第19話 逹長の出陣
土佐。
長宗我部家、評定の間。
重臣たちが集まっていた。
中央には長宗我部元親。
その傍らに、弟・香宗我部親泰。
そして――
菅逹長の姿があった。
親泰が一通の書状を広げる。
「これは……」
一同の視線が集まる。
「徳川家康殿からの書状である」
(紙を広げる音)
親泰が読み上げる。
「――小牧長久手において、羽柴軍と対陣中」
「両軍、容易には動かず」
「この機に乗じ――」
親泰が顔を上げた。
「紀州勢が、岸和田城を攻める」
一同がざわめく。
「そして――」
親泰が続ける。
「大坂にて築城中の城へも、攻め掛かる」
「その戦に、四国からも兵を出されたい」
評定の間が静まった。
元親が口を開く。
「四国から兵を出せ、と」
「はい」
親泰は書状を置いた。
「だが、我らはまだ四国を完全には押さえておらぬ」
「その通りです」
重臣の一人が言った。
「一領具足を動かせば、四国の守りが薄くなる」
「ここで兵を大坂へ送るのは危険では?」
「だからこそ――」
逹長が口を開いた。
「水軍です」
一同が逹長を見る。
「陸兵を大きく動かさずとも、海から加勢することはできます」
親泰が頷く。
「逹長」
「はい」
「水軍は、どれほどになった?」
逹長は静かに答えた。
「この一年で――」
「船籍、百三十艘」
一同がざわつく。
「兵は、千弱」
「千……」
「それほどまでに」
逹長は頷いた。
「漁師を集めました」
「船を操らせ」
「櫓を漕がせ」
「弓を持たせ」
「鉄砲も教えました」
そして――
「海の一領具足です」
元親が、じっと逹長を見る。
「ならば」
「行けるか」
逹長は即答した。
「行けます」
(短い間)
「では、頼む」
「承知いたしました」
逹長は地図を広げた。
「ただし――」
「一つ、手を打っておきたいことがあります」
「何だ?」
逹長の指が淡路を指す。
「仙石秀久です」
親泰が頷く。
「岸和田へ兵を出すとなれば、仙石も動く可能性があります」
「ならば、動けなくすればよい」
逹長は地図をさらに東へ移した。
「ここは池頼和殿にお願いしたい」
「はい」
「古舟を二十艘ほど」
「それを引田城前に並べていただきたい」
親泰が眉を上げる。
「二十艘で、仙石を止めるのか?」
「戦う必要はありません」
逹長は笑った。
「旗です」
「旗?」
「古舟に旗を立てる」
「なるべく多く」
「大船団に見えるように」
親泰が笑った。
「なるほど」
「仙石からすれば――」
逹長は淡路を指した。
「岸和田へ兵を出そうと思えば、背後の引田が気になる」
「動きたくても動けない」
「そういうことです」
元親が笑った。
「逹長」
「はい」
「そなたは、戦わずして敵を縛るのが好きだな」
逹長も笑う。
「戦わずに済むなら、それに越したことはありません」
天正十二年。三月十八日。早朝。
(法螺貝)
阿波。
港には、船が集まっていた。
一艘。
十艘。
五十。
百。
次々と船が並ぶ。
百三十艘。
そして、その船に乗る兵。
千弱。
漁師。
農民。
土佐の者。
阿波の者。
海辺で暮らしてきた者たち。
一年かけて育てられた――
海の一領具足だった。
(ざわめき)
逹長が船着き場に立った。
兵たちが静まる。
「皆、聞け!」
声が海へ響く。
「我らが向かう先は――」
逹長が東を指した。
「岸和田!」
「そして――」
「大坂!」
兵たちから声が上がる。
「おお!」
「だが!」
逹長は手を上げた。
「我らの第一の役目は、城を攻め落とすことではない!」
「紀州、雑賀衆の鉄砲隊――」
「およそ一万五千!」
「それが主力となる!」
「我らは、その背後を守る!」
逹長は、さらに声を張った。
「万が一、仙石秀久らが淡路から援軍に来れば――」
「それを阻む!」
兵たちが沸き立つ。
「我らは、海を守る!」
「そして――」
逹長が拳を握る。
「敵の背後を存分に攻め立てる!」
「四国は長宗我部の水軍として、その名を轟かそうぞ!」
(大歓声)
「おおおおお!」
船団から鬨の声が上がる。
逹長は、その声を聞きながら海を見た。
一年。
一年かけて育てた。
かつて数えるほどしかなかった船。
それが今――
百三十艘。
千に迫る兵。
「行くぞ!」
(法螺貝)
船団が動き始める。
(櫓の音)
阿波の港を離れる。
