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逹長と景直 〜洲本城陥落〜  作者: 熱田大
洲本城陥落
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第13話 野口長宗

(馬の蹄。乾いた土を踏む音)



天正十一年、早春。



庄田の城を出て、景直は数名の供とともに馬を進めていた。


目指すは、志知城。


明朝には、淡路を発つ。


羽柴秀吉より、参陣の命が届いたのである。


行き先は、近江。


賤ヶ岳。


柴田勝家との決戦を前に、秀吉は淡路にも兵を求めていた。


景直はそのことを、野口長宗(のぐちながむね)に直接伝えておこうと思った。


そして――


五年前に長宗が自分を訪ねてきたときのことを、その道すがらで思い出していた。



(馬の蹄)


五年前。


あの頃の志知城は、今よりはるかに小さかった。


土塁と柵。


粗末な櫓。


城というより、砦と呼んだ方が似つかわしい。


その志知城を預かっていたのが、野口長宗であった。


だが、淡路を治めていた安宅家では、その頃、大きな変化が起きていた。


安宅信康が病床に伏し、家督を弟の清康に譲ったのである。


ところが、清康と長宗との間には、次第に意見の食い違いが生まれていった。


領内のこと。


家臣の扱い。


そして、これからの淡路をどうするか。


一つ一つは小さな違いだった。


だが、小さな違いは、やがて小競り合いとなった。


そして――


清康の根回しによって、長宗は親族の手で志知城を追われることになった。


(馬の蹄が止まる)


あの夜。


庄田城。


景直のもとへ、数十の手勢を率いた長宗が現れた。


「船越殿……」


疲れ切った顔だった。


それでも、その目だけは死んでいなかった。


「志知を追われました」


景直は、黙って長宗を見た。


「しばらく、ここに置いていただきたい」


だが長宗は、すぐに首を振った。


「いや……それも、長くは叶いますまい」


そして、言った。


「船を一艘、貸していただきたい」


「どこへ行く?」


「信長様のところへ」


その言葉に、景直は眉をひそめた。


「信長……」


「淡路に残って、身内同士で争っているよりは、外へ出た方がよい」


長宗はそう言った。


「外へ出て、己の力で道を開きます」


景直は船を貸した。


長宗は淡路を離れ、海を渡った。


そして――


織田信長のもとへ。


さらに秀吉のもとへ。


そこで長宗は、少しずつ信を得ていった。


戦場では無理をせず、しかし与えられた役目は確実に果たす。


派手な武功を誇るわけではない。


だが、任せれば崩さない。


守れと言われれば守り、攻めよと言われれば攻める。


そんな手堅さが、秀吉の目に留まった。


長宗は正式に秀吉の配下となり、戦場で一つ、また一つと功を重ねていった。


そして――


二年ほどが過ぎた頃。


再び長宗が、景直の前に姿を現した。


その頃には、もう「志知を追われた野口長宗」ではなかった。


羽柴の旗のもとで戦う、一人の武将になっていた。


そのとき、長宗は景直に言った。


「羽柴の軍は強い」


景直は笑った。


「そなたが、そこまで言うか」


「強い。……いや、強いというより、戦のやり方が違う」


兵の数だけではない。


兵糧。


武器。


船。


道。


情報。


そして何より、人を使う。


一つ一つを積み上げて、最後には大きな力にしてしまう。


それが秀吉という男だった。


「いずれ、淡路にも潮目が来るやもしれぬ」


長宗は、海の向こうを見ながら言った。


「そのときは……」


景直が問う。


「勝てぬか」


長宗は、少し黙った。


そして答えた。


「勝てぬでしょうな」


あまりにもあっさりとした答えだった。


「ならば、戦う前に帰順されることです」


景直は、その言葉を聞いても、すぐには答えなかった。


長宗は続けた。


「秀吉様は、味方には手厚いお方です」


「武功の大小で、人を分け隔てることもない」


「私が、よい例でしょう」


わずか数年。


志知を追われた一人の男が、羽柴の家臣として取り立てられている。


それは確かに、長宗自身の才覚によるものでもあった。


だが同時に――


秀吉という男が、人を見ているということでもあった。


「働けば、働いた分だけ返してくださる」


長宗はそう言った。


「だからこそ、私は秀吉様に賭けたのです」


その言葉を、景直は忘れなかった。


そして――


実際に、長宗の言葉どおりになった。



天正九年。


秀吉の大軍が淡路へ押し寄せた。


海を埋め尽くすような船。


次々と上陸する兵。


淡路の諸勢力は、なすすべもなく崩れていった。


長宗が言っていた「潮目」は、本当に来た。


しかも――


想像していたより、はるかに激しい潮だった。


戦の後。


長宗は、再び志知へ戻った。


今度は、追われる者としてではない。


秀吉の命によって、志知城の城代として。


五年前。


手勢を連れて庄田城へ逃げてきた男が――


今では、秀吉の命を受けて、かつて自分が追われた城を預かっている。


人生とは、不思議なものだ。


(馬の蹄)


景直は、我に返った。


気がつけば、志知へ向かう道の先に、城の姿が見え始めていた。


「……あれが、志知か」


だが――


景直は目を疑った。


以前の志知城とは、まるで違っている。


土塁は高くなり、柵は幾重にも巡らされている。


櫓も増えている。


城の周囲には堀が整えられ、兵を置くための場所も設けられている。


砦という言葉では、もはや足りない。


小さな要塞。


いや――


これからさらに大きくなる城の、始まり。


景直は、しばらく言葉を失った。


「……半年で、ここまでにしたのか」


長宗が、この普請を任されていることは聞いていた。


だが、実際に目にしてみると驚かされる。


派手さはない。


けれど、隙がない。


どこを見ても、必要なものが必要な場所に置かれている。


長宗らしい。


景直は、思わず苦笑した。


「昔から変わらぬな……」


志知を追われたときも。


羽柴の軍に加わったときも。


そして今も。


長宗は、与えられた場所で、与えられた役目を、ただ黙々と果たしている。


その積み重ねが、今の姿を作っている。


だが――


景直は、城を見上げながら思った。


この城を、わずか半年でここまで整えさせたものは、長宗一人の才覚だけではない。


秀吉の命は、早い。


そして、的確だ。


必要とあれば、すぐに人を送り、材を集め、兵を動かす。


何をすべきかを見極めれば、迷わない。


人を使い、土地を使い、時間さえも味方につける。


景直は、改めて思った。


羽柴秀吉という男は――


戦に強いだけの男ではない。


戦のあとに何をするかまで、すでに考えている。


淡路を落とした。


それで終わりではない。


落とした土地を治める者を置き、


城を直し、


兵を備え、


次の戦に備える。


その一つ一つが、恐ろしいほど速い。


景直は、志知城を見つめた。


五年前。


ここから追われた男がいた。


そして今。


その男は、この城を守る側に立っている。


景直は、小さく息を吐いた。


「……なるほど」


馬がゆっくりと歩を進める。


明日、自分も羽柴の軍として、淡路を離れる。


向かう先は近江。


そこで、また新たな戦が始まる。


その先に何が待っているのか――


まだ、誰にも分からない。


ただ一つ分かっていることがある。


潮は、止まらない。


そして――


その潮を、誰より早く読んでいる男がいる。


景直は志知城を見上げた。


羽柴秀吉。


その名を、今度は以前とは違う重さで、心の中に刻んだ。


(馬の蹄が遠ざかる)


――羽柴秀吉。


この男は、一体どこまで行くつもりなのか。

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