反客為主
城の広大なホールは、朝早くから熱気と喧騒に包まれていた。貴族院に出席するため登城した議員や文官たちで溢れかえっているのだ。
朗らかに挨拶を交わす者がいる一方で、厳重な身体検査によって隠し持っていた酒を取り上げられ、極まり悪そうにうつむく者、隅に集まって不穏な企みに目を細める者たちもいる。彼らは決して諸侯に絶対の忠誠を誓っているわけではない。商売の利権やそれぞれの信仰によって、独自のつながりを持っている者がほとんどなのだ。貴族院において、依然として「巌公」率いる公爵派が優勢を保っているのも、まさにそうした複雑な利害関係が背景にあるからだった。
「ようやく、この日が来たか……」
両陣営の裏事情を誰よりも熟知しているポルターは、国家の頂点同士が激突する瞬間の到来に、胸の高鳴りを禁じ得ずにいた。
裁判所も兼ねた議場は、すり鉢状の厳格な構造になっている。身分の低い議員や文官たちは階上の傍聴席へと詰めかけ、これから激しい質疑を交わす諸侯らは、中央に円形に配置されたテーブルへと着席していく。その中には、ひときわ重厚な存在感を放つ巌公の姿もあった。
「これより、王太子殿下がお見えになられます。皆々、静粛に!」
議長の厳かな宣言とともに、議場全体が水を打ったように静まり返り、全員が一斉に起立した。大勢の文官を従え、威風堂々と入場してきた王太子は応えるでもなく議場に立った。
「これより、第962回貴族院を開会する」
王太子は冷徹とも思えるほど淡々と宣言し、円卓の一角に腰を下ろした。その後は議長の手際よい進行により、山積していた議題が次々と処理されていく。
やがて二度目の休憩が挟まれると、階上の傍聴席にいた議員たちは退場を促され、議場には円卓を囲む諸侯だけが残された。ここからが本番だった。
「これ以降は極秘の議題となります。諸侯におかれましては、殿下への宣誓の上、一切の筆記をお控えくださるよう厳に申し上げます」
全員が口外禁止の宣誓を終えると、議長の役目が巌公へと引き継がれた。
「さて、皆々すでに察しておられるとは思うが、他でもない。我が国の王位継承の件について、本日、決を採りたいと思う」
議場に低く、重いどよめきが走る。
「まずは、殿下のご意向をお示しいただくのが筋かと存じますが、いかがですかな?」
促された王太子は、尊大に顎を引いた。
「うむ。色々と言われているようだが、俺は選挙の実施そのものに反対しているわけではない。だが、そもそも主役たる王女が不在のままで、どうやって選挙を行おうというのか。まずはそれを問いたい」
その言葉を待っていたとばかりに、公爵派のギデンズ侯爵がすかさず言葉を挟んだ。
「それについては、殿下が先王の崩御を正式に布告され次第、ただちに王女殿下にご帰国いただく手はずになっていると聞き及んでおりますぞ」
「帰国が先だ」
王太子の声が一段と冷たく響く。
「妹が裁判の場に立ち、身の潔白を完全に証明せねば、選挙など始められるはずもなかろう」
ギデンズ侯は慌てるでもなく返す。
「畏れながら、貴族院ではすでに不問に付す決定を下したはずでは?」
「馬鹿を言うな!」
王太子は円卓を強く叩いた。
「貴様らは、父の不審な死を有耶無耶に葬り去ったまま、すべてを済ませるつもりか!?」
「滅相もございません!」
ギデンズ侯爵は慇懃無礼に頭を下げた。
「ただ、裁判ともなれば多大な時間を要します。ゆえに、定められた手続きに則り、選挙と裁判を並行して進めるのが最善かと……」
「定められた手続きだと?」
王太子は冷笑を浮かべ、鋭い視線で諸侯を見回した。
「この際だからはっきりと言わせてもらおう。貴様らは、妹を無理にでも担ぎ出し、王家を意のままに操る傀儡にしようと企んでいるだけではないのか? ――なあ、巌公よ」
その挑発に、それまで沈黙を保っていた巌公の顔が怒りに染まった。
「馬鹿なことを! 国を二分せぬよう、これまでどれほど腐心を重ねてきたか。その我らに対し、よくもそのような世迷言を吐きおったな!」
「真に国を憂うのであれば尚更だ。そのような道理の通らぬ選挙など、即刻お控えいただきたい」
