第14話 志知城再建
(戸を開ける音)
「久しいな、船越殿」
「長宗殿」
志知城の一室。
景直と野口長宗は、向かい合って座った。
五年前。
志知を追われ、庄田城へ逃げてきた男。
そして今――
その男は、秀吉の命を受け、この志知城を預かっている。
景直は改めて、長宗の顔を見た。
昔と変わらぬ。
穏やかな顔。
だが、その眼差しには、以前にはなかった落ち着きがあった。
「ずいぶん立派になったものだ」
景直が言う。
長宗は苦笑した。
「まだまだです」
「これが、まだまだか」
「城は立派になっても、守る者が頼りなければ意味がありませんからな」
「相変わらず、手堅い男だ」
二人は笑った。
しばし、昔話に花が咲いた。
やがて景直は、本題を切り出した。
「明朝、淡路を発つ」
「聞いております」
「秀吉様から、賤ヶ岳への参陣を命じられた」
長宗は頷いた。
「柴田勝家との決戦ですな」
「そうなるだろう」
「ならば――」
長宗は少し考えた。
「この戦の勝敗は、秀吉様ご自身の行く末だけではありますまい」
景直が顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「今後の羽柴軍の行く末が、決まるかもしれぬということです」
長宗は静かに言った。
「もし秀吉様が勝てば、これまで以上に大きな力を持つでしょう」
「だが、負ければ……」
「これまで秀吉様のもとに集まった者たちも、それぞれに考えを改めねばならぬ」
景直は黙った。
長宗は続ける。
「淡路も、その例外ではありません」
「淡路が?」
「今の淡路は、仙石様に任されております」
「仙石秀久か」
「ええ」
長宗は苦笑した。
「あの方は、四国へ出たくて仕方がないようです」
「四国?」
「長宗我部元親が、四国の制圧を進めておりますからな」
その名を聞いて、景直の表情が変わった。
長宗我部元親。
土佐を基盤に勢力を広げ、四国を呑み込もうとしている男。
「三好一族の十河存保殿からは、再三の援軍要請が来ております」
「十河から……」
「はい」
長宗は頷いた。
「長宗我部に押されておりますからな。援軍を求めるのも無理はない」
「では、仙石殿が兵を出すのか?」
「今のところは、そう簡単にはいきません」
長宗は首を横に振った。
「秀吉様は、畿内のことで手いっぱいです」
「黒田殿は?」
「官兵衛殿ですか」
「うむ」
「普請のことで、いくつかやり取りがあった程度です」
長宗は答えた。
「この半年、官兵衛殿も畿内のことに付きっきりです」
「なるほど……」
「ですから、四国へ回せる兵など、そう多くはありません」
長宗は一度、言葉を切った。
「とはいえ――」
「いつ仙石様に、四国出兵の命が下ってもおかしくはありません」
景直は頷いた。
「仙石殿は、その命を待っている」
「待っているというより……」
長宗は苦笑した。
「息巻いております」
「やはりか」
「ええ。淡路を預かる者として、四国へ兵を出すことに乗り気なのは間違いありません」
景直は腕を組んだ。
「淡路が、また戦の前線になるかもしれんな」
「そうなるでしょう」
長宗の返事は早かった。
「この海の向こうは、もう穏やかではありません」
(風の音)
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
景直は、ふと別のことを尋ねた。
「ところで……」
「何でしょう?」
「逹長のことだ」
長宗の表情が、わずかに変わった。
「何か聞いているか?」
「噂程度ですが」
長宗は声を落とした。
「どうやら、長宗我部殿のもとに身を寄せているという話があります」
「……そうか」
「はい」
景直は黙った。
あの男が――
長宗我部元親のもとに。
「確かな話か?」
「確証はありません」
長宗は首を振った。
「ただ、もし本当だとすれば……」
「すれば?」
「一つ、気になることがあります」
長宗は景直を見た。
「長宗我部殿は、明智光秀殿と親交が深かった」
景直の目が細くなる。
「明智と……」
「ええ」
長宗はゆっくりと言葉を続けた。
「もし逹長が長宗我部殿のもとにいたのなら、四国から何らかの情報を得ていた可能性があります」
「情報……」
「明智殿が、何を考えていたのか」
「本能寺の後、世の中がどう動くのか」
「そして――」
長宗は一度、息を吸った。
「明智の天下が成立する可能性が、本当にあるのか」
景直は黙って聞いていた。
長宗の声が、少しだけ低くなった。
「もし、長宗我部殿からそうした情報が逹長に伝わっていたとしたら……」
「洲本城を奪ったことも、説明がつく」
景直が呟いた。
長宗は頷いた。
「私は、そう考えます」
「……」
「逹長は、本能寺の変を知って動いた」
「それだけではない」
「明智が勝つ可能性を見ていた」
長宗は、静かに言った。
「だから、洲本城を取った」
景直は目を伏せた。
あの夜。
梅鉢の旗。
開いた門。
そして――
洲本城。
「もしも……」
景直が口を開いた。
「もしも、明智が天下を取っていたら?」
長宗は、しばらく答えなかった。
やがて、
「そのときは」
と、静かに言った。
「逹長の判断が、正解だったことになりますな」
(風の音)
その言葉は、妙に重かった。
勝者が歴史を作る。
だが――
敗れた者にも、そのとき、その者にしか見えなかった未来があったのかもしれない。
景直は、逹長のことを考えた。
自分とは違う男。
秀吉に従うことを選ばなかった男。
洲本城を奪い、そして今は、どこか遠くで生きている。
それが正しかったのか。
間違っていたのか。
今の景直には、まだ分からなかった。
ただ一つ。
逹長は、あのとき、自分が見た潮目に従って動いた。
それだけは、分かる気がした。
(しばし沈黙)
やがて景直が立ち上がった。
「明朝、出る」
「はい」
「世話になった」
「何を仰る」
長宗も立ち上がった。
「船越殿」
「うん?」
長宗は、少しだけ間を置いた。
そして、景直をまっすぐ見た。
「必ず……」
声が止まる。
「必ず、淡路へ戻ってこられよ」
景直は、黙って長宗を見た。
その言葉には、ただの挨拶以上のものがあった。
友として。
同じ淡路に生きる者として。
そして――
五年前、庄田城で船を貸してくれた男への恩を忘れぬ者として。
長宗は、静かに頭を下げた。
「この志知は、私が守っております」
景直は、少し笑った。
「ならば、安心して出られる」
二人は、しばらく何も言わなかった。
やがて景直が、部屋を出る。
(戸が閉まる音)
廊下を歩く景直の足音。
その背中を、長宗は黙って見送っていた。
(馬の嘶き)
庄田へ戻る道。
景直は馬上から、振り返った。
遠くに志知城が見える。
五年前。
そこから追われた男がいた。
今は、その男が城を守っている。
そして自分は――
これから戦へ向かう。
景直は、志知城を見つめた。
「必ず戻る」
小さく呟いた。
馬が走り出す。
(馬の蹄)
その先に待つのは――
賤ヶ岳。
淡路の海を越えたところで、また新たな戦が始まろうとしていた。




