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逹長と景直 〜洲本城陥落〜  作者: 熱田大
岸和田合戦
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第23話 木津川進撃

(川の流れる音)


天正十二年三月二十六日。


大坂・木津川。


四国水軍の船団が、ゆっくりと川を遡っていた。


百三十艘を超える船団。


そのすべてが木津川へ入ったわけではない。


海側の警戒に船を残し、逹長は選りすぐった船を率いて川を上っていた。


川幅は海とは違う。


船を横に広げるにも限りがある。


潮の満ち引きも、川の流れも、操船に影響する。


だが――


逹長の表情には、余裕があった。


「……見えてきたな」


前方。


川を横切るように、羽柴方の船が並んでいた。


右岸から左岸まで。


船は一列に広がり、互いを太い縄で繋いでいる。


その背後にも、さらに船影が見えた。


「三段構えか」


側近が呟いた。


「随分と念入りですな」


「うむ」


逹長は笑った。


「官兵衛殿の策かもしれぬな」


敵の船列は整然としていた。


川を塞ぎ、容易には通さぬ構え。


一つ目を突破しても、二つ目。


二つ目を突破しても、三つ目。


なるほど、堅い守りである。


だが――


逹長は、しばらく川面を眺めていた。


流れ。


風。


船の向き。


そして、船と船を繋ぐ縄。


「……川での戦は、土佐のお家芸かもしれんな」


側近が振り向く。


「何と?」


「いや」


逹長は笑う。


「土佐の者たちは、川をよく知っておる」


「海も川も、流れを読むことに変わりはない」


「ただ――」


逹長は前方を指した。


「あれは、少々繋ぎすぎだ」


「繋ぎすぎ?」


「うむ」


「守るために繋いだのであろうが、繋がっておるということは、逃げるにも皆の都合を聞かねばならぬ」


側近が船列を見る。


逹長は続けた。


「右端を狙うぞ」


「右端ですか?」


「そうだ」


「火矢を用意せよ」


(弓を引く音)


船上で弓兵が動き始める。


「右端の一艘に、矢を集めよ」


「他の船には撃たぬのですか?」


「撃たぬ」


逹長は笑った。


「一艘でよい」


「火がつけば、隣の船も怖くなる」


「風下の者は、もっと怖くなる」


「だが、左端の船から右端を助けることはできぬ」


「近くの船が助けようとすれば、列が乱れる」


「逃げようにも、縄が邪魔をする」


側近が頷く。


「なるほど……」


「しかも、ここは川だ」


逹長は流れを見た。


「縄を解いて船を自由にすれば、今度は川下へ流される」


「そこには、我らがおる」


「流されてきた船から、順に捕らえればよい」


逹長は右手を上げた。


「では――」


「撃て!」


(矢の飛ぶ音)


火矢が放たれた。


一本。


二本。


そして、次々と。


狙いは、右端の一艘。


(火の燃える音)


「火がついたぞ!」


羽柴方の船から叫び声が上がる。


「水を掛けろ!」


「帆を畳め!」


「隣へ燃え移るぞ!」


船上が慌ただしくなる。


右端の船が火を消そうとする。


隣の船も、火が移ることを恐れて兵を動かす。


だが、縄で繋がった船は、思うように離れられない。


「縄を解け!」


「待て! 解けば流される!」


「こちらへ寄せろ!」


「寄せるな! 火が移る!」


命令が飛び交う。


一艘を助けようと、隣の船が動く。


その隣も引かれる。


船列が歪む。


左端の船は、何が起きているのかさえ見えにくい。


「右が崩れております!」


「ならば、右へ兵を回せ!」


「船が動きませぬ!」


逹長は、その様子を眺めていた。


「……ほれ」


側近が驚いた顔で見る。


「本当に崩れ始めましたな」


「まだだ」


逹長は川面を見た。


「もう少し待て」


やがて――


(縄の切れる音)


「縄を解け!」


羽柴方の一艘が、ついに繋ぎを解いた。


その瞬間。


船は川下へ押し戻され始めた。


「流されるぞ!」


「櫂を入れろ!」


だが、船首を立て直すより早く、四国水軍が左右から寄せた。


「今だ!」


逹長の声が響く。


「捕らえよ!」


(鬨の声)


