羽を伸ばす
翌朝、朝食の席に王女を招いた氷炎伯は、不敵な笑みを浮かべて言った。
「さて、王女。今日は羽の伸ばし方というものを教えてやろう」
「お忙しい身でしょうに、よろしいのですか?」
「我が配下は皆有能だ。そして我はその上に立つ者だ。些かの留守など問題ない」
「失礼いたしました。是非学ばせていただきます」
「良い返事だ。では早速行くぞ」
まだ食事も完全に終わらぬうちに、氷炎伯は王女を促して玄関へと向かう。そこに用意されていた馬車へと乗り込む二人を、ポルターは慌てて追いかけた。
ポルターの焦りを余所に、馬車は門を出てすぐの貴族街にある商店街で停車した。そこには、ずらりと並んだ兵士たちが物々しく出迎えている。
「通りは貸し切りだ。まずは形から、服だ」
戸惑う王女の手を引き、氷炎伯はズンズンと店の中へ進んでいく。あれこれと王女を着せ替え人形のように扱った末に、最終的に選んだのは、活発に動ける、脚が露わになった狩猟用の衣装だった。
「なんという、はしたない格好を!」
姿の見えぬポルターが、まるで小言の多い乳母のように頭を抱える。
「目立たぬよう、そのまま着ていけ。これから銀山を見せてやる。だが、その前にな」
氷炎伯は通りがかりのパン屋に立ち寄り、焼き立てのパンを王女に手渡した。
「『買い食い』というやつだ。ほら、勇気を出して齧り付いてみろ。こうやるのだ」
氷炎伯が豪快にパンを噛みちぎるのを見て、王女は一瞬躊躇ったものの、やがて意を決してそっと口を開き、恐る恐る噛み付いた。
「ははっ、それでは戦場には出られぬなあ!」
ワハハと快活に笑いながら馬車へと戻る氷炎伯を、王女が小走りで追う。その和やかな雰囲気を尻目に、ポルターは一人、全力疾走を開始した。
「次は銀山か。急がねば!」
馬車馬のように駆ける幽霊の姿は滑稽そのものだが、幸いにも誰の目にも映らない。ポルターは時折自嘲しながらも、一切の躊躇なく走り続け、見事一等賞で銀山へと到着した。
遅れて到着した氷炎伯は、王女を連れて自ら坑道を案内した。王女は銀の抽出工程を興味深く見学し、今は麓の集落で昼食を摂っている。
「午後は狩りにでも行こうかと思ったが、嗜みのない者には退屈だろう。馬にでも乗ってみるか?」
「ぜひ、乗ってみたいです」
二人が向かったのは、集落にある牧場だった。突然の領主の訪問に、牧場主や使用人たちがあたふたとする中、厩舎で楽しげに馬を選ぶ二人の姿は、まるで仲の良い姉妹のようであった。
初めこそ氷炎伯の後ろに乗って怯えていた王女だったが、帰る頃には、どうにか一人でゆっくりと馬を進められるまでに上達していた。
「楽しいか?」
「はい、とても!」
「では、帰りにもう一箇所、寄り道をするぞ」
その「もう一箇所」は、ポルターにとっての鬼門――温泉であった。
「見てないぞ、見てなどない。これは護衛なのだから仕方がないのだ……」
ポルターはこれまでの経緯から、氷炎伯を完全に信用しているわけではない。氷炎伯という存在は、最高の庇護者であると同時に、たった一言の失言で凄惨な悲劇を引き起こしかねない怪物なのだ。
空を見上げながら顔を真っ赤にする怪異と、広い湯船で無邪気にはしゃぐ二人の女性。そんな奇妙な構図はしばらく続いた。結局、一人だけ頭がのぼせたような気分になったポルターは、出発する馬車を遠くから見送り、ゆっくりと歩き出した。
「あの様子……氷炎伯は、姫様を気に入ってくださったのだろうか」
胸の中に淡い期待が再び芽生えかける。だが、ポルター翌朝、朝食の席に王女を招いた氷炎伯は、不敵な笑みを浮かべて言った。
