波乱万丈
「結局、どう伝えるかまでは思いつかなかったなあ」
深夜の砦に登ったポルターは、屋根裏の隙間にそっと筒を隠した。平時には使われないこの砦は、たまに使用人が掃除に入る程度。考えうる限り、これ以上ない最適な隠し場所だ。
だが、ポルターはこの計画にあまり猶予がないことも痛いほど理解していた。
互いの勢力を削ぎつつ、落としどころを模索する通常の戦争とは違って、今回想定される戦火は、下手をすれば双方の息の根を止めかねない「殲滅戦」だ。ひとたび王都に飛び火すれば、モエの安否など容易に分からなくなってしまう。さらに、氷炎伯がカランを治療させて王太子に貸しを作るにしても、勝負が決してしまってからではすべてが遅すぎるのだ。
――どうしたものやら。
使いでも何でもいい、レイラにさえ繋がれば、あとは勝手に事は運ぶはずなのだが…ポルターが思案に暮れているうちに、容赦なく交渉の朝は訪れた。
動き出した車列に歩兵が随伴しているのを見て、ポルターはひとまず安堵し、のんびりとその後を追った。
やがて車列が差し掛かったある峠で、ポルターはぎょっと足を止めた。
「ここは……いや、ここがそうなのか」
記憶の断片で見た場所。そして、自分が命を落としたはずの峠だ。
生理的な嫌悪感というよりも、「何かの弾みに自分の存在が消えてしまうのではないか」という漠然とした不安が胸をよぎる。ポルターは慎重に足を進めた。
しかし、彼の警戒をよそに、車列は何事もなく峠を越えて共和国へと入っていく。
「良かった。自分の墓参りなんて、冗談じゃないからな」
自嘲気味に軽口を叩きながら歩を進めると、緩やかな下り坂が大きくカーブを描いた。その先、眼下に広がった城塞都市の姿を見た瞬間、ポルターの全身に激しい身震いが走った。
「あれか!あそこに……姫様が……」
※ ※ ※
一団が重厚な城門にたどり着くと、案の定、ひと悶着が起きた。軍を街に入れるか否かで押し問答が始まり、結局、歩兵は門外で待機。近衛兵と馬車だけが入場を許されることになった。
放射状に区画整理された美しい石畳を進むと、中央には大きな噴水広場があり、多くの行商が軒を連ねて活気に溢れている。馬車はその先にある巨大な聖堂の前で静かに停まった。公爵と文官たちが馬車を降り、出迎えの共和国の面々と厳かに握手を交わす。
「……姫様は?」
息を呑み、喉につかえる塊をどうにか押し込もうとするポルターを置き去りにして、一団は足早に聖堂へと入っていった。
「公爵、よくぞおいでくださいました」
中で出迎えたのは司教――いや、あの巌公のへりくだった態度から察するに、もっと高位の聖職者だろう。一同が礼拝を終える頃、ポルターも遅れて堂内へと滑り込んだが、そこに肝心の王女の姿はなかった。期待が外れ、落胆が胸を支配する。
その後、一団は教会の中庭を通り、別棟にある議場へと案内された。待ち受けていた共和国の文官や貴族たちが、王国の面々と握手を交わしながら席に着いていく。
「姫様は……お見えにならないのか?」
予定が変わったのではないかと不安になり、議場を出て探しに行こうとしたその時――ポルターはその場に激しく尻もちをついた。
扉から入ってきたのは、あの肖像画そのままの姿。
「ひ、姫様……」
不敬を通り越した無様な格好のまま、ポルターは身動きが取れなくなった。求めてやまなかった邂逅の恍惚感。それと同時に、強烈な目眩を伴って失われていた記憶の奔流が濁流のように押し寄せてきたからだ。
“俺は、辺境の兵士だった…
闘技大会で公爵に才能を拾われ、姫様の護衛に抜擢され…王位継承を巡って王都を追われた姫様をお護りする役目を頂いた……姫様は、俺を「自分の騎士だ」とからかって笑っていた…姫様と、たくさんの花の話をした…
やがて王太子の私兵が迫り国を追われ、決死の覚悟で待ち伏せを突破したが……ボルソと俺は……”
激しい記憶の補完に脳を揺さぶられながらも、どうしても自分の「顔」と「名前」だけは思い出すことができない。
「はっ、姫様! とんだ不敬を!」
我に返ったポルターは慌ててその場に跪いた。もちろん、霊体である彼の姿が王女の目に映るはずもない。それでも、ポルターはそうせずにはいられなかった。
会議が始まっても、ポルターの意識はうわの空だった。さらなる記憶を絞り出そうと必死に内省を続けたが、呼び覚まされたのはいくつかの地理と、一部の街の名前だけだった。
「今はいい、焦るなポルター……」
自分に言い聞かせるように呟く。彼の苦悩をよそに、交渉は滞りなく進行していった。そして、最終的な調印式は「ヘイブン」と呼ばれる自由交易都市で行われることに決まった。かつてポルターが、ある使命のために船を追いかけ、辿り着いた港町だ。
