第6話 湊との密議
「人喰い峠の件だ。お前が言ってた怪異、調べることにした」
湊の表情が変わる。唇がわずかに震えた。
「なっ……なぜ、いきなり」
「理由はある。だが、詳しいことは言えん」
空羽は焦げた木片を取り出し、机の上に置いた。湊の視線がそれに吸い付く。
「これは……」
「夷涼で拾った。お前が調べて欲しいと言った場所と同じ気配がする」
沈黙が流れる。湊がそっと木片に触れる。指先が震えている。
「……危険だ、空羽。あの峠は、本当に人が消える」
「だから調べる。お前が何を見たのか、聞かせてくれ」
湊は深く息を吸った。目を伏せる。
「……わかった。だが、話すのはここだけにしておけ。外では絶対に……」
言葉を切り、湊は周りを窺うように見回した。そして前屈みになる。
「あの峠には、夜になると光る道が現れる。その先に……」
突然、湊の口調が変わる。無意識に、昔話をするような柔らかい響きになる。
「……子供の頃、君が初めて里に来た時──」
言葉が止まる。湊の顔色が青ざめた。瞳が大きく見開かれる。
空羽の心臓が、胸の内側で跳ね上がる。耳朶が熱くなる。
──その言葉。その響き。どこかで聞いた。
既視感が頭蓋を貫く。眩暈がする。
「……ち、違う。そんなことじゃなかった」
湊が慌てて言い直す。手を振り、視線を泳がせる。
「光る道の先に、廃村があるんだ。そこが怪しい」
話題が変えられた。だが、空羽の胸に引っ掛かりが残る。尖った小石が刺さったまま。
「……子供の頃、か」
空羽が呟く。声は低く、渇いていた。
湊の肩がぴくりと動く。顔を背けた。
「何でもない。忘れてくれ」
「お前、何かを隠してるな」
「違う!」
湊の声が裏返る。彼は立ち上がり、窓辺へ歩いた。背中が硬直している。
「……ごめん。少し、疲れてるみたいだ。今日はここまでにしないか」
空羽は黙って湊の背中を見つめた。左手首が無意識に脈打つ。
「……わかった。だが、この話は終わってない」
そう言い、空羽は立ち上がった。足取りは重い。
理由は分からなかった。ただ、湊の言葉が頭から離れない。
──初めて里に来た時。
その先に、何があったのか。
空羽は家を出た。背中に、湊の震える視線を感じながら。
***
空羽は湊の家を出た。足元がふらつく。左胸の内側で、心臓が壁を叩く。
梅の木の香りが残る。墨の匂いと混ざる。呼吸が浅くなる。喉の奥が詰まる。
道を歩く。石畳が揺れる。視界がちらつく。肩がこわばる。手に汗がにじむ。
「……くそ」
呟きが漏れる。足を止める。脇腹に手を当てる。鼓動が早すぎる。
湊の言葉が頭を巡る。──初めて里に来た時。
その先。暗がり。銀髪の少年。炎の匂い。
胸が締めつけられる。息が追いつかない。膝が震える。
静雅の家はまだ遠い。距離が延びる。体が重い。
「……動け」
自分に言い聞かせる。一歩。また一歩。石を蹴る。
過去が今を縛る。罪が体を錘にする。自由が遠のく。
それでも足は進む。真相が呼ぶ。闇が待つ。
道の曲がり角。視界が暗転する。瞬く。
炎の中の顔。湊の泣き声。静雅の叫び。
「──!」
目を見開く。呼吸が乱れる。額に冷たい汗。
まだだ。ここで終われない。動け。
空羽は背筋を伸ばした。深く息を吸う。吐く。
静雅の家へ。彼女だけが知る。彼女だけが止めた。
歩き出す。足取りはなお重い。だが、止まらない。 空羽は静雅の家へは向かわなかった。足は別の方向へ動く。夷涼の地へ。生まれ、死に、蘇った場所。
荒地が広がる。風が乾いた土を巻く。頬を打つ。彼は岩陰に腰を下ろす。左腕の焦げた木片を握る。感触がざらり。胸の鼓動が沈む。呼吸が整う。
「……湊は何を知っている」
呟きが風に消える。目を閉じる。銀髪の少年。炎の匂い。蓮華の里の門。
左手首が疼く。前世の傷が応える。記憶の裂け目から光が漏れる。湊の幼い声。
「──君が来た時、みんな怖がってた」
空羽の眉がひきつる。目を開ける。灰色の瞳が冴える。彼は立ち上がる。足元の小石を蹴る。
「……違う。俺は……」
言葉が止まる。喉が渇く。彼は懐から硬パンを取り出し、齧る。顎に力が入る。
記憶を噛み砕く。整理する。一つ。また一つ。
湊の隠し事。人喰い峠。仙門百家の闇。焔城陽太の死。全てが繋がる。一点へ。
空羽は左手を掲げる。指先に微かな気が集まる。紫の閃光。鬼道の予兆。
「……これで探る」
彼は地に手をつく。気が地面を走る。軋み。震える。怨念の残響が応える。遠くで哭く。
額に汗が浮く。集中が研ぎ澄まされる。雑念が消える。湊の顔。静雅の顔。過去の亡霊。
「消えろ」
空羽が言い放つ。気の流れが切れる。静寂が戻る。
彼は立ち上がる。足取りは軽い。重りが外れた。目は人喰い峠を見据える。
「……行くぞ、静雅」
その名を口にして、彼は歩き出した。風が背を押す。 空羽は自宅の戸口に立った。鍵が軋む。室内の空気が澱んでいる。彼は息を詰める。
生活空間が目に入る。机。椅子。収納。全てが整いすぎている。偽りの日常が張り付く。
彼は机に手をつく。指先が震える。左胸の鼓動が早い。呼吸が浅く、息が喉で詰まる。
焦げた木片を取り出す。手のひらに載せる。感触がざらり。冷たい。記憶が疼く。
「……まだ、戻ってこない」
独り言が零れる。彼はベッドへ歩く。足がふらつく。膝が重い。
ベッドの縁に腰を下ろす。布団が冷たい。肩の力が抜けない。背筋が張っている。
目を閉じる。暗闇が広がる。炎の残像が踊る。湊の泣き声。静雅の叫び。
彼は目を開ける。天井を見つめる。呼吸を数える。一。二。三。
「整えろ」
自分に命じる。腹に力を込める。息を吸う。肺が膨らむ。吐く。胸の締めつけが緩む。