「ふん、正々堂々と選挙で戦う度量すらお持ちでないと?」
「いいや、俺は一向に構わん。だが、妹とて巌公の野心に翻弄され、父の葬儀すらまともに出せぬ現状には、さぞ胸を痛めていることだろうな」
巌公の目が、鋭く細められた。
「……先王の怒りを買った貴様が、よくぞそこまで言えたものだな」
「それは何の話だ?」
「惚けるな。あの夜、玉座の間で何が起きたかなど、ここにいる皆は知っておるわ!」
巌公がついに決定的な一撃を放ち、攻勢に転じた。しかし、王太子の表情に動揺の色は一切なかった。それどころか、すべてを織り込み済みだったかのように、不敵な笑みを浮かべて切り返した。
「いいだろう。先日の怪異について、巌公の言う通り真実だ。だがな、あれは俺に怒っていたのではない。父は王家に牙を剥こうとする不届き者を、決して許すなと伝えたかったのだ」
「なんだと……?」
巌公の眉が跳ね上がる。王太子は背後の文官に短く命じた。
「おい、用意しろ」
控えていた文官たちが素早く動き、円卓の諸侯の前に一斉にある書面を配っていく。書面に目を落とした諸侯の間から、にわかに動揺のざわめきが広がった。
「それは、例の流行病を理由に街道を封鎖した際、我が方で買い上げた荷の詳細な目録だ。奇妙なことに、その流行病は何故か公爵家に属する領地でのみ発生している。そして、買い上げた荷の半分を占めていたのは――大量の武器と油だ。つまり、先日の怪異は、公爵家による明白な造反の動きを、父の霊が俺に知らせてくれたものなのだよ」
―クソッ、やられた……!
階上でその光景を見ていたポルターは、心の内で激しく毒づいた。
先王の棺の前で、必死に怯えたように祈っていたあの王太子がまさか逆手に取り、完璧な罠として仕掛けてくるとは、予想だにしていなかった。
「言いがかりだ! 怪異は殿下に刃を向けたのですぞ!」
ギデンズ侯爵が顔を真っ赤にして叫んだが、怪異の真偽など誰にも証明できない。現実に突きつけられた「武器の目録」という物証を前に、形勢は完全に逆転していた。すべてはすでに、王太子の掌の上だったのだ。
「落ちつけ。まあ、怪異の解釈は人それぞれでよかろう。だが、この荷は嘘をつかん。……何か申し開きがあるなら聞こうか、巌公」
議場を包んでいたどよめきが、急速に重苦しい沈黙へと変わっていく。長い沈黙の末、ついに巌公が重い口を開いた。
「……戦への備えなど、互い様であろうが」
「開き直って罪を認めたか」
王太子は冷徹に言い放った。
「しかし、ここで物別れに終われば、それこそ本当に国が割れる。そこで巌公よ、改めてお前に命じよう。ただちに共和国と和平を結び、妹を連れ戻して裁判にかけよ。妹の潔白が証明されれば、すぐに父の崩御を公表し、正当な選挙を行う。――だが、もしそれができぬというのであれば、その時は逆賊として公爵家を徹底的に取り潰す」
「おのれ、どこまで勝手な真似を……」
「諸君、俺の意は聞いての通りだ。さあ、決を採れ」
巌公は怒りに身を震わせ、拳を白くなるまで握りしめながら、血を吐き出すように言葉を絞り出した。
「……殿下の、ご意向に……異議のある者は、この場から退室せよ」
静寂が議場を支配した。誰も動かない。動けるはずがなかった。
巌公の、完全な敗北だった。
「では、これより署名の手続きに移る」
巌公が苦々しく宣言すると、王太子は満足げに筆を執って署名を終え、閉幕の宣言を待つことすらなく、傲然と議場を後にした。
「完全にやり込められてしまったな……」
傍聴席で、ポルターもまた苦渋に満ちた呟きを漏らしていた。
王太子のあの絶対的な自信を見る限り、王女を呼び戻して行うという裁判すら、すでに裏で手が回されている茶番に違いない。これで公爵派は、何が何でも王女を担ぎ上げ、挙兵へ踏み切るしか道がなくなってしまった。
「巌公は近々、氷炎伯に会い、自ら和平交渉に赴くと言っていた。もはやこの王都に留まる理由はない」
ポルターは王女との再会を果たし乱世の炎から王女を守らねばならない。カランが氷炎伯の元へと向かったのもきっと運命的な何かだとポルターは確信して、新たな舞台となる南の地へと向かって力強く駆け出した。
続




