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魔剣に選ばれなかった凡人剣士、辺境で『素振り』を極める  作者: 汐見 ゆゑ


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3/5

3 剣鬼

 牙が、眼前に迫っていた。


 魔獣が跳躍し、グレイの喉を狙って鉄の牙を剥いた。月が雲に隠れ、闇の中に黄色い目だけが光っている。折れた剣の柄を握り締めたまま、体が動かなかった。


 ——ここで、死ぬのか。


 その思考が頭を過ぎった瞬間。


 風が吹いた。


 風ではなかった。


 空気が、裂けた。


 グレイの左側面から、何かが通過した。音は——鳴らなかった。正確には、鳴ったのだが、音が追いつかなかったのだ。


 一瞬の遅延の後に、爆発的な衝撃波が襲った。


 地面が震えた。グレイの体が吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。息が詰まる。目を開けたまま、何が起きたのか理解できなかった。


 魔獣は——いなかった。


 一体も。


 正面の三体も、左右の二体も、背後から迫っていた個体も。全てが消えていた。


 いや。消えたのではない。


 周囲の木々と一緒に、存在していた場所ごと「抉られて」いた。


 グレイが倒れた位置を中心に、左側面から扇状に、森が更地になっていた。幹の直径が一尺を超える大木が、根元から斬り飛ばされている。いや、斬り飛ばされたのではない。切断面すら残っていない。まるで巨人が地面ごと薙ぎ払ったように、木も、岩も、魔獣も、地形そのものが平坦に「消されて」いた。


 光は、なかった。


 魔法的な光も、炎も、雷光も。何もない。ただ、純粋な風圧と物理的な衝撃だけが、森を消し飛ばしていた。


 月が雲から顔を出した。


 更地の端に、人影が立っていた。


 老人だった。


 白髪交じりの乱れた髪。日に焼けた浅黒い肌。着古した麻の服。腰が僅かに曲がり、片手には——刃こぼれだらけの、何の変哲もない鉄剣を下げている。


 魔力を帯びた光は、一切纏っていなかった。


 老人は、鉄剣を無造作に肩に担いだ。


「騒がしい犬どもが。眠りを妨げやがって」


 低い、しわがれた声。


 グレイを見た。老人の目は鋭く、射貫くような視線だった。だが、すぐに興味を失ったように逸れた。


「……なんだ、人間か。死にかけのガキが一匹」


 老人は踵を返した。森の奥——更地にならなかった方角へ、ゆっくりと歩き始めた。


 グレイは仰向けに倒れたまま、その背中を見ていた。


 老人の手に握られた鉄剣。魔力の光を帯びない、ただの鉄の塊。それが——森ごと魔獣を消し飛ばした。


 魔剣ではない。


 魔法でもない。


 ただの、横薙ぎ。


 意識が遠のいた。最後に見えたのは、老人の背中と、月明かりに鈍く光る刃こぼれだらけの鉄剣だった。





 温かかった。


 意識が戻った時、最初に感じたのはそれだった。


 硬い寝台。薄い毛布。木の天井。窓から朝日が差し込み、埃が金色に光って漂っている。


 小屋だった。


 粗末な山小屋。壁は丸太を積んだだけで、隙間から風が吹き込んでいる。家具は寝台と、小さな机と、暖炉だけ。暖炉の上では鍋がことこと音を立て、何かのスープの匂いがした。


 だが、グレイの目を引いたのは、それではなかった。


 壁。床。天井。


 至るところに、削れた痕があった。


 刃物で斬りつけたのではない。何か棒状のもので、何度も何度も何度も叩きつけたような、無数の凹みと削れ痕。木の壁の表面が、まるで彫刻のように抉れている場所もあった。


 素振りの痕だ。


 それも、常軌を逸した回数の。


 暖炉の傍に、老人が座っていた。昨夜の老人。白髪交じりの髪を無造作にかき上げ、鉄剣を膝の上に置いて、刃を布で拭いている。


 グレイは寝台から体を起こした。全身が痛んだ。吹き飛ばされた時の打撲だろう。だが、致命的な怪我はない。


「……あの」


「起きたか」


 老人は鉄剣から目を離さなかった。


「スープがある。食ったら、麓の村まで下りろ。道は一本だ、迷わん」


 淡泊な声。追い出す気だ。


 グレイは寝台から降り、老人の前に立った。そして——膝をついた。額を床につけた。


「あなたに、剣を教えていただきたい」


 老人の手が、一瞬だけ止まった。


 すぐに、布を動かす音が再開した。


「帰れ。儂は弟子など取らん」


「お願いします」


「聞こえんかったか。帰れと言った」


「魔剣などいらない。あなたの剣が知りたい」


 老人の手が、再び止まった。


 沈黙が落ちた。暖炉の火が爆ぜる音だけが聞こえた。


 老人がゆっくりと顔を上げた。初めて、グレイの目を正面から見た。


「お前には才能がない」


 その言葉は——王都で何度も聞いた言葉と、同じだった。


「魔力の素養がゼロだというのは、見れば分かる。だがそれだけじゃない。骨格も、筋繊維の質も、反射速度も。剣士としての天賦は、お前にはない」


 グレイは額を床につけたまま、動かなかった。


「この道は地獄だ。才能のない者が歩めば、体が壊れるだけだ。手が使い物にならなくなり、膝が砕け、最後には剣を握ることすらできなくなる。そうなった者を、儂は知っておる」


 老人は立ち上がった。


「帰れ、小僧。麓の村で畑でも耕せ。そちらの方が、よほど長生きできる」


 大きな手がグレイの襟首を掴み、持ち上げた。老人の腕力は見た目に反して桁外れで、グレイの体は軽々と宙に浮いた。


 そのまま、小屋の外に放り出された。


 扉が閉まった。


 鍵がかかる音がした。


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