超然絶俗
調印式までの数日間、ポルターは王女と別行動をとることにした。
正確には、王女が船でヘイブンまで移動すると知り、同行を諦めざるを得なかったからなのだが、それ以上に使命の最重要対象であるカランの動向も蔑ろにはできなかったからだ。
何事もなく峠を越え、氷炎伯の屋敷に戻ると、計ったようなタイミングでカランとアルテマがホールで氷炎伯と立ち話をしていた。
「住まいに不自由ないか?」
「斯様な御配慮をいただき、恐縮の至りにございます」
「何、馬屋に毛が生えたようなあばら家ゆえ、奴から苦情が来ぬかとビクビクしておるわ」
「……畏れ多いことでございます」
カランの傍らで、アルテマが舌足らずに頭を下げた。
「ありがとうごじゃいましゅ」
氷炎伯はカランを見つめ、痛ましそうに目を細めた。
「済まぬな、カラン。我が抱える治癒師たちを以てしても、その傷は治せぬようだ。だが、決して諦めるなよ?」
「しょんな……わらひ……ひょうへんはくしゃまのお顔を……」
「気に病むな。こうして恨み言もなく語らうだけで我が気が晴れるのだ。ならば大事ないということよ」
「わらひは……ひえ、ありがとう……ごじゃいましゅ……」
「うむ。では、またな」
アルテマに細い身体を支えられ、引き摺るような足取りで屋敷を出ていくカラン。その背中に、かつてここの兵士すら震撼させた勇猛な戦士の面影はどこにもなかった。
「まあ、当面は大丈夫そうだな」
最重要人物の無事を一言で片付けたポルターは、そのまま氷炎伯の後を追って執務室へと入ると、室内には戦士長と執事が緊張した面持ちで控えていた。
「――何か、あったか?」
氷炎伯がデスクに腰掛けながら問う。戦士長が一歩前へ出た。
「はっ。実は公爵閣下の密偵を捕らえました旨、ご報告いたします」
「ネズミに名など不要。どこの者であれ見つけ次第始末せよと言い含めておいたはずだが?」
「それが……捕らえたのは政務官でして」
「政務官が、我が領内で何をしていた」
「カラン殿の身辺を嗅ぎ回っておりました」
「巌公め、こちらの腹を探りに来たか。……いいだろう、会おう」
氷炎伯は戦士長に伴われ、政務官が監禁されている兵舎に案内される。
政務官は氷炎伯の姿を見るや否や、助かったと言わんばかりにベラベラと言い訳を並べ立て始めた。
「ああっ、最悪だな……」
ポルターがそう呟くのと、ほぼ同時だった。
鋭い風が奔ったかと思うと、政務官の首が床へともつれ落ちた。氷炎伯がいつの間にか剣を抜き、一瞬で断罪を終えていたのだ。
「戦士長。我が命じたのは、こういうことだ」
血を払いながら淡々と告げる主君に、戦士長は直立不動で頭を下げた。
「――肝に銘じます」
「なんの、我の言葉が足らなかったのだ。気にするな」
恐怖政治、という言葉がある。しかし、氷炎伯のそれは少し違っていた。彼女はただ、獣の親が子に狩りの手本を見せるかのように、あまりにも自然に、当たり前の作業として配下にやってみせただけなのだ。
「だが、これは良くないぞ……」
ついさっきまでカランに慈愛に満ちた言葉をかけていたかと思えば、まるで傷んだ野菜でも捨てるかのように、眉ひとつ動かさず人の首を刎ねる超然とした怪物に、ポルターは芯から戦慄した。
この調子では、王女が相応の「覚悟」を示さなければ、氷炎伯は巌公の事情などに構わず王家へ彼女を引き渡すに違いない。
ある意味、王太子以上の怪物といきなり対峙することになる王女の身を案じ、ポルターは堪らず呻いた。
「また、心配事が増えたな……」
※ ※ ※
惨劇の後始末を見届けたポルターは、今は一台の荷馬車の後ろをとぼとぼと歩いている。行き先は、巌公の居城である。
「しかし、堂々と送り返すとまでは思わなかったなあ」
荷台に載せられた簡素な木箱。その中には、首と胴体が泣き別れになった政務官の遺体が収まっている。
地理の記憶を完全に呼び覚ましていたポルターは、ここから半日とかからない公爵の城へ、馬車と共に乗り込むことに決めたのだ。
道中、広大な城下町と、丘の上に聳え立つ城の中間に、見覚えのある白亜の屋敷が見えてきた。
