啐啄同時
「王女、この後少し付き合え」
静かな夕食の席で、氷炎伯がふいに王女に声をかけた。
「喜んで。私も、お話ししたいことがございました」
「砦の頂まで上がるぞ。靴を履き替えてこい」
「はい」
王女は一度私室に戻り、言われた通りに身支度を整えてから、氷炎伯と共に夜の傾斜のきつい坂道を登り始めた。
「はあ、はあ……っ」
「なんだ、情けない。早う来い」
険しい坂道の頂上、ランタンの灯りを翳して待つ氷炎伯を見上げながら、王女は息を切らせて最後の石段を踏みしめる。その姿を後ろから見守るポルターは、空飛ぶソファの鍛錬をと大真面目に考えていた。
「では、息が整ったら、振り返ってみよ」
「……はい」
促されるままに王女が振り返ると、眼下には領地都市の夜景が宝石を散りばめたように煌めき、見上げれば薄っすらと天の川が横たわる満天の星空が広がっている。
王女は思わず感嘆の声を漏らした。
「……きれい……」
「王女殿下、ようこそ辺境の地へ」
氷炎伯が柄にもなく深く頭を下げておどけてみせると、王女も負けじと悪戯っぽく微笑んで返す。
「ええ――っと、苦しゅうない」
「ふっ、お主、やはり王の器ではないわ」
「不敬ですよ」
そう言って無邪気に笑い合う二人を、ポルターは満面の笑みを浮かべて眺めていた。
「ところで王女よ。我が、かつて兄たちを亡くしたのは知っておるか?」
星を眺める氷炎伯の声音が、ふと真面目なものに変わる。
「はい……存じております」
「以来、我は肉親というものに過敏になったようだ。初めは一切手を貸さぬつもりでお主を預かったが、どうやら気が変わった」
「やはり、兄との戦に反対なさるのですね」
「違うな。戦など、やりたい者にやらせておけば良い。公爵がお主を御輿として担ぎたいのなら、名だけ貸して放っておけば良いのだ」
「ですが、私がここに留まり続ければ、いずれ兄と敵対するのでは?」
「まあ、そうなるかもな」
「そんな、簡単そうに……」
溜息をつく王女の目をまっすぐに見つめ、氷炎伯は改めて問いかけた。
「王女よ、そなたの真意を改めて問おう。
――王になりたいか?」
「いいえ」
「では、兄を赦せるか?」
「はい」
「ならば、今からお主を『人質』にする」
「え……?」
氷炎伯は淡々と淡茶色の瞳を光らせる。
「まず、お主は我が引き取ると公爵に伝える。代わりに、公爵が掲げる布告書は保証してやろう。更に戦に勝利した暁には、王位を公爵に譲ると約束する」
「公爵は呑むでしょうか?」
「嫌だと言えば、すぐにお主の身柄を王都へ送ると脅すだけだ」
「なるほど、だから『人質』なのですね」
「そうだ。双方の戦力は拮抗しておるから暫く戦は続く。だが、やがて誰もが泥沼の戦いに疲弊し、我が武力を恐れ、すがり始めるだろうな」
「……調停者になるおつもりですか」
「随分と頭が回るようになったな。だが、お主の兄だけは止まらぬだろう。利害ではなく、ただの執念で戦う者とはそういうものなのだ」
「最後の一手が、まだ欠けているのですね」
「うむ。だが、全く手がないわけでもない」
「私には、想像もつきません」
「昼間の騒ぎを起こした女――カランだ」
「兄の側仕えです。私もよく存じております」
「ならば、あれが兄にとってどういう存在かも知っているな?」
「はい。兄の護衛、そして想い人です。まさか、カランまで人質になさるのですか?」
「いいや。今回のカランの不始末を不問にして交渉材料にしようと考えておる。だが、その程度の貸し借りでは、心変わりまでは期待できぬだろうな」
「難しいですね……」
「うむ。カランらには協力せよと言ったものの、肝心の決定打が思いつかぬのだ。お主に心からの恩義を感じるような『何か』があれば和解の席に着くやもしれんが、そんな都合の良いものは、望んで手に入るものでもない」
