つ」

「秀吉の船を待つ」

「敵の船団が現れたら、こちらも動く」

「ただし、無駄に戦うな」

「我らの狙いは、ただ一つだ」

側近が頷く。

「……秀吉の首」

「うむ」

逹長は、海の向こうを見つめた。

「わしらが秀吉を討てねば――」

一呼吸。

「この戦、降伏するほか道はなくなるやもしれぬ」

側近は、何も言わなかった。

四万の兵。

十万を超える敵。

陸では、すでに讃岐の城々が落ちている。

このまま戦が続けば、長宗我部軍は少しずつ追い詰められていく。

逹長は、海を見た。

「……来い」

小さく呟いた。

「秀吉」

「海の上で、決着をつけようぞ」

その時だった。

(駆ける足音)

「急報!」

見張りの兵が駆け込んできた。

「逹長様!」

「何事だ!」

兵は、息を切らしていた。

「大船団が!」

「羽柴方の大船団が、阿波へ向かっております!」

逹長の目が鋭くなる。

「……数は?」

「まだ分かりませぬ!」

「ですが、先の讃岐へ向かった軍勢とは比べものにならぬほどの船影にございます!」

側近が息を呑んだ。

「……本隊か」

逹長は、ゆっくりと立ち上がった。

海の向こうを見つめる。

まだ、船影は見えない。

だが――

その向こうで、確かに大きな力が動いている。

「……来たか」

逹長は、小さく笑った。

「秀吉」

「今度こそ、海の上で会おうぞ」

(波の音)

四国の海に、戦の風が吹き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。