「あれが……姫様がいらっしゃった離宮か」
記憶の底で見た、懐かしい景色だった。
「そういえば。俺の未練は、姫様のご無事を見届けることではなかったんだな……。俺は最期に、一体何を願ったんだろうか」
とりとめのない疑問に囚われているうちに、荷馬車は城の正門へと到着した。門前で予想通りの大騒ぎが巻き起こるのを横目に、ポルターは城の内情を伝える伝令に付いて、ギデンズ候と食事の席についていた巌公のもとへと辿り着いた。
「どうされました?」
ギデンズ候が、ただならぬ雰囲気に口を挟んだ。
「密偵に出した政務官が、斬られた」
巌公は僅かに動揺しながらも冷静を保っている。
「ついに、始まるのですか!」
ギデンズ候が身を乗り出すが、巌公は低く応じた。
「いや。相手は辺境伯だ」
「は?なんですと! あそこは不戦の立場ではなかったのですか」
「それが、どういうわけか殿下の懐刀と侍女頭が逗留しておるのだ。念のために見張らせたのだが、こんなことになるとは」
「不味いですぞ! もし辺境伯があちら側に付いたならば、一から策を練り直さねば。いや、そもそも我らに勝機は……?」
「落ち着けギデンズ候、そうはならん。その気があるならば、今頃首を掲げて軍を進めてきている。わざわざ棺に入れて送り返しはせん」
「つまり、どういうことです」
「『痛くもない腹を探るな』という警告だ。しかし、間もなく調印式で顔を合わすというのに、よくもやってくれる」
「一時とはいえ、王女殿下を預けて本当に大丈夫なのですか!?」
―それに関しては、初めてあんたに同意するよ
ポルターは心の中で何度も頷いた。
「腹立たしいが、奴はこれでも中立を違えてはおらん」
巌公はワイングラスを弄びながら苦々しく言った。
「ここで下手に刺激しては、それこそ敵に回りかねんゆえ、これも大事の前の小事と考えよう。どうあれ、王女殿下に『亡命政府』の樹立を宣言していただき、我らはこの戦に勝つ。違うか?」
「もちろんですとも!取り乱して申し訳ない」
「どうやって大義を掲げるかと思えば亡命政府とは。すべては姫様のお気持ち次第だが、あの言いようだと根回しは済んでいるのか」
ポルターには、未だこの戦争の落としどころが想像できなかった。大戦になれば国が共倒れになる可能性すらあるというのに、公爵派も王太子派も、一歩も退く気配がない。立場としては公爵派が被害者寄りだが、ポルターの「忠義」と「使命」は、王女を喪うことなく王太子を勝利させてカランの死を回避させねばならない。最善の道は、王太子が辛勝したところで手打ちになることだが、道筋は見えない。
「あーあ。使命さえなければ簡単なのに」
不用意な愚痴に応えるように、ポルターの全身に強烈な電撃が走り、激しくのけ反りながら天使様の澄んだ声を聴いた。
『使命を、諦めますか?』
「いいえ! 死力を尽くします……!」
その死力の注ぎ先が分からぬ混沌とした状況のまま、一方的に鞭を入れられ、やや理不尽な気分に唇を尖らせる。しかし、気を取り直して氷炎伯領へと引き返す道中、ポルターの頭に新たな疑問が首をもたげた。
「うーん。国をボロボロに破壊してまで王になる意義が、いまいち腑に落ちないんだよな。ひょっとして王太子が姫様に執着している理由は、単に王位継承権だけじゃないとか?」
ポルターはこの世ならざる身とならではで多くの知識を得たが、元は一介の兵士に過ぎない。為政者たちの真意や、歪んだ権力欲の深淵までは理解が及ばないだけなのかもしれない。それでも、あまりに強引で、執拗極まる王太子の仕打ちは、単なる杞憂や政治的都合だけで片付けられるほど些細なものとは思えなかった。
――もし、その執着の真意が分かれば、姫様と王太子の間に、破滅を避ける和解の糸口が見つかるんじゃないだろうか
漠然とした、しかしあらたな希望の光を肯定しようと頭の中でこねくり回しているうちに、ポルターは知らず領境を越えた。
懐かしい、はずの風が吹いた。幽霊になって以来初めて落ち着いて眺めたそこは彼の故郷の風景であり、すべての始まりの地――辺境領であった。
続




