隔靴掻痒
ポルターは失意のまま、辺境に戻ってきた。氷炎伯は、巌公との交渉の準備なのか、砦を臨戦体制にするよう戦士長に命じていた。王女は手紙を書いては破り捨てているが、これも交渉に関係した何かだろう。
「王女、少しいいか?」
氷炎伯が、王女の私室に訪ねてきた。
「どうされましたか?」
「実は、カランをすぐに王都に戻せと報せが来たのだ」
「そんな、こちらの計画など始まってもいないのに、どこで漏れたのでしょう」
「あの治癒師とも考えたが、辻褄が合わんし、何よりあの性分だ」
「兄の手先であれば、そもそもカランをこちらに寄越す理由がない…」
「うむ。だが問題はそこではなく、カランという手札が消えることだ」
「治療を理由に先延ばしはできませんか?」
「相談はそれなのだ。我は最悪を考えてお主の安全と治療を取引にしたいと考えている。先にカランを治してしまえばそれも消えてしまうのだ」
「なるほど。氷炎伯は一先ず帰らせた方が良いとお考えなのですね」
「我の顔が戻れば、やつは必ず飛びつく。そこで取引に持ち込むのが最善ではないかと考えている」
「でもそれは、貸し借りと同じ…」
「和解には至らんが、お主の身を優先せねば元も子もない」
「…」
「少し考えてみてくれ。今日は屋敷からは出ん」
「はい」
二人が書面に集中し始めたため、ポルターは暇を持て余してモエを訪ねたが、診療所にはおらず、屋敷中を覗いて回ると個室に専用室を構えていた。
「遠慮がないのはモエらしい」
散らかし放題の部屋に呆れたポルターは、続けてカランとアルテマを見に行ったが、タイミングが悪く身体を拭いていたのですぐに退散して執務室に戻った。
「今日の昼はなんだ?」
「マイヒラタケの献上品が御座いますのでシチューは如何でしょうか」
執事が穏やかに応じる。
「良くもないが悪くもないな。王女に声を掛けておけ。あれは根を詰めすぎる」
「承知致しました」
執事はすっと下がり、氷炎伯は王女同様に、書類を書いては破り捨てている。ポルターは王太子の私怨を伝えられないもどかしさを抱えて成行きを見守る他ない。
「誰もが、ままならない日だな」
昼食は静かなまま終わり、王女は部屋へ、氷炎伯は訓練場でロッドという小柄な兵士を相手に長い打ち合いをしている。
「相変わらず圧倒的だが、ロッドも中々やる」
ポルターが勝手に採点していると、王女が静かに訓練場に入ってきた。
「ロッド、休憩だ」
「はっ」
「ああ、丁度良い。王女よ、今日からこいつを従者につけるから好きに使ってくれ」
「従者は必要ありません」
「我の気休めに必要なのだ。これからは留守も増える」
「では、その時だけお願いします」
「決まりだな」
「ところで、今朝のお話なのですが…」
「分かった。ロッドは下がれ」
「はっ」
氷炎伯は、水瓶から小瓶を取り出し、王女に渡してから引戸を開けた。
「ここに座って飲むがよい。今日は風が気持ち良い」
「はい」
氷炎伯と王女が並んで訓練場の石段に腰掛け、王女が瓶を呷り、噴き出した。
「けほっ…けほっ」
「引っ掛かったか。我も初めはやられたわ」
「モエちゃん、ちょーっといいかな?」
ポルターは、レイラの気持ちがようやく理解できた。
王女と氷炎伯の沈黙はしばし続いた。
しかしそれは重苦しいものではなく、純粋に風を楽しむ二人の幕間なのだと表情が物語っている。
不意に風が強まり二人の目の前に木の葉がハラハラと流れると、王女は意を決したように立ち上がって氷炎伯と向き合った。
「改めまして、カランのことですが」
「うむ」
「やはり、治療してからお帰りいただきましょう」
「札を全て捨てることになるぞ」
「承知しております。ですが、ここで対立してしまえば兄は二度と氷炎伯に心を開かなくなるでしょう」
「和解か。元は我の過ぎたる望み、お主を危険に晒してまで叶えるのは道理に反する」
「らしくない諦めに聴こえますが、それは構いません。ただ、取引に翻弄されるカランを思うと正しい行いとは考えられないのです」
「お主はよくよく王には向かぬな」
「はい、ただの小娘には過ぎたる身分に御座います」
「いいだろう。あやつがどう考えようが我らは矜持を貫くとしよう。もしかしたら、それで収まるやもしれんからな」
「恐らく無理です…」
「ん、何か心当たりがあるのか?」
「肉親にも色々御座いますので」
「色々、か」
氷炎伯は、それ以上踏み込むのを嫌ったのか、話を打ち切りカランたちと話してくると言って王女を置き去りにした。
王女は暫く風が木立をざわめかせる様をぼんやりと眺めていたが、氷炎伯が戻る様子もないので、引戸を閉めて訓練場から出ていった。
「王太子が言っていた皇后陛下絡みだろうが、王家に何があったのか…」
ポルターは、王女が部屋に戻ったのを見届けて、カランたちが軟禁されている部屋に向かった。部屋に入ると、すでに王女の意向を伝えたのか、氷炎の提案に二人が狼狽している姿が目に入った。
「…ということだ。貴様らは無理やり留め置かれたと説明するがいい」
「畏れながら、我らにそこまでしていただく理由が測りかねます」
「小細工はない。ただ王女がそう決めたのだ」
「あわれむなど…」
「憐れみではなく、王女の矜持だ。貴様がこれ以上王家に翻弄されるのは正しい事ではないと言っておったわ」
「…」
「だが、我はただで治療する気はない。アルテマよ、知りたいことができた」
「なんで御座いましょうか」
「場所を変える。番兵!こやつを地下に連れて行け」
「はっ」
地下と聞いてアルテマの顔は恐怖に歪んだが、氷炎伯は目もくれずカランに告げた。
「カランよ、今から治癒師に会わせる。付いてこい」
「はひ…」
「一体、何が始まるんだ?」
ポルターは、よろよろと廊下の壁伝いに氷炎伯についていくカランの後ろを歩いた。
モエの部屋に着くと何かの研究中なのか、並べた薬草から目を離さず二人を迎えた。
「誰それ?」
「新しい実験体だ」
「まだ心配なの?」
「いや、我も同時に治してもらう」
「いいよ。でもその脚は無理」
「よい。カラン、マスクを取るぞ」
「はひ…」
「おお、これまた酷い」
「治せそうか?」
「氷炎伯より時間がかかるかも」
「そうか、中断するかもしれんが、できるだけのことをしてくれ」
「分かった。別料金?」
「まったく……いかほどだ?」
「夕飯のおかず増やして」
「!…………商談成立だ」
「じゃあ、ベッドに寝て」
「いいか、カラン。間違っても暴れるなよ?何かしたらアルテマの首を刎ねて公爵と共に殿下の首を獲る」
「しょれらけは…」
「慈悲はない。本気だからな?」
「氷炎伯。口封じとか困る」
「いや、済まん。その心配はないと神に誓おう」
「モエは何も聞かなかった。治療始めるからもういいよ」
もういいよとは、さっさと出ていけという意味だと気付いて、氷炎伯は渋い顔で出ていきモエは怪しげな器具をガチャガチャと選び出してカランの枕元に置いた。
「カラン。痛いの平気?」
「…!」
モエの瞳は、平気じゃなかろうがお構いなしのやる気に満ちている。カランは器具を見て何を想像したのか言葉を失い、やがて諦めたかのように静かに目を閉じた。
続




