陰謀詭計
両陣営の混乱が収まったのは明け方近くだった。暴動は寸前で止められ戦士長が戒厳令を出し表面的には沈静化、部屋で蒼ざめてずっと固まっていた王太子は、氷炎伯とカランが峠を越したという報せに安堵して、ようやく床についた。
翌日の午後に氷炎伯との面会が赦され、王太子はすぐに氷炎伯の寝室を訪れた。
王太子の挨拶に応じるでもない氷炎伯はベッドで布団を被り背を向けている。
「その…本当に済まなかった」
「これでも我は女だ。今は見苦しい顔ゆえこのままで赦してくれ」
「き、傷は残るのか!?」
「心配無用。我らは治癒師も精鋭揃いだからな」
「ああ、良かった。だが、重ねて詫びる」
「兵士どものことは案ずるな。負けを恥じて自害を企てた妾が仕損じた事故だということにしておいた、そちらも合わせておけ」
「是非もない。だが良かったのか?」
「王太子がいちいちそんなことを問うな」
王太子は溜め息を吐き、天を仰ぐ。
「貴様にできた借りはあまりに大きいな」
「これ以上は貸せぬぞ」
「…分かっている」
―長い沈黙
「あの状況で暗器を握り潰したのはそういう事だったのか…」
ポルターは、あの状況ですら氷炎伯が外交問題にならないよう考えていたことに驚いた。
「…カランの件も礼を言う」
「情けをかけてやったのだ、用済みにはしてくれるなよ」
「貴様は相変わらずよく分からんな」
「まあ、妾が我を追い詰めた褒美だ」
「ならば俺も首を刎ねるのは止めるか」
「戯言を。さっさと帰って次の策でも練れ」
「ああ、明朝に発つ。見送りは無用だ」
「妾なら、心配無用だ。手は尽くす」
「どこまでも口の悪い女だ。だが、任せた」
「うむ」
王太子はぞんざいな別れを告げて部屋を出た。氷炎伯は起き上がり、酷く爛れた頬を濡らしたタオルでそっと冷やした。
「憑き物は落ちたように見えたが、あれは、もはや止まることはできんだろうな。我も戦の支度をしておくか」
そこから王太子は、騎士団長を呼び、顛末の通達と明日の出発を告げ、治療で残るカランの看病を命じた。
「一先ず危機は去った。だが、氷炎伯の言葉通り王太子は諦めている顔じゃなかった。だが、何であれ俺は止めてみせる」
翌朝、王太子は夜明けを待たず出発し、ポルターは、なんとなく名残り惜しい気持ちを抱きながら王太子の馬車に続いた。
※ ※ ※
「クソッ、追いつけん」
ポルターは全力疾走の最中だ。
王太子の隊列は最初こそ優雅に進んでいたが、昼を境にペースを上げ、ポルターがショートカットを駆使しているにも関わらず差は開いていった。
結局、夕刻には見失ったが、ポルターは遠くに視えてきた街の灯りを目標にして走り続けた。
街に入ると真っ先に丘の上に建つ屋敷が目についた。王家の馬車が分からない国民はおらず、休むにしても泊まるにしても、そこらの宿とはいかないだろうから、王太子はあそこにいるはずだと踏んで、ポルターは屋敷を目指した。
「ここは、何となくだが憶えがある…確か干物の産地、だったような」
ポルターの土地勘は着実に戻っている。道すがらに倉庫街を覗くと沢山の労働者が山になった魚の干物を木箱に詰める作業をしている。
「王都への道は何となく思い出したぞ。後は先行するか、張り付くかだが…」
ポルターは屋敷を見上げながら思案して、結局予定通り屋敷に向かった。
屋敷は厳重に警備が配置され、犬を連れた番兵が何人も屋敷の周囲を巡回している。
案の定厩舎の前に王家の馬車が停められ、馬の支度をしていないことから今日は泊まるのだと分かった。
ポルターは壁をすり抜け中に入り、庭園の中にある別邸の前で見張りをする騎士団で王太子の居場所がすぐに分かった。
ポルターは別邸に近づき、ガラス張りの温室テラスで王太子と領主らしき男が人払いをして酒を酌み交しているのを確認して中に入る。
「そうですか、それは僥倖にございます」
男は何やら嬉しそうに酒を勧めている。
「あ奴は、義理固く懐も広い。腹を割って話したが、俺を裏切ることは万が一にもない」
―氷炎伯のことだな
「それで、挙兵はいつに御座いますか?」
「まだだ。しかし、先程から貴様はやたらと鼻息荒いな」
「それは、もう。巌公とは浅からぬ因縁が御座いますし、厄介払いした気になった父に一矢報いる日を今か今かと待ち侘びておりますゆえ」
「塩の件か。王家ではなく商いの神に忠実な貴様は分かり安くて良い」
「御冗談を。と、言いたいところですが、ここは私めも腹を割らせて頂きます。畏れながら、王女殿下は世知には暗いお方なれば、巌公の傀儡となるのは明白に御座います。つまり、王太子殿下を裏切ることは自ら首を絞める愚策、裏切る理由など御座いません」
「うむ。公爵は貴族院では公正中立などと綺麗事を吐き、人気取りをしているが、その裏で派閥を固めて機を狙う王家にとっても不倶戴天の敵。いずれ決着はつけねばなるまい」
「ひとまず、私めは家畜の流行病で公爵派の兵糧を削いでおきましょう」
「そんなことが出来るのか」
「はい。一夜にしてとまでは申し上げられませんが、近く必ずや良い報せを」
「俺は何も聞かなかったぞ。だが、平然と神に背く貴様の腹の据わりようは、さしもの俺も舌を巻く」
「神様、どうかこの悪魔に業火を」
ポルターは貴族への罰を切に願った。
悪魔は言いたいことを言ったら用はないと言わんばかりに王太子との密談を締めに入った。
「さあ、夜も更けました。明日も早いでしょうから今夜はこの辺りで」
「現金なやつめ。くれぐれも気取られるなよ」
「おや、私めは、随分と酔いが回っておるようです。殿下と何をお話したか、明日にはきれいさっぱり忘れてしまいそうです」
「俺もだ、悪くないもてなしであった」
王太子の返事に、ニヤニヤと愛想笑いを絶やさず男は闇の中に下がっていった。
「とんでもない連中だな。どうにかしたいが、王太子から離れるわけにはいかない。天使様は、使命のようにさっと飛べるようにしてくれたら良かったのにケチ臭い」
ポルターがいつもの軽口を言いながら立ち去ろうとすると、いつもの電撃が貫いた。
『私事ですが、ケチ臭いは不敬です』
「…ごめん…なさい…つい」
続