その船団は――
大きかった。
あまりにも大きかった。
淡路。
洲本城からも、その姿は隠せない。
海に並ぶ無数の船。
そして、無数の旗。
「……あれは」
洲本城の兵が海を見る。
「長宗我部の水軍です!」
報告を受けた仙石秀久も、海を見た。
「……百艘以上か」
その姿は隠しようがない。
逹長も、それを分かっていた。
だから――
旗を増やした。
船を増やして見せた。
威圧するためではない。
仙石秀久の目を、淡路へ向けさせるためだった。
ーー出陣の数日前。
引田城。
海側に、二十艘ほどの船が並んだ。
船は古い。
兵も少ない。
だが――
旗だけは多かった。
風に、何本もの旗がはためく。
「頼和殿」
「何だ?」
「これで仙石はどう見るでしょう」
「さあな」
池頼和が笑う。
「だが、この旗の数と、淡路の志知城までの距離は丁度良いと思えるな。
背後には引田城もある。そう簡単には出てこまい」
その通りだった。
仙石秀久は、岸和田方面へ船を出すことを考えながら――
志知城から引田も睨んだ。
「……あの軍船」
「そこまで数は多くないが、他にも船を潜ませているようにも思える」
秀久は、かつて逹長に襲われた時のことを思い出していた。
仙石は決断できなかった。
岸和田へ行けば、背後を突かれるかもしれない。
引田と岸和田も、両方に兵を出せば分散する。
逹長は、その迷いを作っていた。
(波の音)
四国水軍は、さらに東へ進んでいた。
逹長は船上から、淡路を眺めていた。
遠くに見える島影。
かつて自分が治め、
そして今は――
敵となった土地。
「……淡路か」
逹長が呟く。
その時だった。
「逹長様!」
船上の兵が叫んだ。
「左舷より船が!」
逹長も気付いていた。
「淡路からこちらへ向かってきます!」
遠くに船影が一艘。
二艘。
五艘。
やがて――
十艘を超える船が、こちらへ近づいてくる。
逹長は目を細めた。
旗を見た。
その旗を見た瞬間――
「……まさか」
遠く、船団の先頭から声が上がった。
「逹長様!」
逹長の顔が変わった。
梅鉢紋。
長い間、聞いていなかったその声。
その呼び方。
「我らも、お供いたします!」
逹長は、しばらく言葉を失った。
船が近づいてくる。
その上にいる者たち。
淡路で共に戦った者。
かつて逹長のもとで槍を持ち、弓を引き、船を操った者たち。
淡路を離れた後も――
逹長を忘れなかった者たち。
「お前たち……」
逹長の目が細くなる。
そして――
小さく笑った。
「達者にしておったか!」
「おりますとも!」
「そうか……」
逹長は海の上で、旧臣たちを見つめた。
懐かしかった。
嬉しかった。
だが、それ以上に――
胸の奥に込み上げてくるものがあった。
自分は淡路を捨てた。
そう思っていた。
だが――
淡路の者たちは、自分を捨ててはいなかった。
「よく来た」
逹長は、静かに言った。
「よく来てくれた」
旧臣たちが頭を下げる。
逹長は、船団を見渡した。
土佐。
阿波。
そして――
淡路。
それぞれの海で生きてきた者たちが、今、一つの船団になっている。
逹長は、思わず笑った。
「これで――」
兵を数える。
「千を超えたな」
傍らの兵が頷く。
「はい」
「千を超えました」
逹長は、海を見た。
「……千か」
一年。
たった一年で――
自分が率いる水軍は、千を超えた。
「面白くなってきた」
逹長は笑った。
「これなら――」
遠く東を見据える。
「少しは、大きな仕事ができそうだ」
(船団のざわめき)
淡路から来た旧臣たちの船が、次々と船団へ加わっていく。
船の数が増える。
旗の数が増える。
そして――
兵の数も増える。
四国水軍は、さらに大きな船団となった。
(波の音)
その頃――
岸和田では、紀州勢が戦の準備を整えていた。
雑賀衆。
六千の鉄砲。
岸和田城。
そして、その先にある大坂。
だが、まだ逹長たちは岸和田の海へ姿を現してはいない。
今はただ――
東へ。
東へ。
海を進む。
(櫓の音)
逹長は船首に立っていた。
背後には――
土佐。
阿波。
淡路。
三つの海の者たち。
そして前方には――
新たな戦場。
「進め!」
逹長の声が海に響く。
「いざ岸和田城へ!」
(大歓声)
船団は、東へ進んでいった。
――やがて、
その姿が岸和田の海を覆っていく。




