魑魅魍魎
―姫様……!
2日かけて氷炎伯の屋敷に戻ったポルターは、いきなり、感動のクライマックスを迎えていた。
王女は堀の脇に整えられた花壇の手入れをしており、そこに咲いているのは――ポルターが目印に使ったあの鮮やかな橙色の花だった。
「守護霊様……見ていてくださるでしょうか」
王女がぽつりと空を見上げて呟く。その姿にポルターは感極まり、その場に膝をついて激しくむせび泣いた。
黙々と花の手入れを続ける王女の健気さをひとしきり堪能したポルターは、満たされた心で屋敷の中へと入っていった。
「ん……? 部屋がない」
かつてカランとアルテマが軟禁されていた客室の扉は、見覚えのない壁で塞がれていた。ポルターが壁をすり抜けて中を覗くと、部屋の構造はそのままであったが、中央が堅牢な鉄格子で仕切られていた。別の世界でいう「座敷牢」というやつだが、ポルターには初めて見る代物だった。
「氷炎伯は、おかしなことを思いつくものだ。カランは…モエのところか」
ポルターは、モエの部屋へ向かい、廊下の角を曲がると何やら謎の呪文が聴こえてきた。
―かーみは、戻る
―かーみを信じよー
―ハーゲは怖くなーい
「何やってんだ、あいつら?」
ポルターが部屋を覗くとカランが発声練習をして、モエがそれを観察している。
「カラン。どんな感じ?」
「はい。すっかり良くなりました」
「まだ。傷跡はこれから」
「いえ、もう十分です」
「中途半端ダメ。名折れになる」
「しかし」
「殿下に嫌われるかも」
「ぐっ…」
「あのカランまで手懐けるとは…いや、カランも変わったのだろうな」
王女の一件で上機嫌なポルターは、満足気に何度も頷きながら二人の掛け合いを眺めていたが、いきなり扉が開いて氷炎伯が入ってきた。
「びっくりしたあ、って嘘だろ!」
ポルターの驚きは、カランではなくベールを脱いで輝きを取り戻した氷炎伯の美貌とモエの手腕に向けられたものだった。
「氷炎伯。ノックはマナー」
「ああ、そうだったな。気を付けよう」
「お昼ご飯?今日は何?」
「我がそんなことを知らせにわざわざ来ぬわ。カランに手紙が届いたのだ」
「殿下からですか!」
「慌てるな。治療が済んだなら、まずは部屋に戻るぞ」
王太子のこととなると正気を失うカランは相変わらずだった。
「カラン。行っていいよ」
「は、はい!」
モエが察し良く許可すると、下女の付き添いももどかしそうにカランが出ていき、氷炎伯が無言で続いた。
「さて、カラン。貴様の想像通り、手紙は殿下からだ。暴れても良いようこれをしつらえたが、初めて役に立つかもな」
先ほどの鉄格子の部屋にカランが入り、下女が施錠したところで氷炎伯は手紙を渡すと、カランはすぐに手紙に目を走らせ、顔にあらゆる負の感情を宿らせた。
「な、ななな…」
戸惑うカランは織り込み済みだったのか、
「まずは好きに考えて頭を冷やせ。話はそれからだ」
と氷炎伯は淡々と言い放ち部屋の前から去った。
午後になり鉄格子の前にソファとテーブルが持ち込まれた。カランはそれを気にも留めず布団を被ったきり動かない。やがて、鍛錬を終えた氷炎伯が執事と共に現れた。
「頭は冷えたか?」
―カランに返事はない
氷炎伯は執事に軽く頷き、執事は茶を淹れてすぐに下がった。
「まあ、その程度の無礼は赦す。このままで話をして良いか?」
「…」
「頭は冷えんか、まあいい。まず、信頼の証としてこれをくれてやる」
ハラリと投げ込まれたのは、戦況を示す地図だ。カランがモゾモゾと身を起こして拾った地図を睨みつけている。
「既に戦は始まり、奴は王都を出て布陣しておる。これからは毎日動きを報せてやろう」
「…手紙には、氷炎伯様が敵に回ったとありましたが?」
「我は中立のままだ。軍など出しておらん」
「ですが、手紙には私が人質になったと書かれてありました。…そして、万一の時は自害せよと」
「確かに、そうあったな。だが、奴の本意ではあるまいよ。奴の従姉妹、マルヴァンテ夫人を知っておるか?」
「幾度かお会いしていますが、お話したことは御座いません」
「あれは、諸侯の間では有名な曲者でな。女を武器にあちこち入り込んではたらし込み、今では裏で国を動かしておる」
「まさか…」
「ちなみに密偵の報告では、最近は殿下にべったりらしいぞ?女としてもな」
―氷炎伯も煽るなよ…
「世迷言を!」
「我は隠し事なしに話したまでだ。良い機会だ、貴様も全て吐き出せ」
「……申し訳ございません。また取り乱してしまいました」
「続けるぞ?あくまで想像だが、我はマルヴァンテが王家を陥れた全ての黒幕と見ている。貴様は王太子の振る舞いに何か心当たりはないか?」
「……何かと言われても」
「しばし、その筋でよく考えてみてくれ」
氷炎伯は茶を口にしながら静かに待った。
王の死を知った氷炎伯は、仮説を立てて徹底的に調べ上げたのだろう。
「確かに、色々と辻褄が合った…が、殿下が籠絡されるなどあり得ない…」
「奴も存外堅物ゆえ、寝盗られるようなことはないからそっちは忘れてよい。だが、うまく転がして、此度の戦に至らせたのはあの女の仕業に相違あるまい」
「つまり、手紙の内容には夫人の手心が加わっていると言いたいのですか?」
「信じぬなら信じぬでよい。だが、人質と言うなら最初から侍女頭と共に貴様を戻しただろうな。それに、奴は何があっても貴様に自害しろなどとは言うまい」
「…今は何を聞かされても信じられないです」
「だろうな。だが、慌てることもない。今日はここまでにして明日また話そう」
「…はい」
「それから、モエは人質にならんぞ。亡くすと惜しいが、そこまでではない」
脱走を計らないよう釘を刺して、立ち去る氷炎伯をカランは睨みつけていたが、迷いが生じているのかその目に力は感じられなかった。
―マルヴァンテ…王家の秘密を知った気になっていたが、更にとんでもない怪物が潜んでいたとは
続




