奇怪千万
―リーズは立ち上がり崖の先で背伸びした。
フィルは不穏さを感じて身構えたが、飛びつく前にリーズが制して、再び語り始めた。
「私ね、考えたんだ。フィル」
「何をだ」
「赤ちゃんを産むの」
「は?」
「もう私にフィルは要らない。私が私だけのフィルを産んで仲良く暮らすの」
「何を言っている」
「鈍いわね。子種だけくれたら、私は消える。フィルはマーラのために一生秘密を守る、生きて帰れたらだけど」
「そんなこと…できるわけないだろ!」
「だよね。やっぱりお願いだけじゃ無理なんだよね」
「まさか、そのためだけにこれを!?」
「だけって酷いなあ。私は何度か仕掛けたけど堅物のフィルは一度たりとも過ちを犯さなかった。憶えはあるでしょ?」
身体を捻ってフィルを見るリーズの目に宿る狂気にポルターは身震いした。
「想像以上と豪語するだけあるわ」
リーズの本当の怖さは、行き当たりばったりでここまでやった狡猾さだ。入念な準備をするでもなく、ハーブとモエを誘導してフィルを嵌め、忘れ形見との将来を描いた愛ではない何かを実行する。常人の想像を超える狂気が支配する空間で、ポルターはなす術もなく固まっている。
「だ、だとしても一度や二度でできるとは限らないぞ…」
ぬるりとフィルに抱きついたリーズが囁く。
「私ね、娼館で色々お勉強したの。今は丁度その時期だよ?」
娘だったらどうするのか。ポルターに場違いな疑問が湧いたが、リーズには大した問題ではないのだろう。
「いや、よそう。そんなのおかしいって」
「もう、お互い選べる状況にないよ」
リーズはフィルをまさぐり始めた。
フィルは麻痺毒にやられたかのように硬直している。
「おいおい、こんなの見てなきゃダメなのか?」
ポルターは何も思いつかない。もしかしてフィルが受け入れたら使命完了になるんじゃないか?という邪推がよぎり頭を振った。
しかし、状況は一転する。
「おーい!」
唐突にポルターの救世軍が到着した。正確にはフィルのだがある意味一心同体なのだ。
「何よ?なんで生きてんのよ!」
驚愕したのも束の間、リーズはフィルから離れて背嚢を慌ただしく漁り始める。
硬直が解けたフィルは叫んだ。
「こっちだ!」
「いいね、フィル。行く手間が省けたわ」
リーズはベルトを調整して背嚢から取り出したナイフを背に隠した。臨戦態勢だ。
「リーズ!やめろ、俺は何も喋らない、みんなで家に帰る、それで終わりにしよう」
フィルの痛めている肩を蹴り飛ばしたリーズが吠える。
「今更何もなしで終われるか!」
悶絶するフィルはリーズの怒号に痛みを忘れたか、身動きを止めた。そして全員が見つめる木立からモエが現れた。
「さあ来て、お馬鹿さん」
「よせ、リーズの願いは絶対叶えるから、ひとまず街に戻ろう、な?」
「ダメね。私の計画の方が確実だもの」
「おい、来るな!逃げろ!」
モエは一直線に向かってくる。
「良かった。二人とも無事」
「近づくな!」
フィルが制止するがモエは止まらない。
「どうしたの?」
キョロキョロと辺りを見回すモエにリーズが最高の笑顔で近づく。
「モエ良かったあ」
フィルがリーズに叫ぶ。
「飛び降りるぞ!」
リーズが止まって振り返る。貼り付けた笑顔が不気味だ。
「そういうイタズラ苦手なんだけど」
戸惑うモエの背後に、ハーブが駆け寄ってくる姿が見えた。
「おお、生きてたか!」
リーズは舌打ちしてさっと身を翻しフィルに駆けよった。
「迫真の演技だったわね!」
とわざとらしい大声を出してから耳打ちをする。
「提案を呑んであげる、調子を合わせなさい」
フィルが頷き、モエたちに尋ねた。
「メスはどうなった?」
ハーブとモエが顔を合わせた。
「何?フィルがやったんじゃないのか?」
「え?」
「俺達は毒にやられて気付いた時にはメスは死んでた。急所を一突きされていたからてっきり…」
「真犯人はここですよー」
合流に安堵したポルターは、目眩が来ないことすら忘れてふざけた。