そこで、王女は一呼吸置き、確信を込めた目で氷炎伯を見つめた。
「氷炎伯は……昼間の『怪異』は、我々の味方だと思われますか?」
「突然妙なことを聞く。味方かどうかは分からんが、少なくとも害意はなかったな」
「実は最近、私の周りでは不思議なことが続いているのです。共和国にいた頃は、寝ている間に毎晩同じ花が枕元に置かれていました。そして、ここでは今朝、これが」
王女は懐から一通の封筒を取り出すと、ランタンの光の下で氷炎伯へと手渡した。
「これは……王都のギルドの紋章か?」
「分かりません。ですが、肝心なのはその中身です」
氷炎伯は封筒から書類を取り出し、目を走らせた。その表情が驚愕に染まる。
「なんだこれは!? 馬鹿な、王都にこれほどの治癒師がおるというのか? これが事実なら、わざわざカランをこちらの治癒師に診せるまでもない。たちの悪い悪戯では――」
「悪戯であれば私に無用の手紙を置いた道理が通りません。ですが、これが真実であれば、今の氷炎伯にはこれ以上ない『天啓』となりますよね? そしてカランにも」
「どうにも出来すぎた話で、飛びつく気にはならんな」
「それともう一つ……この封筒に入っていた橙色の押し花は、私が共和国で毎晩贈られていた花と、全く同じ種類のものなのです」
氷炎伯は押し花と書類を交互に見つめ、やがて低く笑った。
「……なるほどな。先ほどの怪異への質問は、幽霊が我らのために奔走しているという仮説を試すためだったか」
「はい。もしも氷炎伯が、あの幽霊殿の善意を信じてくださるならば……まずは王都のギルドを調べるのが宜しいかと存じます」
「ハハッ、見事だ幽霊。花の裏付けがなければ王女の正気を疑うところだったが、抜け目がないな」
「それで……もし中身が本物なら、先ほどのカランのお話、そして兄との和解に使えるのではないでしょうか?」
「そうだな。ここまで先を読んで状況を動かしているとは。守護霊どころか、まるで天使様がお主に力添えしているかのようだな」
「ギャオん!?」
急に話がトントン拍子で上手く回り始め、喜色満面でガッツポーズをしていたポルターの頭上へ、雷が落ちた。
『違います』
「なんで俺が……!」
「フギャッ!?」
『口答えは不敬です』
「だから、なんで……!?」
見えない真犯人らの騒ぎがすぐ隣で起きていることなど知らず、王女は少し考えて冷静な結論を出した。
「王城で起きた怪異と同じ存在ならば、天使様ということはなさそうです。ですが、彼の者は訓練場で敵味方の区別なく全員を救おうとして動きました。氷炎伯、ご負担でなければ、この怪異を善意として賭けてみてはいかがでしょうか」
「よし、我は直接王都のギルドへ出向いてみよう。正直、あの怪異の正体は測りかねていたが、まずは敵ではないと信じてみることにする」
「お話を信じてくださって、ありがとうございます。おかげで胸の支えが取れました」
「うむ。互いに腹を割って話すのは実に爽快だな。よい塩梅だ、戻るか」
「はい」
――ポルターもまた、言葉にできないほど爽快な気分だった。
これまで悪戦苦闘しながら仕込んできた小細工の数々が、ついに大きな形を成したのだ。それだけでなく、二人の信頼まで勝ち取れたのは、文句なしの大金星と言えるだろう。
「よおし! あとは王都のモエが変なことを言って、氷炎伯に首を刎ねられないよう祈るだけだな。やりましたよ、天使様っ……ギャッ!?」
『いかがわしいです』
「だから……なんでなんだよぉ……!」
夜の砦ので理不尽な天罰に悶絶する騒霊騎士の悲鳴は、誰の耳に届くこともなく星空に吸い込まれていった。
続




