第12話 告白の決意と夜の気配
「明日、静雅に全て話す」
彼が独り言を言う。声には、まだ震えが残っている。
「それから…鏡水湖へ行く。消えた村の跡で、答えを探る」
彼は灯りを手に取り、書斎を出ようとした。その時、窓の外で物音がした。風ではない。爪で引っ掻くような、かすかな音。
空羽の背筋が凍る。彼はゆっくりと窓辺へ近づく。息を殺す。
窓ガラスに、外の闇が映る。その中に、微かな光の粒が浮かぶ。一つ、また一つ。幽かに青白い。
「…懐かしいな」
空羽が呟く。声には驚きも恐怖もない。ただ、深い倦怠感が滲む。
「魂灯の欠片…か。未だに、俺を追いかけているのか」
光の粒は、ゆらりと揺れる。そして、ゆっくりと遠ざかる。闇の中に消えていく。
空羽は窓から離れる。灯りを掲げ、寝室へ向かう。足取りは重い。だが、瞳の奥には確かな光が宿っていた。
彼は床に横たわる。天井を見つめる。暗闇の中で、左手の疼きが少しずつ薄らいでいく。
「…鳳鳴閣」
彼がもう一度、その名を口にする。
「お前たちが、何を隠しているのか。明日、確かめてみせる」
瞼が重くなる。疲労が全身を覆う。だが、眠りに落ちる直前、彼の唇が微かに動いた。
「待っていろ、静雅。もうすぐ…全てが明らかになる」翌日、黄昏時。空羽の自宅の板戸が叩かれた。音は三つ、規則的だ。彼は机から顔を上げた。左手に握っていた古記録が、微かに震える。
彼は立ち上がる。足元のふらつきはない。しかし、胸の内側で、二つの鼓動が絡み合う。一つは白雪空羽のもの。一つは焔城陽太の亡霊だ。
戸を開ける。外には青柳静雅が立っていた。深緑の装束。銀の簪が夕日を反射する。彼女の目が、空羽の顔を一瞬で見定める。
「中へ」
空羽が背を向ける。静雅が敷居を跨ぐ。草履の音が、土間で硬い響きを立てた。
二人は生活空間の机に向かう。その上には、昨夜の古記録と、焦げた木片が並んでいた。静雅の視線が、木片の上で止まる。
「…それを」
彼女の声が低い。空羽は黙ってうなずく。彼は記録の一束を前に滑らせる。
「まず、お前の一族の話を聞く」
静雅は席に着く。姿勢は硬直している。彼女の指が、記録の端を撫でる。その指先が、微かに震えている。
「青蘭は滅んだ。十三年前の秋。夷涼の地に近い集落で」
声は平然としている。だが、その奥に、氷の亀裂のような音が潜む。
「原因は業火。だが、遺体は焼けなかった。魂魄だけが消えた」
空羽の左手が疼く。肘から指先へ、痺れが走る。彼は拳を握りしめる。
「同じ時期に、夷涼で気配が記録されている。草木が枯れ、土が焦げた」
彼は湊の異聞録を指さす。静雅の目が、その記述を追う。彼女の息が浅くなる。
「…仙門は、これを隠した」
「ああ」
空羽が応える。彼は仙門の秘録を押し出す。鳳鳴閣の紋章が、夕闇の中で鈍く光る。
「俺の死の時も、彼らは近くにいた」
静雅の目が見開かれる。彼女の体が微かに前のめりになる。
「焔城陽太の自害は…」
「自害ではない」
空羽が言い切る。声には軋みがない。ただ、確信の重さだけがある。
「あの炎の中に、鳳鳴閣の紋があった。袖口に光るのを、かすかに見た」
静雅は息を飲む。彼女の顔から血の気が引く。手が机の上で震える。
「では、あなたの死も…」
「一族の滅びと繋がっている」
空羽は焦げた木片を手に取る。彼はそれを静雅に差し出す。
「これも、夷涼で拾った。あの気配の残滓だ」
静雅はためらう。そして、ゆっくりと手を伸ばす。指が木片に触れる瞬間──
彼女の体が硬直する。目が見開かれたまま動かない。唇が微かに震える。
「…姉が」
声がかすれる。一滴の涙が、彼女の頬を伝う。
「この手触り…姉が最後に掴んでいた枝の…」
空羽の胸が締め付けられる。彼は言葉を失う。静雅の涙が、机の上で暗い染みを作る。
長い沈黙が流れる。夕闇が部屋に深く入り込む。灯りがまだ点いていない。
「明日、鏡水湖へ行く」
空羽が声を絞り出す。静雅は顔を上げる。涙の跡が、かすかに光る。
「村の跡で、答えを探る。仙門の闇も、俺の死の真相も、全てそこにある」
「危険です」
静雅が言う。声には迷いがない。
「あの村には、まだ『何か』が残っています。湊の報告通りなら、祠の気配と同じものが」
「だからこそ行く」
空羽は立ち上がる。彼は窓辺へ歩み寄る。外では、宵闇が迫っている。
「お前は鳳鳴閣の動きを探れ。俺が湖へ向かう間に、裏をかく」
「分かれますか?」
「ああ。二手に分かれる。情報を集め、夕刻に湊の家で合流する」
静雅は黙ってうなずく。彼女も立ち上がる。装束の裾が、床をかすかに撫でる。
「一つ、条件を」
彼女が言う。目は空羽の背中を見つめている。
「鬼道の力を使わないでください。まだ覚醒が不完全です。暴走すれば…」
「わかっている」
空羽が遮る。彼は振り返る。青みがかった瞳に、静かな決意が宿る。
「俺は白雪空羽だ。焔城陽太の亡霊に、食われたりしない」
静雅の唇が緩む。ほんのわずかだけ。
「では、約束です」
「ああ」
二人は再び机に向かう。地図を広げる。鏡水湖の周辺が、薄墨で描かれている。静雅の指が、集落の跡を示す。
「ここから東へ、三里。山道がある。しかし、最近崩落したようです」
「迂回路は?」
「北の森を通ります。だが、そこは古い塚地です」
空羽の左腕が疼く。彼は眉をひそめる。
「気配は?」
「あります。ですが、道は確かです。私が三年前、調べました」
静雅の声に、微かな痛みが混じる。空羽はそれに気づく。彼は問わなかった。
「わかった。俺は森を行く。お前は街道を抜け、鳳鳴閣の動向を探れ」
「伝令鳥を使います。巳の刻と申の刻に」
「それでいい」
打ち合わせは短かった。必要最低限の言葉だけが交わされる。二人の間に流れるのは、かつての因縁よりも、今という危機だった。




