和風慶雲
ポルターが王女の傍らに付き添うようになってから、3日が過ぎた。
王女は来る日も来る日も塞ぎ込み、一人になると考え込んでは瞳を潤ませている。ボルソやミラが話しかけている間こそどうにか気丈に振る舞っているが、その横顔には深い憂いが張り付いたままだ。
4日目の晩。ポルターは、微かな寝息を立てる王女の枕元に、そっと橙色の花を置いた。少しでも彼女の心を慰めたくて、昼間、街の空き地からなんとなく摘んできた野の花だ。
翌朝、身の回りの世話をしにやってきたミラに、王女は不思議そうに尋ねた。
「この花は、ミラが置いてくれたの?」
「いいえ? 私は今参りましたが……」
「そう……」
「――すぐに衛兵を呼んで参ります!」
「違ーう! そんなつもりじゃ!」
ポルターの必死の絶叫が届いたわけではないだろうが、王女は慌ててミラを呼び止めた。
「待って。誰が置いたにしても、悪意はなさそうです。それに、ここで騒ぎになれば、また引き留められてしまうかもしれません」
「ですが……いえ、姫様の仰る通りでした。私の考えが至らず、申し訳ございません」
「いいのよ、ミラ。心配してくれてありがとう」
「そんな、勿体ないお言葉です」
「騒がせてしまってごめんなさい。朝食でしたね、すぐ参りましょう」
「では、御髪を整えますね」
「ええ、お願い」
その晩、ポルターは懲りずにまた同じ橙色の花を枕元に置いた。
「姫様、どうかお赦しください……」
端から見れば完全に頭のおかしいストーカーの所業だが、ポルターとしては必死だった。この先に待ち受ける運命を思えば、ポルターの怪異を目にする機会は必ず訪れる。だが、決して王女を害するものではないと、どうにかして伝えたかったのだ。
5日目の朝。王女は目覚めて花を見つけても、今度は特に騒ぎ立てることはしなかった。それどころか、水の入った小さなガラス瓶にそっと花を挿した。
「誰だか知らないですが……ありがとう」
少女のような純朴さを見せる王女に、ポルターは天にも昇る心地で歓喜した。調子に乗った彼は、その夜もまた同じように花を届けた。
6日目の朝。王女は部屋の中をくまなく調べ、不可解そうに首をかしげた。
「何も盗られてはいませんね。……もしかして私、あの『夢遊病』というものにかかってしまったのかしら?」
ポルターとしては「姿なき守護霊や聖霊の仕業では」というロマンチックな結論を期待していたのだが、自己評価の低い王女は、あろうことか自分自身の精神を疑い始めてしまった。
「ここまでだな。中々上手くいかないものだ」
ポルターは苦々しく呟き、花の差し入れをやめることにした。
7日目の朝、枕元に花がないのを見て、王女は心なしか少し淋しそうな表情を浮かべていた。
その日の午前、礼拝からの帰り道。王女は中庭で足を止め、背後に従っていたミラとボルソを振り返った。
「間もなく調印式ですね」
「はい。我々はいつでも出発できるよう、準備を整えております」
ボルソの力強い言葉に、王女は静かに首を振った。
「そのことなのですが……お二人には、ここで暇を与えたいと思います」
「姫様、おやめください!」
ボルソが声を荒らげたが、王女は静かに続けた。
「いいえ。貴方がたは、これまで私に十分に尽くしてくれました。これからのための褒美も用意してあります」
「そんな、私たちは……」
すがるようなミラを片手で制して、王女は穏やかに、しかし決定的な言葉を告げた。
「ミラ。あなたとボルソは――これからは、そのお腹の子に人生を捧げるのです」
――ああ! ふっくらしたなんて言ってごめん、ミラ!!
厳かな空気を文字通り台無しにするポルターのくだらない懺悔が響いた瞬間、彼の脳天に鋭い雷撃が落ちてのたうち回った。
『お止めなさい』
「……すみません」
ポルターが天の声に平伏している間も、人間たちの会話は続いた。困惑したボルソとミラが、必死に王女へ縋っている。
「しかし、姫様……我々には行くあてもございません。どうかこの先も、お仕えさせてください」
「先ほどの褒美のことですが、自由交易都市ヘイブンにあなた方の住まいを用意しました
。希望すれば、現地の教会に勤められるよう手配も済ませてあります」
「なんと、そこまで……。ですが、やはり納得がいきません!」
「私を想ってくれる気持ちには感謝します。ですが、どうかこれ以上、貴方がたの人生を私のために無駄にしないでください」
「無駄などと、そんな滅相もない!」
感情を昂ぶらせたボルソを、ミラが優しくたしなめ、我に返ったボルソは深く頭を下げて王女に謝罪した。
「……やはり、お気持ちは固いのでしょうか」
「ええ。ボルソ、これは私からの最後の命令です。生まれてくる子に、あなたの全てを捧げなさい」
きつく唇を噛み締めたボルソが、やがて絞り出すように答えた。
「……はっ!」
王女は微笑み、ミラの手を優しく握った。
「ミラも頑張るのよ」
「はい……っ、姫様にお仕えできて、本当に、本当に幸せでした……!」
互いの無事を祈り、涙を流して抱き合う3人。
過酷な運命の渦中で、確かに紡がれたひとつの幸福な物語の美しい幕引きを静かに見つめていたポルターは、その場を離れ最後の一輪を王女の部屋に、そっと残して立ち去った。
続