「さて、王女。今日は羽の伸ばし方というものを教えてやろう」
「お忙しい身でしょうに、よろしいのですか?」
「我が配下は有能でな。そして我はその上に立つ者だ。些かの留守など問題ない」
「……失礼いたしました。では、ぜひ学ばせていただきます」
「良い返事だ。では早速行くぞ」
まだ食事も完全に終わらぬうちに、氷炎伯は王女を促して玄関へと向かう。そこに用意されていた馬車へと乗り込む二人を、ポルターは慌てて追いかけた。
ポルターの焦りを余所に、馬車は門を出てすぐの貴族街にある商店街で停車した。そこには、ずらりと並んだ兵士たちが物々しく出迎えている。
「貸し切りだ。まずは形から入るぞ。服だ」
戸惑う王女の手を引き、氷炎伯はズンズンと店の中へ進んでいく。あれこれと王女を着せ替え人形のように扱った末に、最終的に選んだのは、活発に動ける、脚が露わになった狩猟用の衣装だった。
「なんという、はしたない格好を!」
姿の見えぬポルターが、まるで小言の多い乳母のように頭を抱える。
「目立たぬよう、そのまま着ていけ。これから銀山を見せてやる。だが、その前にな」
氷炎伯は通りがかりのパン屋に立ち寄り、焼き立てのパンを王女に手渡した。
「『買い食い』というやつだ。ほら、勇気を出して齧り付いてみろ。こうやるのだ」
氷炎伯が豪快にパンを噛みちぎるのを見て、王女は一瞬躊躇ったものの、やがて意を決してそっと口を開き、小気味よく噛み付いた。
「ははっ、それでは戦場には出られぬなあ!」
ワハハと快活に笑いながら馬車へと戻る氷炎伯を、王女が小走りで追う。その和やかな雰囲気を尻目に、ポルターは一人、全力疾走を開始した。
「次は銀山か。急がねば!」
馬車馬のように駆ける幽霊の姿は滑稽そのものだが、幸いにも誰の目にも映らない。ポルターは時折自嘲しながらも、一切の躊躇なく走り続け、見事一等賞で銀山へと到着した。
遅れて到着した氷炎伯は、王女を連れて自ら坑道を案内した。王女に銀の抽出工程を興味深く見せた後、麓の集落で手早く昼食を摂る。
「午後は狩りにでも行こうかと思ったが、嗜みのない者には退屈だろう。馬にでも乗ってみるか?」
「ぜひ、乗ってみたいです」
二人が向かったのは、集落にある牧場だった。突然の領主の訪問に、牧場主や使用人たちが大慌てであたふたとする中、厩舎で楽しげに馬を選ぶ二人の姿は、まるで仲の良い姉妹のようであった。
初めは氷炎伯の後ろに乗って怯えていた王女だったが、帰る頃には、どうにか一人でゆっくりと馬を進められるまでに上達していた。
「楽しいか?」
「はい、とても!」
「では、帰りにもう一箇所、寄り道をするぞ」
その「もう一箇所」こそが、ポルターにとっての鬼門――温泉であった。
「見てないぞ、私は見ていない。これは護衛なのだから仕方がないのだ……」
ポルターはこれまでの経緯から、氷炎伯を完全に信用しているわけではない。氷炎伯という存在は、最高の庇護者であると同時に、たった一言の失言で凄惨な悲劇を引き起こしかねない怪物なのだ。
空を見上げながら顔を真っ赤にする怪異と、広い湯船で無邪気にはしゃぐ二人の女性。そんな奇妙な構図はしばらく続いた。結局、一人だけ頭がのぼせたような気分になったポルターは、出発する馬車を遠くから見送り、ゆっくりと歩き出した。
「あの様子……氷炎伯は、姫様を気に入ってくださったのだろうか」
胸の中に淡い期待が再び芽生えかける。だが、すぐに頭を振ってそれを打ち消した。
―いや、油断するな。気を引き締めろ
一方的だが王女に仕える騒霊騎士は、己の果たすべき従者の役目を思い出し、再び馬車の後を追って走り出した。
続