川下へ流れてきた船が、次々と取り囲まれる。


弓を構える間もない。


槍を突き出す間もない。


船は横から押さえられ、兵たちは武器を捨てた。


一艘。


また一艘。


防衛のために連なっていた船列は、驚くほど容易に崩れていった。


「道が開きました!」


「よし」


逹長は前を指した。


「次へ行くぞ」


(櫂の音)


第二の防衛線。


羽柴方の船は、第一陣が崩れたことをすでに知っていた。


「来るぞ!」


「船を固めろ!」


「火矢に気をつけよ!」


兵たちが慌ただしく動く。


だが――


逹長は同じ指示を出した。


「右端だ」


側近が思わず笑う。


「また右端ですか」


「うむ」


「同じ手が通じましょうか」


「さあな」


逹長は笑った。


「だが、あちらも同じように繋がっておる」


「ならば、試す価値はあろう」


(火矢)


再び右端へ矢が集中する。


今度は火がつく前から、羽柴方の船が動揺した。


「右を守れ!」


「火矢を防げ!」


「船を寄せろ!」


右端を守ろうとする船が動き、列が乱れる。


火がつけば、さらに混乱する。


そして、縄を解いた船から川下へ流されていく。


「……同じですな」


側近が呟いた。


逹長は頷いた。


「守り方が同じなら、崩れ方も似たものになる」


第二の防衛線も崩れた。


そして――


第三の防衛線。


「もう一度、右端だ!」


(鬨の声)


羽柴方の兵たちは、すでに第一、第二の敗走を見ていた。


火矢が飛ぶ。


船列が乱れる。


繋いだ縄が解かれる。


川下へ流される船。


その一つ一つを、四国水軍が捕らえていく。


第三の防衛線も、ほどなく崩れた。


「突破しました!」


船上に歓声が上がる。


「三段とも破りましたぞ!」


逹長は、前方を見つめていた。


川の先。


その向こうに、大坂城がある。


「……さて」


逹長は小さく笑った。


「官兵衛殿」


「少々、縄が多すぎましたな」


(川の流れる音)


四国水軍は、さらに上流へと進んでいった。



────────



(遠くで鉄砲の音)


同じ頃。


大坂城。


城内では、船越景直が弓隊と鉄砲隊を率いて守りについていた。


城の外から、鉄砲の音が聞こえてくる。


(鉄砲)


少し間を置いて、また一斉射撃。


紀州勢の鉄砲隊だった。


景直は、城外の動きを眺めていた。


「……よく撃つものだ」


側近が頷く。


「雑賀衆ですからな」


「うむ」


「しかし、こちらの騎馬隊も動いております」


景直は遠くを見る。


羽柴方の騎馬隊が、紀州勢の側面へ回り込もうとしていた。


だが――


紀州勢も慣れたものだった。


騎馬隊が近づけば、鉄砲を構える。


距離を詰められそうになれば、隊列を変える。


騎馬隊が引けば、再び前へ出る。


(鉄砲)


「なかなか崩れぬな」


景直が呟いた。


「紀州勢も、騎馬への備えは心得ておるようです」


「そのようだ」


だが、景直には、これまでとは違う動きも感じられた。


羽柴方の騎馬隊が左右へ回り込むたび、紀州勢の隊列が少しずつ変わる。


鉄砲の音も、時折途切れる。


互いに相手の隙を探り合っている。


「……ようやく戦らしくなってきたか」


景直は小さく息を吐いた。


城内の弓隊も鉄砲隊も、まだ撃つ機会がない。


敵は城へ近づいてこない。


こちらから出る必要もない。


「我らの出番は、まだ先だな」


景直がそう呟いた、その時だった。


「曲者だ!」


城内から叫び声が上がった。


「曲者がおるぞ!」


景直が振り向く。


「何事だ!」


さらに声が響く。


「秀吉様をお守りしろ!」


「曲者だ!」


(駆ける足音)


