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42話-3 恐怖の底(リュカ視点)

 刺された。エルダーが刺した。

 自分を殺そうとして、本当にやった。


 自分の体に突き刺さる汚れた銀色を、リュカは静かに見つめる。


 痛みは少ない。夢の中だからだ。

 だけど、痛くてたまらない。


「‥‥うふぅっ」


 痛みを理解してすぐ、リュカは噴き出した。おかしくて仕方がない。


「あはっ、あははっ、ひ‥‥っ!」


 面白くも楽しくもないのにおかしさだけが溢れて、笑いが止まらない。


 笑うたび剣が揺れて体が傷つくのに、痛くない。


 喉がひきつっていく。


「ひひっ、ひぃ‥‥ッ!」


 苦しくて首に触れる。


 笑いたいのに笑えない。さっきまで笑えていたのにできなくなった。


 黒い煙が熱い空気と一緒になって吹いてくる。煤の向こうにエルダーを見て、リュカの奥歯が音を立てた。その隙間から、声が漏れる。


「ひどい‥‥っ。ひどいひどいひどい‥‥ッ!」


 エルダーは固まり、オバケでも見るみたいな顔をしていた。


 そんな風に見ないでほしかった。けど、伝え方が分からなくて両手で頭をかきむしる。帽子の飾りが背中を叩いた。


「どうしてそうなの! どうしてだめなの! どうして僕を好きって言わないの! ねぇッ! エルダー!!」


 悲鳴のような声をあげ、立ち上がる。刺さった剣が体を切り裂くのもためらわず、激しく体を揺らす。リュカの指先に引っかかった帽子がその場にぱさりと落ちた。


 汚い地面に晴れた空色が鮮やかに見える。


「あ、落ちちゃった‥‥」


 それを眺めた一瞬、リュカは落ち着いた。


「うそつきっ!」


 リュカは帽子を踏みつける。


 まるで憎悪を向けるように、力いっぱい踏みつける。何度も何度も。


「うっ」


 嫌な声がしたからそっちを見ると、口元を押さえた彼がいた。こちらを見てゆっくりと足をずらし、少しずつ自分から離れていく。


 彼が一歩下がるたびに赤い液体をまとわりつかせた剣がずるずるとリュカの体から引き抜かれていった。


 完全に剣が抜けると、リュカの口からごぼりと血が溢れる。


 落ちてくしずくがくしゃくしゃになった帽子を濡らす。黒に包まれた青が赤くなっていく。


「痛い‥‥」


 口に出すと増した。


 前かがみになって穴を押さえる。血はもう出ていない。


 響く音を聞く。

 離れて行くエルダーの手が剣を放っていた。つるつると瓦礫を滑ってどこかへいくそれが不思議で目で追うと、その剣先には精霊がいた。ルクスナが引っ張ってどこかへやろうとしているのだ。


 そんなこと、どうだっていいとリュカは騎士を見た。体を起こすと同時に固まった彼が何かに躓き尻餅をつく。


 何も言わないから音だけがよく聞こえた。見下ろす彼の浅い息の音。


 胸がごわつくので違和感を息ごと吐き出してみるが、もう血は出なかった。


「んぅ‥‥」


 空っぽの傷口をさすり、感じるものを考える。


 疲れてしまった。なんだかとても。

 嫌われてしまった。なぜかとても。


 それでも彼から目を外せない。それだけが答えだった。


「やっぱり僕、エルダーが欲しいみたい」


 吐息に乗せた声だった。エルダーには届かなかったかもしれない。


 届かなくていいことだった。リュカはもう彼の心はいらなかったから。もうその体だけあればいい気がしたから。


 今度ははっきり口にする。


「僕を嫌わないとこだけ欲しい」


 血の付いた指先をゆっくりと彼に向ける。力が使えないと分かると、リュカは一歩踏み出した。


 自分とエルダーの間に暗い光が割り込んでくる。点滅して何か言うけど、リュカには聞こえなかった。


 エルダーが大きな口を開けるが、構うことなくリュカは進んだ。


「ルクスナっ! お前との契約は破棄する‥‥っ。お前のような邪悪とは、もう繋がっていたくない!」


 明滅をやめた精霊が、うろたえるように目の前で動きを止める。


 それを見て、リュカは「同じだね」と思った。


「ルクスナも、嫌われちゃったね」


 くすくすと笑うリュカの頬をひとすじ涙が伝ってく。


 静まり返った光はじわじわと濁るようにその昏さを増していく。それを追い越した時、精霊の独り言のような独白を聞いた。リュカは振り返り、笑う。


「あはっ! あはは! いいねルクスナ! それ、とっても楽しそうっ」


 肯定されたからか、ルクスナから一気に闇が漏れ出す。夜色の煙のような、底知れない空間が広がっていくのを見てリュカは手を叩いた。


 貫かれた胸の中が痛くて痛くてたまらない。


「これ以上‥‥何を、するつもりですか‥‥。ルクスナ‥‥」


 精霊は何も言わず広がり続ける。


 体をこわばらせ膝を寄せ、逃げ場を失ったエルダーを見下ろしてリュカは回った。両手を広げ、髪を振り乱して。


「僕たちほんとに何もしないよ。これはぜーんぶ、エルダーがしたんだよ」

「そんな、馬鹿な‥‥」


 否定したものの、男は肩を落としそれっきり黙り込んでしまった。


「うふ‥‥っ!」


 リュカは空っぽだった。空っぽで軽くて、なのにとっても重たくて、苦しい。胸の中には何もないのに、何かが詰まってたまらない。


 チトセを思い浮かべる。いつもはそれで満ちるのに、今日はだめだった。


「うふふ‥‥っ。チトセのうそつき! やっぱり大丈夫じゃなかった」


 そう勢いで口に出してから、急に恐ろしくなってリュカは首を振る。


「違うの。いいの。チトセはきっと悪くない」


 そう、なにも悪くない。チトセが嘘をつくはずがない。悪いのは全部エルダーだ。


 それから、こんな目にあったと言ったらチトセなら何をしてくれるか考えた。それを考えると、不思議と心が軽くなって、もう彼女だけがいてくれるならそれで良いのだという気になる。


「きっとチトセは僕をぎゅってしてくれるよね」


 想像すると嬉しくなった。


 くふくふ言いながらくるくる回る。濃い闇がにじみ世界を覆っていく中をリュカは踊り続ける。


 騎士の視線も精霊の沈黙もこの夢の行く末だって、もうどうでもよいという気になって。

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