43話-2 一人取り残されて
「よし! 行こう!」
と、走り出したのはどのくらい前のことだったか。
切れた息を整えながら、歩幅を変え、速さを変え、歩くのと変わらないスピードに徐々に落としていく。長距離走の授業で、疲れた時は急に止まるなと言われたのを思い出したから。
「はぁっ、はっ、はー‥‥っ!」
大きく息をつく。迷っているような気がしてならず、振り向いて見る。前も後ろも一本道だ。
「真っすぐだよね‥‥っ。はぁっ、それしかっ、ないよね‥‥っ」
だけどいくら行っても戦場が見えて来ず、同じような道が永遠に続いている気がしてきて、だんだん自信がなくなってきた。
「ふー‥‥っ」
額を拭うとぬるりとする。みんなと会うのに臭ってないかなと胸元をつまんで嗅いでみるが、大丈夫そうだ。
キャンプから見た感じだと戦場まではそう遠くない気がしたが、さすがに本拠地を戦場のすぐ近くに置くわけもないのだと今更思う。するとどのくらい離れているのだろう。
「でも‥‥。これ馬車のあとだよね。車輪のさ。靴のあとっぽいのもあるし。だとしたら、道はあってる‥‥のかな」
乾いた道にはいくつもの線と足跡が残っている。きっと戦場へ向かった人たちはここを行ったんだろうと想像する。
(違うかもしれないけど、違わないで欲しいから、そう思っとこう)
夢の中は思ったことが本当になるというので、利用できないかなと一生懸命そう信じ込もうとする。
「でも‥‥。これ、いつついた跡なんだろ」
探偵でもないので痕跡から時間までは読み取れない。
(こういう時レコメラならすぐわかるんだろうなぁ)
等と考えつつ、歩き続ける。それしかできない。
それに、少なくともこうして敵のキャンプから離れれば呪いの影響からも離れられると思う。そうすればスタート地点問題は解決するはずだ。
「よーし、がんばろっ!」
一人ごちてすぐ、ため息が漏れる。
視線の先の森、道、空しかない景色を睨む。
「‥‥1人になると、なんか独り言が増えちゃうなぁ。誰も聞いてないと思うと余計にさぁ」
こういう事ははじめてじゃない。ただ、多くはなかった。
「そろそろ走れるかな‥‥。あ、また‥‥」
独り言はこの際いいやと手で胸を押さえる。走り疲れた心臓の具合を確かめる。息は戻ったが、心臓はまだ速い。
(夢なんだから疲れ知らずでいさせてくれたっていいのにさ)
現実とそう変わらない疲労感を足にも感じて、もう少しだけ歩くことにした。
「変なの。戦争の夢なのに、ここはすごく静か」
というより、のどかだ。
鳥の声も木々のざわめきもない。自分が砂利を踏む音と、1人分の呼吸音。気持ちの良い青空と、少ししんどい体。そして誰にも見えていない安堵感。
「あ、独り言の正体ってこれかも。誰も見てないから、安心してついつい出ちゃう‥‥とか」
ここまできて不思議と緊張感から解放された気がしている。敵陣営から離れ、戦争の気配もなく、走った爽快感もあるのだろうか。心がリラックスしていくのを感じる。
両手を組んで伸びをして、ぱっと放す。
「んー、自由って感じ。なんかこういう1人の時間、久しぶり‥‥」
今感じることじゃないだろうとは思う。だけどこの世界に来てから半月以上経つけれど、今日までこういう時間はほとんどなかった。
新鮮で、とても良い気分だ。
馬車を運転していて会話がない時なんかはぼうっとすることもあったけど、常に誰かが傍にいた。
(こんなこと思ったらだめかもだけど。なんでかな、凄く心地いい)
私は基本、1人が好きだ。
(というか私、人と一緒にいるのに慣れてないのよね。家も学校も話す人なんかいないし。部活と塾は‥‥多少話すけど長い間一緒ってわけでもないし‥‥)
放課後や休日に誰かと一緒に遊びに行ったりすることもなければ、家族で出かけることもない。学校行事も基本1人。
「我ながら、孤独だぁ‥‥」
と言いつつ嫌な気はしない。教室で一人きりは嫌で落ち着かなかったけど、今の1人は好きだと思った。
(誰かとおしゃべりできるのは楽しいし、嬉しい。だけど‥‥たまにはこういう時間も欲しいのかも)
この世界に来てからずっと緊張の連続だったなぁと深呼吸する。
森からの空気だろうか。土ほこりも排ガスも混じってなくて、美味しい気がした。
みんなのことは嫌いじゃない。騎士団の皆さんも、エルダーさんも。おじいちゃんも、リュカだって。むしろ、好き。
誰かといることが嫌なんじゃない。
(だけど、1人ってそれとは別かも‥‥)
誰かといると1人じゃないことに癒され、1人だと孤独に癒される。そんな感じ。
「はぁー‥‥。落ち着く‥‥」
見上げる空は抜けるような快晴で、そんな中をゆっくり安全に歩いて行けることの安心感ったらない。
「いや、安心じゃないけど」
持っていなくてはならない緊張感を思い出し、気を引き締める。警戒心はちゃんと大切に頭の隅に。そこにしっかり置いておく。これで良し。
「でも、なんだろ。懐かしい感じがする」
学校、部活、勉強、習い事。生活のルーティンの合間に時たまある休息の時間がこんな感じだった。
(なにより、ここではお母さんのことを気にしないでいいのが‥‥)
そう考えて止める。なんだから悪いことをしているような気分になってきた。
