第20話 岸和田合戦
天正十二年、三月十八日。
(鉄砲の轟音)
岸和田城。
城を取り囲むように、紀州勢の陣が広がっていた。
雑賀衆を中心とする紀州の兵。
その数、一万五千。
(鉄砲)
一斉に放たれる銃声。
城壁から矢が返される。
だが、紀州勢は無理に城へ取りつこうとはしない。
鉄砲を撃ち、
退き、
また撃つ。
敵を近づけず、
こちらも深入りしない。
巧みに火縄銃を使いながら、岸和田城をじわじわと圧迫していく。
(鉄砲)
岸和田城。
城内では、中村一氏が兵たちに指示を飛ばしていた。
「慌てるな!」
「鉄砲に当たるな!」
「城壁を守れ!」
岸和田城は、そう簡単には落ちない。
そして――
その海側。
(波の音)
四国水軍の船団が、湾岸を埋め尽くしていた。
百三十を超える船。
海上に並ぶ無数の旗。
整然とした船列。
だが、紀州勢が主力であることもあって、海の兵たちには多少の余裕があった。
兵たちは船上で飯を食い、
魚を釣り、
仲間と談笑している。
その中に、逹長の姿があった。
「紀州の者たちは、鉄砲の扱いが上手いな」
側近の一人が言った。
「雑賀衆ですからな」
逹長は笑う。
「火薬の扱いも上手い」
「そして――」
少し声を落とす。
「忍びも使う」
側近が眉を上げた。
「忍び、ですか」
「紀州には、そういう者も多いと聞く」
逹長は岸和田城を見る。
「敵の城にも忍びがおるらしいぞ」
「中村一氏殿ですか?」
「うむ」
「伊賀の術を使うという話だ」
逹長は笑った。
「これは何が起こるか分からぬ戦になるかもしれぬな」
「鉄砲に忍術ですか」
「まるで化かし合いだ」
二人が笑った。
(遠くで雷)
その日の暮れ。
空が急に暗くなった。
「雨か?」
ぽつり。
ぽつり。
やがて――
(雨音)
本降りになった。
「これは参った」
「鉄砲が使えぬぞ」
紀州勢の陣にも、慌ただしく火薬を守る動きが見える。
火縄銃に雨は大敵。
火薬が濡れれば撃てない。
攻城の手も止まった。
翌日。
雨。
その翌日も――
雨。
岸和田城も。
紀州勢も。
動かない。
(雨音)
四国水軍も、船上で雨をしのいでいた。
「二日も休みとはな」
「中村殿の忍術ではないか?」
誰かが冗談を言う。
「雨まで操るのか?」
「伊賀の忍びなら、それくらいやるかもしれぬぞ」
船上に笑い声が起こる。
だが――
海を知る者たちは、空を見上げていた。
雨は、いつまでも続く。
風。
潮。
雲。
兵たちは、それらを読む。
「……妙だな」
一人が呟いた。
「何が?」
「この雨だ」
「どういう意味だ?」
「いや……」
男は空を見上げる。
「何となくだ」
(雨音)
そんな中――
「釣れたぞ!」
声が上がった。
「蛸だ!」
「またか!」
別の船からも声がする。
「こっちもだ!」
「こっちは二匹!」
「なんだ、今日は蛸祭りか!」
次々と蛸が釣れる。
一匹。
二匹。
十匹。
二十匹。
やがて――
「これで何匹目だ?」
「分からん!」
「こんなに蛸が釣れることがあるか?」
兵たちは大喜びだった。
「干しておけば、しばらく兵糧に困らんな!」
「これはありがたい!」
「戦より蛸のほうが景気がいいぞ!」
笑い声が上がる。
だが――
逹長は、釣れた蛸を見つめていた。
「……」
側近が尋ねる。
「どうされました?」
「いや」
逹長は海を見る。
「蛸は、こんな時にこんなに釣れるものだったかと思ってな」
「?」
「海は分からぬ」
逹長は笑った。
「忍術かもしれんぞ」
「蛸まで中村殿の手の内ですか?」
「そうかもしれん」
皆が笑った。
だが――
誰もが少しだけ、海を気味悪く感じていた。
(波の音)
三月二十一日。
朝。
雨が上がった。
雲の切れ間から光が差す。
岸和田城。
紀州勢の陣から、再び鬨の声が上がった。
「進め!」
(太鼓)
「撃て!」
(鉄砲)
岸和田城への総攻撃が始まった。
だが――
中村一氏は城から出ない。
籠城。
城壁を固め、
兵を温存し、
紀州勢を迎え撃つ。
(鉄砲)
「堅いな……」
逹長は海上から岸和田城を眺めた。
「すぐには落ちぬ」
側近が頷く。
「では、どうします?」
逹長は紀州勢の動きを見た。
やがて――
城を囲んでいた兵の一部が、北へ動き始めた。
「……始めたか」
「北へ?」
「大坂を狙う」
逹長は頷いた。
岸和田城を完全に落とすには時間がかかる。
ならば――
城を包囲したまま、
主力を北へ向ける。
「堺へ向かうぞ」
(法螺貝)
紀州勢の大軍が北へ進む。
その進路にある堺の街。
政治や軍務に関わる施設が、次々と焼かれていく。
(火の燃える音)
「紀州勢が来た!」
「逃げろ!」
「火を消せ!」
堺の街が騒然となる。
そして――
海では。
四国水軍も北へ動き始めた。
(櫓の音)
逹長は岸和田を振り返った。
城を囲む兵。
北へ進む兵。
海を進む自軍。
「岸和田を落とすことだけが戦ではない」
「敵の後ろを崩す」
「それも戦だ」
船団は北へ進んだ。
やがて――
堺。
紀州勢が街を制圧する。
その頃、四国水軍も大和川付近へ到達した。
(波の音)
「ここまで入れます!」
「よし」
船が川沿いへ進む。
百を超える船が、大和川周辺に展開する。
いつでも兵を上陸させられる。
逹長は、北を見る。
その先に――
大坂。
「ここからなら――」
「大坂まで、そう遠くはない」
だが、その時。
遠くから法螺貝が聞こえてきた。
「敵です!」
「どこからだ!」
「大坂から!」
逹長が目を細める。
やがて、陸上に軍勢が現れた。
旗が見える。
「蜂須賀家政」
「生駒親正」
「大坂から出てきたか……」
兵たちが船上で弓を取る。
鉄砲を構える。
逹長は手を上げた。
「まだ撃つな」
「敵もこちらを見ている」
対岸。
住吉大社付近。
羽柴勢が布陣していく。
四国水軍。
その向こうに紀州勢。
そして――
大坂城。
両軍の間に、張り詰めた空気が漂う。
(風の音)
逹長は、静かに前を見た。
「いよいよだな」
誰かが呟く。
逹長は答えなかった。
ただ、海の向こうを見つめていた。
岸和田。
堺。
大和川。
そして――
大坂。
一年かけて育てた「海の一領具足」が、
初めて本格的な戦場に立とうとしていた。