景直は駆け出した。


弓兵たちも後に続く。


城内の一角。


そこには、秀吉を囲むように兵たちが集まっていた。


皆が、同じ方向を睨んでいる。


「秀吉様!」


景直が駆け寄る。


「ご無事にございますか!」


秀吉は、兵たちの向こうを見ていた。


「うむ」


「何者かが入り込んだらしい」


景直もそちらを見る。


だが――


人影はない。


「どこへ?」


兵の一人が答える。


「つい今しがた、あちらへ!」


「人足に紛れておりました!」


景直は目を凝らす。


材木。


足場。


普請途中の壁。


人の行き来する通路。


隠れる場所はいくらでもある。


秀吉が低い声で呟いた。


「……忍びか」


景直は頷いた。


「そのように思われます」


「紀州の者か?」


「分かりませぬ」


景直は兵たちへ向き直った。


「探せ!」


「城内を調べよ!」


「見つけ次第、捕らえろ!」


「はっ!」


(駆ける足音)


兵たちが散っていく。


景直も数人を率いて後を追った。


だが――


「怪しい者がおるぞ!」


別の場所から声が上がる。


「どこだ!」


「あちらです!」


景直が駆けつける。


しかし、そこにも人影はなかった。


「……おらぬではないか」


「確かに見たのです!」


「ならば、まだ近くにおる!」


さらに別の場所。


「いたぞ!」


「追え!」


また声が上がる。


だが、景直が向かった時には、すでに姿は消えている。


まるで、城そのものが人を隠しているかのようだった。


普請途中の大坂城。


人足も多い。


兵も多い。


資材も積まれている。


隠れようと思えば、いくらでも隠れられる。


景直は舌打ちした。


「……厄介な」


秀吉の周囲には、さらに兵が集められた。


景直は一度、城内を見渡した。


「まだおるはずだ」


その時――


「城外へ逃げたぞ!」


声が響いた。


「北西だ!」


景直が振り向く。


城の北西。


普請の足場の向こう。


そこに――


人足のような格好をした者が、一人。


材木の陰から陰へ。


土塁を伝い。


素早く移動していた。


「……あれか!」


景直が指を差す。


「追え!」


兵たちが走る。


だが、その者は振り返りもしない。


物陰へ身を隠しながら、さらに北西へと逃げていく。


「鉄砲隊!」


景直が叫ぶ。


「数人、追え!」


「ただし、むやみに撃つな!」


「捕らえて、誰の手の者か吐かせよ!」


「はっ!」


鉄砲隊から数人が駆け出した。


景直は、その逃げる方角を見つめていた。


「……北西か」


城の北西。


その先には――


川がある。


「木津川へ逃げ込むつもりか」


景直は眉を寄せた。


あちらの守りは、三段に構えてあるはずだった。


だが、城内から見れば、陸の警戒は比較的手薄な方角でもある。


もし川へ逃げ込めば、船を使って逃走することもできる。


「……」


景直は、もう一度城内を振り返った。


忍びは、一人とは限らない。


一人が騒ぎを起こし、その隙に別の者が動く。


紀州の忍びであれば、なおさらだ。


「まだ他にもおるやもしれぬ」


側近が頷く。


「城内を、改めて調べますか」


「うむ」


景直は即座に答えた。


「普請の人足も含めて調べよ」


「出入りした者を確かめろ」


「不審な者は、すべて捕らえよ」


「はっ!」


兵たちが動き始める。


(遠くで鉄砲の音)


城外では、紀州勢の鉄砲が鳴り続けていた。


景直は、城の北西へ目を向けた。


逃げた忍びの姿は、もう見えない。


ただ――


何かが、妙に引っ掛かっていた。


城内に忍びが入り込んだ。


秀吉の近くまで迫った。


そして、見つかると北西へ逃げた。


「……何を狙っておる」


景直は小さく呟いた。


返事はなかった。


(風の音)


大坂城の外では、戦が続いている。


城内では、忍びの探索が続いている。


そして――


木津川では。


菅逹長の率いる四国水軍が、三段の守りを破り、上流へと進んでいた。


だが、そのことを景直はまだ知らない。


(遠くで法螺貝)


城内のどこかから、再び兵の声が響いた。


「怪しい者を見なかったか!」


「こちらも調べよ!」


景直は、静かに刀の柄へ手を添えた。


戦場は、城の外だけではない。


そのことを、誰もが思い知らされ始めていた。

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