迅速果断
翌朝の会議は、昨晩の張り詰めた打ち合わせが嘘のように、目立った議論も生じず実務的な詰めの話へとすんなりと進んだ。昨日議長を務めていた巌公の文官が、手際よく全体のまとめに入る。
「勝手ながら、昨夜のうちに共和国へ遣いを出しておきました。明日には日程の回答が得られるゆえ、私のみ引き続きこちらに逗留させていただけますでしょうか」
「それは是非もない。では、我々も文書の作成に取り掛かりましょう」
「ありがとうございます。和平合意に向けて共に尽くしましょう」
あれほど強硬に互いの主張をぶつけ合っていた双方が、今は固い握手を交わし、親しげに肩をたたき合っている。
その様子を傍らで見ていたポルターは、いよいよ迫ってきた王女との邂逅に胸を躍らせていた。早くも頭の中で、これからの旅程をあれこれと想像しては興奮を隠せない。
「早馬だとして、共和国には一晩で着くほど近いのか。だとすると、置いていかれる心配はなさそうだな…」
実際には、共和国の国境沿いの街から中央へ向けて伝書鳩を飛ばす手筈なのだが、世情に疎いポルターに知る由もない。
「何にしても、待ち遠しいな」
つい先ほどまで、巌公の焦りを冷静に分析していたことなど完全に棚に上げ、ポルターは逸る気持ちを抑えきれずにそわそわと身体を揺らした。
会議が正式に散会となると、巌公の一団は手早く出発の支度を整えた。氷炎伯の丁重な見送りを受け、巌公は礼もそこそこに領地へと去っていく。
遠ざかる馬車を見送りながら、氷炎伯は傍らに控える戦士長へと声をかけた。
「戦士長、戦をどう見る?」
「はっ。戦力自体はほぼ拮抗しておりますが、何やら街道の封鎖によって、公爵様は少々苦慮なさっているとか」
「ほう、すでに始まっておるのだな」
「我らは、このまま街道の守備を固めておくだけでよろしいでしょうか」
「うむ。諸国は警戒こそすれど、今の我々に攻め入る理由も、その勇気もあるまい」
「確かにその通りにございます」
「……今後は密偵の数も増えよう。泳がせる必要はない。残らず始末せよ。敵味方の区別も、素性の検めも不要だ」
「はっ!」
淡々と冷徹な命を下した氷炎伯は、ふと思いついたように言葉を継いだ。
「ところで、次の客の準備はしたか?」
「はっ。ご指示通り、然るべき貴族の別荘を一件、接収いたしました」
「接収とは聞こえが悪いな。しばらく借りるだけだ」
「――失礼いたしました!」
「ふっ、冗談だ。だが、使用人も護衛も一切付けるなよ。治療もあるゆえ、ここへの出入りも自由にさせよ」
「はっ、御意に」
「さて。もう少し陽に当たっていたいが……執務に戻るか」
氷炎伯は名残惜しそうに日差しを振り返りつつ、従者を連れて屋敷へと戻っていく。
その会話を聞いていたポルターは、すっかり失念していたもう一組の来訪者の存在を思い出していた。
―カランのことか。しかし、この騒乱の最中だというのに、まったく揺るぎないお方だな
状況がさらに複雑化していくことへの危機感よりも、ポルターの胸を満たしているのは氷炎伯への純粋な憧れだった。
敵も味方も立場もあるにも関わらず、容赦がないと思えば、突如底なしの慈悲を見せる氷炎伯の誠実な生き様は、ポルターにとって理想の英雄像そのものだった。
「姫様、見初められると良いがなあ」
ぽつりと呟いた言葉は、穏やかな風に溶けていった。
翌日の昼、巌公の放った早馬が早くも戻ってきた。会談は6日後、かねてより話に出ていた『アルマダン』という街で行われることに決まったという。
「ここから半日ほどの距離ですから、出発は当日の朝で良いでしょう。公爵様も今は大事の最中ゆえ、多少あちらを待たせることになっても支障はありますまい」
「承知しました。では、そのようにお伝えしておきます」
残っていた文官は、用件が済むとすぐに早馬の兵士と共に帰途に就いた。
「6日か……。一度王都に戻って、モエの様子でも探ってみるかな」
特にあてがあるわけではなかったが、ここにいてもやる事のないポルターは、そう思い立つや否やすぐに王都へ出掛け、完全に慣れたのか、丸二日かけず翌日の夕刻には王都に到着した。
