第17話 四国水軍
(海鳴り)
土佐。
長宗我部家の評定の間。
幾人もの重臣が集まり、四国の地図を囲んでいた。
阿波。
讃岐。
伊予。
そして、その先にある淡路。
戦は、まだ終わっていない。
むしろ――
これからが本当の戦になる。
「仙石秀久は退けた」
一人の重臣が言った。
「讃岐の長宗我部勢も、よく戦った」
「ならば、しばらくは兵を休ませてもよいのではないか」
その言葉に――
「いや」
逹長が口を挟んだ。
「休ませるわけにはいきませぬ」
一同が逹長を見る。
「敵は、また来ます」
「秀吉は、必ず来る」
逹長は、四国の地図を指した。
「そして次に来る時は、今度より大きな兵を送り込んでくるでしょう」
「ならば陸の兵を増やせばよい」
「それだけでは足りませぬ」
逹長は首を振った。
「海です」
「海?」
「はい」
逹長は、地図の海岸線を指でなぞった。
「四国は島です」
「阿波も讃岐も、海に面している」
「淡路も、その先にある」
「そして敵は――」
「海を越えてやって来る」
一同が黙った。
逹長は続けた。
「今の長宗我部様には、強い陸兵がおります」
「一領具足です」
土佐の兵。
自らの土地を守り、自らの土地のために戦う者たち。
「一領具足は、順調に増えております」
「戦になれば、農地から兵が出る」
「土地を知り、道を知り、戦いを知っている」
逹長は頷いた。
「ならば――」
「海にも、それを作ればよい」
「海の一領具足?」
親泰が聞き返す。
逹長は頷いた。
「そうです」
「農民を兵にするのと同じです」
「ただし――」
「農民を漁師に置き換える」
一同が顔を見合わせる。
「漁師?」
「漁師は海を知っております」
「潮を知り、風を知り、浅瀬を知っている」
「どの浜から上がれるか」
「どの入り江なら船を隠せるか」
「どの潮なら、どこまで船を進められるか」
逹長は、自分の胸を軽く叩いた。
「私は、戦の時だけ漁師を兵にするのではなく――」
「平時から船を扱わせます」
「船を操り、弓を射り、鉄砲を撃つ」
「そして、戦になれば船ごと兵になる」
親泰が腕を組む。
「それが、海の一領具足か」
「はい」
逹長は答えた。
「船を持つ者が、そのまま兵になる」
「海を知る者が、そのまま水軍になる」
「そうすれば、土佐から阿波へ」
「阿波から讃岐へ」
「そして淡路へも――」
逹長の指が、海を横切った。
「兵を動かせる」
「しかも、敵より早く」
(沈黙)
やがて、長宗我部元親が口を開いた。
「面白い」
逹長を見る。
「そなたが、それを育てるというのか」
「お許しいただけるなら」
「何年かかる?」
逹長は少し考えた。
「兵を集めるだけなら、すぐにできます」
「ですが、戦える水軍にするには時間が要ります」
「ならば、始めよ」
元親の返事は早かった。
逹長は頭を下げた。
「承知いたしました」
こうして――
逹長は長宗我部家における水軍育成を、本格的に任されることになった。
土佐の漁師。
阿波の漁師。
海辺に暮らす者たち。
彼らが船を操り、櫓を漕ぎ、弓を引く。
やがて鉄砲を扱う者も現れる。
海を知る者たちが、海を守る兵となる。
それは――
長宗我部の「一領具足」に対する、
もう一つの答えだった。
海の一領具足。
(海鳴り)
それからしばらくして。
その水軍は、四国の海で少しずつ形を成していくことになる。
そして――
やがて淡路の海へ、ーー大坂の海へ。
逹長が育てた水軍は、
秀吉の天下を揺さぶる戦場へと姿を現していく。
⸻
天正十一年、夏。
大坂。
羽柴秀吉の居所。
賤ヶ岳の戦いを終えた秀吉は、戦功を挙げた者たちを次々と呼び出していた。
論功行賞。
その席に――
仙石秀久と、船越景直の姿があった。
「仙石秀久」
「はっ」
「そなたには、淡路五万石を与える」
仙石が頭を下げる。
「ありがたき幸せにございます」
