超然物外
次の日、巌公からの使節が屋敷を訪れた。
使節は亡命政府樹立の宣言書、宣戦布告書、そしてその写しの束を差し出し、王女が署名を終えると、振る舞われた昼食すら辞退して早々と立ち去っていった。
「随分と嫌われたものだな」
遠ざかる使節の馬車を見送った氷炎伯は、そのままモエの部屋へと向かった。カランが連日上げる悲鳴のせいで、今や館内で「拷問部屋」と噂されるようになったその部屋の扉を開け、本格的な治療を開始するよう短く命じた。
「乱世を前に、一段落といったところか」
のんびりと呟くポルターにとって、戦争とはもはや「天気」のようなものだった。洪水で流される人を助けることはできても、嵐そのものを消し去ることなど人の身には余る。集団で生きる以上、利害の衝突は必然だ。それを受け入れた上で己の良心を発揮することこそが、人として誠実な生き方だと理解したからだ。
「とはいえ、俺には使命があるから戦況を無視できないんだよなあ。姫様のためにも、一度両陣営を探ってみるか」
王太子が私怨に狂っている以上、戦況の天秤が王家派へ大きく傾けば、待っているのは一方的な殲滅戦だ。最悪のシナリオは、公爵派が完全敗北し、余力を残した王太子が全軍を王女を匿う氷炎伯に向けることである。
「よし、考えるにしても、まずは情報だ。姫様、しばしお側を離れますがお許しを」
ポルターは意を決すると、ひとまず公爵城へ向けて歩き出した。
城の会議場では、公爵派の諸侯が集まり、亡命政府宣言の式典に向けた最終打ち合わせを行っていた。
「式典が終わり次第、直ちに宣戦布告となります! 各お方におかれましては、領地へ戻り次第すぐに境を固め、伝令をお待ちください!」
公爵派の士気は予想以上に高い。王都による街道封鎖の被害に怒りを燃やす者、この機に乗じた下剋上に心を滾らせる者――欲望剥き出しの言葉が飛び交っていた。
互いを鼓舞し合うその姿に一抹の馬鹿馬鹿しさを感じつつも、動機としてはむしろ健全に思えた。
―落としどころを模索できるだけ、狂気に走る王太子よりはマシだよな
会議はやがて軍議へと移り、ギデンズ候が議長となって具体的な布陣の議論が始まった。ポルターはギデンズ侯の脇で、熱心に耳を傾ける。
広げられた地図を見ると、公爵領と王都は東西で隣り合い、険しい丘陵地帯が互いを阻んでいた。両陣営の本拠地がそのまま最前線となり、中央付近は勢力が拮抗して入り組んでいるが、南西の公爵派、北東の王太子派と概ね二分されている状態だ。
「氷炎伯は別格として、純粋な勢力としては例のメロ伯爵が第三位か。それなら王太子が強気に出るのも頷けるな」
ポルターの本音としては、両軍が互いに疲弊しきったところで氷炎伯が仲裁に入り、泥沼化を避ける展開を期待している。ただ、完全に傍観するつもりもなかった。
「俺ならではの局地的な介入手段が全くないわけじゃない。思わしくなければ、奇襲を妨害したり、部隊の兵糧を燃やしたりして、勢力のバランスを取ることもできるはずだ」
軍議が終わり、諸侯らがそれぞれの領地へと引き上げていく。その車列の影に混じり、ポルターは次なる目的地――王都へと向かった。
「王太子はあの私怨をどうにかしないといけないが……アルテマはうまくやっただろうか」
すでに臨戦態勢に入っているのか、夜の街道には騎兵の巡回が絶えず、国境付近では両軍の兵が野営地を組んでいた。式典の開催は明後日と言っていたから、ここも間もなく血で血を洗う戦場となるのだろう。
「こんな状況じゃ、俺の未練探しどころの話じゃないな……。天使様も、本当は俺を都合よく利用してるんじゃないか?」
『――はい、不敬。ですよ』
頭上から強烈な雷が落ち、地面を転げ回るポルターは、激痛に悶えながらもどこか満足気だった。最近、段々と人間臭くなってきた天使様の変化が、ほんの少しだけ嬉しく思えたからだ。
続