リーズが焦れて会話を切った。
「今はそんなことより脱出よ。私達だけじゃフィルを連れて斜面を上がれない、救援を呼ばないと」
「なら俺が行こう」
ハーブが応じる。
「モエも行って」
「でも、私足遅いし」
「3人じゃ食糧が足らないの」
リーズはハーブに笑顔で目配せをすると、一瞬遅れてハーブにアハ体験が起きた。
「モエ、渡せるだけ食糧を渡して出発だ」
フィルの手当を始めたモエが却下する。
「ダメ、私が残る。フィルの怪我良くない」
「え、なら薬を私に…」
リーズが曇った。
「無理。毎日調合が必要」
「お、俺なら大丈夫だから」
フィルは危険な組合せに気付いて慌てたが、モエはその違和感を流さない。
「リーズもフィルもさっきからなんか変」
「だから、あれは、イタズラだって」
モエは否定するかのように無視した。
「リーズとハーブで行った方がいい。私だと一日遅れる」
「あ、あんたじゃ魔獣に対処できないでしょ?」
「大丈夫。黒地竜の縄張りに他の魔獣はいない。それよりリーズ、何故イライラしてる?」
「おいおい、モエさん煽るなよ」
さらに雲行きが怪しくなって、ポルターは緊張した口調でモエを嗜める。
いつの間にか笑顔が消えていたリーズがついに怒りを隠しきれなくなっていた。
「…どくさい…いつも…いつも…理屈捏ねて…」
「どうした、リーズ。もしかしてお前も体調が悪いのか?」
ハーブが不用心に近づく。
「やめろ、ハーブ!」
ポルターは思わず叫ぶが届くことはない。
「なん、だ…?」
ハーブが崩れ落ち、返り血を浴びたリーズがモエを睨む。
「え、何してんのリーズ?」
モエは後退りして尻もちをついた。
「あんたのせいよ、グズ!」
リーズはナイフを構えながらフィルを一瞥して微笑む。
「見ての通りよ、提案はなしね」
「なんてことを…モエ逃げろ!」
フィルが飛びかかりリーズが転倒する。フィルは馬のりになろうとしたが一瞬で返されてしまった。
「フィルは役目があるからまだ殺さない」
リーズはナイフの柄でフィルを殴ってから立ち上がりモエを追うが、突如焚き火がリーズに襲いかかり、リーズは悲鳴をあげて顔を手で覆った。
「リーズ、そこまでだ」
余計な決め台詞に電撃が応じて、今度はポルターが悲鳴をあげる。
『呪詛です』
「ってえ…ってリーズ?おい、そっちはダメだ!」
視界を奪われ、よろよろと崖に向かうリーズを止めようとフィルが飛びつきブーツを掴んだが、リーズは逆さ宙吊りになった。
「リーズ!」
しかし肩を痛めているフィルに本来の力は出せず、ブーツが少しづつ脱げ始めた。
終わりを悟ったリーズはニッコリ笑いフィルに告げた。
「フィルはとことんお人好しだね。でも、そういうフィルが好きだったよ」
「クソッ、誰か!」
「うわあああ!だから崖はダメだって言ったじゃないか!」
ポルターが頭を抱えてうずくまる。
直後、フィルの手にブーツを残してリーズは谷底に消え、ポルターにはいつもより激しい目眩が来た。
どこかの花壇を手入れしているシーン
女性に話しかけられ向き直るが視線はあげない。
『花が好きなのですね』
『…殿、そのような振る舞いは…様の…らしくないのでどうかお控えください』
『いいのよ…、いざと言う時だけお願いね』
『御意』
空を見上げた時屋敷が視界に入った。南部の建築か。続けて年配の文官らしき男から声がかかる。
『…、明日の出立は今夜になった。支度しろ』
『はっ』
低頭した視界に入ったのは帯剣、金糸の刺繍の制服…俺は騎士なのか。
出立…どこへ、行くのか…。
そこで暗転して現実に戻ると、目の前では、モエがハーブを手当している。
「大丈夫。助かる」
フィルは、ハーブが暴れないよう押さえつけている。泣きながら。
「お、終わったあ…」
フィル達の後始末はどうなるのか分からないが、フィルの安全は天使様が保証している。ポルターは大の字になりしばらく空を見上げた。
「使命は終わったが、まだ先は長そうだな…」
続