「ええ、それから大臣より、もう一つお知らせがございます」
進行役の男が告げ、厳かに大臣へ一礼した。席を立った大臣が口を開く。
「本日は、王国の方々と良き合意に至れたことを大変嬉しく思います。そして書面にはございませんが、公爵閣下よりかねてお話をいただいておりました、王女殿下のご帰国をここに宣言させていただきます」
「待ってくれ、そんな話は聞いていないぞ!」
浅黒い肌をした老人が、激昂して立ち上がった。周囲の者が慌てて袖を引っ張り座らせようとするが、老人は激しく抵抗する。
「議長。本日は王国との和平の場であり、我々は誠意を尽くさねばならぬ立場です。どうぞお座りください」
「いいや認めん! 交渉は当事者である我ら一族が中心なのだ。断りもなく、よくもそんな真似を――」
大臣が冷淡に軽く手を振ると、控えていた衛兵たちが容赦なく議長を羽交い締めにし、力ずくで議場から連れ出した。
「お見苦しいところをお見せしましたが、決定は覆りませんのでご安心を。大司教、間違いございませんね?」
「……ご帰国は教会が保証いたします。それでよろしいですな?」
重々しい大司教の言葉に、議場の全員が沈黙のまま深く頷いた。
「そういうことですので、王女殿下には和平の橋渡しとして、10日後の調印式にご参加いただいてからご帰国いただくという運びになります。公爵閣下、これでよろしいですな?」
「うむ。公正な計らいに感謝する」
巌公は内心、飛び上がるほどの歓喜に震えているはずだった。しかし、その顔には傲岸不遜な態度を張り付かせたまま、冷徹に会議の締めくくりを聴いていた。
「それでは、これにて閉会とさせていただきます。皆さまにはご昼食を用意しておりますので、これよりご案内いたします」
会議中、一言も発しなかった王女は、巌公に軽く一礼して静かに退室した。緊張の解けた議場からバラバラと人が吐き出される中、ポルターもまた外へと這い出た。
「もう、巌公には用はない。とにかく姫様だ」
ポルターは、中庭をゆったりと歩く王女の背中を追った。
王女は従者らしき男を従え、議場の対面にある教会の宿舎へと向かっている。男は宿舎の前で深く頭を下げ、王女を見送った。
「もしかして、あそこは男子禁制なのか?」
これまで散々、好き勝手にあらゆる場所を出入りしてきたポルターだったが、今更ながらに戸惑って足を止める。その時、見送りを終えた従者の男が、ポルターの佇む方へと歩いてきた。その顔を見て、ポルターは目を見開いた。
「ボ、ボルソ……!?」
喜びのあまり、夢中でその名前を叫んだ。しかし、ボルソはポルターの身体を何の抵抗もなく素通りし、真っ直ぐ聖堂の方へと歩いていく。
すれ違いざま、ポルターは見た。彼の右腕が精巧な義手になっているのを。
ボルソもまた、己の破滅のフラグを叩き折るために、代償を払っていたのだ。
「だが、生きていてくれた。良かった……ボルソ、ありがとう……」
ポルターは、万感の思いを込めてその背中を見送った。
ひとしきり胸の中で爆ぜた感情が収まったのを見計らい、意を決して王女のいる建物へと足を踏み入れる。部屋を捜索すると、食堂で静かにスープを口に運ぶ王女と、その傍らに控える下女の姿を見つけた。
――ああ、ミラ! 俺の覚悟は無駄じゃなかった
波のように次々と押し寄せる奇跡的な再会に、ポルターは胸を熱くしながら二人を見守った。やがて張り詰めていた緊張がほぐれたのか、彼の口からいつもの軽口が溢れ出る。
――ミラ、ちょっとふっくらしたな
これといった会話もないまま食事が終わり、二人は私室へと戻った。王女が衣服に手をかけ、着替えを始めたため、ポルターは慌てて部屋を飛び出した。
しばらくして、下女のミラが古いドレスを抱えて部屋から出ていく。恐る恐る部屋の中を覗き込んだポルターは、その光景に息を呑んだ。
王女はベッドに突っ伏し、激しく肩を震わせて涙を流していたのだ。
「ああ、ついにこの日が来た……なのに、どうして……」
それが帰国できる喜びの涙なのか、あるいはこれから始まる過酷な運命への嘆きなのか、ポルターには測りかねた。
彼はそっとベッドの脇に跪き、王女の咽び泣きが収まるのをただじっと待ち続けた。やがて、その涙が静かな寝息へと変わった頃、ポルターは音もなく部屋を出た。
「畏れながら、私めも同じ気持ちにございます」
王女を待ち受ける茨の境遇を、誰よりも理解しているポルターの同意。その呟きは、どこまでも暗く、深い憂いに満ちていた。
続