ポルターは、王太子の動向など今やどうでもよくなっていたため、城には目もくれず、真っ直ぐモエの店へと向かう。
扉を押し開けると、ロイが忙しなく伝票を抱えて奥の倉庫を行ったり来たりしていた。肝心のモエは、カウンターの奥で完全に調合に没頭している。
「姉さん、俺はこれから配達に出るけど、店は閉めていく?」
「ダメ。施術の客が来る」
「客って……ああ、あの人か」
「そう、2日に1回。大事な実験……お客を忘れないで」
「はいはい、じゃあ行ってくるね」
「気をつけて。夕飯は魚がいい」
「分かったよ」
ロイが入れ違いに出ていき、ポルターがしばらく店内で待っていると、ギルドの方から噂の「実験体」がやってきた。レイラだ。
「こんばんは」
「待ってた。炭酸水要る?」
「ああ……今日はいいわ」
「分かった。入ってきて」
挨拶もそこそこに、悪気など微塵もないモエの独特な距離感に、レイラはまだ慣れない様子で苦笑いを浮かべながら店の奥へと入っていく。
「座ってて。もう少しでできる」
「はーい」
モエが真剣な目付きで調合していたのは、レイラに処方するための新しい薬のようだった。
「できた」
モエはすり鉢を手にレイラの元へ歩み寄ると、手際よく彼女の腕の包帯を解いていく。
「よし、順調。あと4回通って」
「あの、モエちゃん。私、最初は傷を隠す(メイクする)って聞いてたんだけど……」
「忘れた。何か気に入らなかった?」
困ったような笑顔を浮かべ、首を振るレイラ。その腕に視線を落としたポルターは、思わず息を呑んだ。
かつて酷かったはずの火傷の痕は、今やうっすらと白びている程度で、言われなければ気づかないほどにまで回復していたのだ。
「え? ええっ!?」
こともなげに会話を交わす二人と、その劇的な回復ぶりに、ポルターは驚愕を隠せない。
モエはレイラの反応など気にする風でもなく、棚から分厚い紙束を取り出すと、火傷痕の写し書きを始めた。相変わらずポルターに文字は読めないが、他のページには丁寧に治癒過程の絵が克明に記されている。
「国の名だたる重鎮たちが必死になって探し求めているのが、まさかこんな変人だとは誰も思わないだろうな……。しかし、稀代の天才っていう噂は、決して嘘偽りじゃない」
「できた。湿布、違和感ない?」
「時折、少し痒いけど……大丈夫よ」
「痒みはあるが、問題ない、と……」
モエは淡々と問診をいくつかこなした後、新しい湿布を貼り、丁寧に包帯を巻き直した。
「あの、それで……料金の件なんだけど……」
「大丈夫。最初のままでいい」
「そうなの!? じ、じゃあ、私、頑張ってお店の宣伝でもしよっかな!」
「それも大丈夫。レイラの信用できそうな人だけを紹介して。まだ、あんまり知られたくない」
「そっか。そうよね……」
「うん。じゃあ、また2日後に」
レイラが気遣わしげに次の言葉を探す間もなく、用が済んだらさっさと帰ってほしいと言わんばかりの露骨な態度を取るモエ。その徹底したマイペースぶりに、ポルターは思わず吹き出してしまった。
「これは、もしかしたらあの氷炎伯でも太刀打ちできないかもしれないな」
レイラが店を出ると、モエは即座に店の鍵を閉め、スタスタと2階へ上がっていった。これにて本日の業務は完全終了である。
「宣伝もしない、か。うーん、チラシでもあればと考えたけど、そもそもこの店、看板すら出してないもんなぁ」
一人残されて店を後にしたポルターは、久しぶりに我が家代わりの土手へと足を運んだ。草の上に寝転がり、夕暮れのグラデーションが深い星空へと移り変わっていくのを眺めながら、あれこれと案を巡らせる。
「ん……待てよ。それなら、何とかなるんじゃないか?」
不意に何かが閃いたのか、ポルターは勢いよく跳ね起きた。
そのままギルドに向かって歩き出しながら、その顔にはどこか悪だくみを感じさせる、不敵な笑みが浮かんでいた。
―なに、しばらく借りるだけだ
続