(別にお母さんが嫌とかそういうことじゃないよ、お母さん。ただ、‥‥。ただ‥‥)
足が止まる。
一本道の向こうを見ていた目が足元に落ちる。夢の中の私は、高校指定のローファーを履いていた。
(スライムに溶かされちゃったやつ)
窮屈できつかったのに、塾や習い事でよく履いて出たから1年も経てば十分足に馴染んだ相棒。それでも型が合わなくて、履き心地は百点満点とはいかなかった。
それでも指定で物は良かったから、この子とは卒業するまで一緒かなと思っていた。
(でも私、ほんとは家にいたかった)
そう思って思い出すのは、安全のはずなのに安らげなかった我が家。
家の中は自室にいても親の視線が気になって、自然と息をひそめて過ごすのが当たり前になっていた。
それでも夕食の時「今日はずっと家にいたのね」と言われると、怒られている口調ではないのになぜか責められているような気になった。
(何が正解だったんだろう。外に行けばよかったのかな。‥‥お金もないのに、どこへ行けただろう)
家でなければ、どこが安全だっただろう。
同級生はお小遣いを使って誰かと時間を潰していた。お金がなくても、友達がいれば友達の家に行けたのかもしれない。
友達がいれば、お金がなくても公園でずっと喋って過ごせたのかもしれない。1人じゃ無理でも、誰かとなら公園も図書館も、安全な場所だったんだろうか。
(バイトは校則で禁止。お小遣いはレシートを渡さないといけないし‥‥。私がカラオケなんかに行ったら、お母さんはどんな顔をしたんだろう)
考えながら、歩き出す。道は一つ。迷うわけないと信じて進む。
(お金がないとだめってわけじゃない。でも、お金がないと安心できる場所に行けない気がする)
どこへ行っても、1人でいる自分は誰かに話しかけられた。
意図が不明で要領を得ない会話は、いつもなぜかこわかった。恐怖を覚えるたびに、そういうものに人の悪意を感じ取ってしまう自分が嫌になった。
そういう気持ちはどうしたらいいのか。相談できる人はいなかった。母に話せば私が間違っているのだと否定された。
(私もそう思う。だから、聞いたの)
答えは見つからなかった。私が嫌な奴ってだけだった。
ああいうのこそ、孤独だと思う。
(私が悪いだけなのに、誰かに同情してほしかったなんて。さらに最低‥‥)
こんなんじゃ友達なんてできるわけがない。友達も、親も、誰もがきっとそう思う。
(嫌なこと、思い出しちゃったな‥‥)
人と接すれば私は嫌な奴になる。それを自覚してしまう。だから家にいたかった。
人の悪意を疑うことなく、自分を失わない場所にいたかった。
(でもきっと、お母さんもそうだった。あの家で、一人になりたかったんだ。私を気にせず、一人で庭でも見て過ごしたかったのね‥‥)
母にとって、自分が悪意でなければいいなと思っている。今も。
(なんで私、こんなこと考えてるんだろ。1人でいるとネガティブになっちゃうみたい)
心臓はもう落ち着いている。だけど心は揺れていた。
(帰りたい‥‥)
良い思い出じゃなくたって、私が帰れるのはあの家だけだから。
(自分の家に、帰りたい‥‥)
なのにどうしてか。
(1人になりたい‥‥)
そう思ってしまう。もう今、十分1人なのに。
沈んだ気持ちはよくない。もう一度深く息を吸う。深呼吸のはずが、大きなため息になってしまった。
「もう! 最近嫌な事ばかり考えちゃうなぁ。なんだろ、ホームシックなのかな」
それにしては、帰りたくなくなるような思い出ばかりな気がする。帰りたいけど。
(夢に入る前からこう。すっごいネガティブで、嫌な感じ。いつもこうだっけ‥‥? いつにも増して、暗いな私)
騎士団の皆さんとは上手くやれてると思う。おじいちゃんもリュカもいて、仲間外れにされているとか嫌な思いをしているとかもない。なのになぜこうも陰鬱な気分が湧いてくるのか。
走る気にはなれない。
気分を変えようと、流し見していた景色に意識を向ける。
「あれ?」
さっきまで晴れていた向こうの空が、いつの間にか赤黒くなっていて、更に木々の向こうからは黒煙が立ち上がっている。
あの色は見たことがある。
「病院が近いのかも!」
突然目の前すぎないかと思ったけれど、集中して別のことを考えていると知らないうちに終わってるって事はある。知らないうちにショートカットしていたとか。
しかしこれ以上深く考えると目的地が遠のいてしまう気がしたので、ポジティブに受け取ることにした。夢だし。
「たまにはネガティブも役に立つ‥‥ってことで」
とにかく、合流が目前となったことでみるみるやる気が出て来た。気分も晴れていく。
足が自然とはやくなって、気付いた。
「‥‥なんだ、私、寂しかっただけかも」
レコメラに置いてかれて1人になって、心細くて不安になって。だからあんな気持ちになっただけ。
全身のコンディションを確認すると、体力はすっかり回復している。足ももうそんなに重たくない。これなら一気に行けそうだ。地面を蹴る。
不穏な空の方へ、全速力で向かう。
1人も良いって思っばかりだけど、やっぱり私は誰かといたいみたいだ。頭の中に、マフラーを巻いてくれたリュカのことが思い浮かぶ。
落としたと伝えたら、巻きなおしてくれるだろうか。