秀吉は続けた。
「賤ヶ岳の戦いに際して、四国の動きを牽制し、淡路、小豆島を守った功も大きい」
「今後も淡路の守りを任せる」
「はっ!」
仙石は深く頭を下げた。
そして――
「船越景直」
「はっ」
秀吉は景直を見る。
「そなたは、これまでの働きに加え、今回の戦でも弓隊、鉄砲隊を率いてよく戦った」
「秀吉様の御側に仕えよ」
景直は顔を上げた。
「今後は、馬廻り衆として召し抱える」
「ありがたき幸せにございます」
「淡路の旧領六百石は、そのまま与える」
景直が頭を下げる。
「さらに――」
秀吉は書面を見た。
「河内に千八百石」
「領地替えも含め、合わせて二千四百石とする」
景直は深く頭を下げた。
「ありがたく頂戴いたします」
秀吉は頷いた。
その時だった。
「ところで――」
秀吉が仙石を見る。
「そなた」
「はっ」
「四国で、ずいぶんと苦戦したそうだな」
仙石の顔がわずかに曇る。
「……申し訳ございませぬ」
「引田城を落としながら、追われた」
「はい」
「そして海へ逃げたところを――」
秀吉は、少し間を置いた。
「菅逹長に捕まりかけた」
仙石は黙った。
景直も、顔を上げた。
「……ご存じでしたか」
仙石が問う。
秀吉は笑わなかった。
「今、聞いた」
「逹長が?」
景直の声が漏れる。
「そうだ」
秀吉は仙石を見た。
「そなたが引田で敗れた後、淡路へ逃げる船を――」
「逹長が水軍で待ち受けていた」
仙石は苦々しく答えた。
「はい」
秀吉はしばらく黙っていた。
そして――
ふと、何かを思い出したように目を細めた。
「……またか」
「?」
景直が見る。
秀吉は、独り言のように呟いた。
「一年前も、そうだった」
洲本城。
本能寺の変。
そして――
菅逹長。
秀吉の脳裏に、あの時のことが蘇る。
自分が中国から山崎に兵を向けている、
…その隙を突いて洲本城を奪った男。
そして今度は――
四国へ送り込んだ仙石軍の、わざわざ退路を狙った。
「二度だ」
秀吉は呟いた。
「二度とも、痛いところを突いてくる」
景直は黙っていた。
「秀久が生きておったから良かったものの…
…そして明智を撃てたから大事にはなっておらぬが…」
秀吉は地図を見た。
淡路。
四国。
紀州。
そして――
畿内。
「逹長は、戦そのものよりも……」
秀吉は指で地図をなぞった。
「戦の隙を見ておる」
「兵の少ないところ」
「守りの薄いところ」
「そして、こちらが最も困るところ」
秀吉の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「厄介な男だ」
仙石は黙っていた。
景直も、何も言わなかった。
秀吉は立ち上がった。
「だが――」
「次は、こちらから行く」
その声に、部屋の空気が変わった。
「淡路だけではない」
「四国も、紀州も」
「いずれは、すべて片をつけねばならぬ」
秀吉は窓の外を見た。
大坂。
天下の中心になりつつある城下。
その向こうに、まだ敵がいる。
「……逹長」
秀吉は、その名を口にした。
「次は、どこを狙う?」
景直は、その問いを聞きながら――
なぜかふと、長宗の言葉を思い出していた。
――必ず、淡路へ戻ってこられよ。
(風の音)
秀吉は、ふと別のことを口にした。
「それに――」
「遠からず、家康とも戦になるやもしれぬ」
景直が顔を上げる。
「徳川家康殿……」
「うむ」
秀吉は淡々と言った。
「天下を取るということは、敵が増えるということだ」
「柴田を倒した」
「だが、それで終わりではない」
秀吉は、静かに笑った。
「戦は、まだ始まったばかりよ」
(遠くで陣太鼓)
――その頃。
四国の海では――
逹長が、海の一領具足を育て始めていた。
まだ誰も知らない。
四国水軍とも言えるその水軍が、
ーーやがて大坂城の喉元へ迫ることを。
(海鳴り)




