虚心坦懐
氷炎伯がカランの牢を訪れたのは、翌日の夕刻のことだった。
「昨日は、取り乱して大変申し訳ございませんでした」
座敷牢で床に平伏して氷炎伯を迎えたカランを、さっさと座れと促して、氷炎伯はソファに脚を投げ出した。
「その殊勝さが、本物だといいが。入ってよいぞ」
王女が入ってくるのを見たカランは一瞬顔を歪めたが、激情には呑まれず憮然としてベッドに腰掛けた。
「カラン。今日は王家の者としてお話をしに参りました」
「ふん、首でも刎ねるつもりか」
「いいえ、あなたの忠義を責めるつもりはございません。ですが、その忠義を貫けば兄が誠の王になることは叶いません」
「なん…だと?」
「マルヴァンテ夫人のことは聞きましたね?」
「それがどうした。殿下をお支えくださるなら毒婦であろうが構わん」
「本当に支えるだけでしょうか?」
「……殿下はお強い。操り人形になどされぬわ」
「まったく…その盲信が兄を殺すと言うのに。王家で何があったのか知ってまだそんなことを」
「うるさい…貴様には騙されん!」
ゆるゆると鉄格子に寄ったカランの右腕が伸びて、王女の首を掴んだ。ポルターは、咄嗟に椅子を叩きつけようとしたが、氷炎伯が先に動いた。
―ぐしゃり
鉄格子を掴むカランの左手を容赦なく踏み付け、カランが仰け反って手を押さえて呻いた。
「王女殿下への無礼は許さん。妾の分際が弁えよ」
王女は王家の者として話をすると言った。そして今の氷炎伯は王家に仕える家臣なのだ。
「氷炎伯、ありがとうございます。カラン、マルヴァンテ夫人をどこまでも侮るのであればお話はここまでです。私は、あなたと兄の関係を誤解していたようです」
「…どういう意味…に御座いますか?」
王女の背後に控える氷炎伯の圧に屈したカランは本来の身分に合った態度に改まっている。
「先ほどあなたは言いました。毒婦だろうがと。そしてあなたは兄が王になれるなら自害しても構わないと考えている」
「…それが、仕える者の使命に御座います」
「そこですよ!あなたは兄の生涯を支える気がない。兄を虜にしておきながら、勝手に役目を定めて後は知らないなんて無責任が過ぎるのです」
「……ですが私は」
「今一度聞きます。マルヴァンテ夫人がしつらえた玉座で兄は本当に幸せになれると思いますか?」
「……だからって…私に何が…」
「氷炎伯、あとはお願いします」
「はっ」
動揺するカランに構わず部屋を出ていく王女を見送った氷炎伯はため息を一つ吐くと、ソファに深く腰を下ろした。
「なあ、カラン。従者を辞して誠の想い人として振る舞うことは道を違えることにはならんぞ?」
「……それでも、殿下の進む覇道を狂わせるわけには参りません」
カランは唇を強く噛みしめ、拳を震わせていた。忠義と想い人の間で激しく葛藤しているのが一目で分かった。
「驕るな。今の貴様には何もできん。王女殿下は、マルヴァンテの意のままに貴様が捨て駒になるのが許せんのだ」
「やはり……私を人質に?」
カランの声がわずかに震えた。疑いと絶望が混じった複雑な眼差しを氷炎伯に向ける。
「我は何者も恐れぬし、王女も覚悟はしておる。戦になろうが人質など不要だ。だが、向こうはそう考えておらん」
「……ただ生きろと?」
カランは虚ろな目で床を見つめ、掠れた声で呟いた。長年抱き続けた忠義が、音を立てて崩れていくような表情だった。
「そうだ。大局が視えぬ今の貴様にもいずれ見極める時が来る。ゆえに従者ではなくやつの生涯を看取る女として備えよ、というのが王女殿下の真心だ」
「……それで殿下は幸せになれるでしょうか」
カランの声は弱々しく、しかしどこか縋るような響きを帯びていた。
「我は色恋など分からんが、やつの惚れようからして貴様のおらん人生など虚しいばかりに思えるが?」
「……」
カランはしばらく無言で拳を握りしめていたが、やがて肩の力が抜け、深い溜息を漏らした。
「むず痒い話は終いだ。王女殿下のお人好しぶりには正直呆れるが、貴様も少しは見習ってよく考えるがいい」
氷炎伯は、ひらひらと手を振って座敷牢を後にした。天使様の使命を負うポルターは、カランを何かに利用するものだと思い込んでヒヤヒヤしていたが、取り越し苦労に安堵すると共に王女の善性を疑う考えだったと反省を余儀なくされた。
「姫様を信じられず邪推するとは、俺も馬鹿だな!」
不可視の雷が呟きを捉え、ポルターは悶絶しながら床に倒れた。
『ご希望を叶えました』
天使様の不意打ちに、驚きながらも微かに期待していたポルターは、素直に礼を言って部屋を後にした。
続




